2011年07月02日

再会に乾杯







再会に乾杯

(2011年6月18日~20日 いとこ会&故郷を歩く旅)



 え~、であるからして・・・、

 と総合司会(?)のK三さんの長~い前置き。






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【え~、◎△◆でありましてぇぇ~、と総合司会のK三さん】






 そして、今回のいとこ会に初参加のA子さんとその息子のK太くんの紹介、そしてもう一人T也くんも。

 A子さんは5年前に亡くなった従兄のJ郎ちゃんの奥さんで、現在杉並区に住んでいて、なかなかいとこ会のタイミングが合わなかったのだが、今回意を決して参加してくれたのである。

 またT也くんは従姉の息子(僕にとってははとこになる)で、僕と再会するのは2年振り。

 いとこ会での顔合わせは初めてである。

 懐かしい面々である。






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【早く飲みたいなぁぁぁあああ】






 写真左は従弟のH樹ちゃん

 しばっち家にはめずらしく、体形がガッシリしている。

 高校時代は柔道部でヤンチャな時代もあったようだ(笑)。

 写真右は従兄のN行さんの息子(はとこになる)のH文くん

 今回の参加者の中で一番の若手。

 彼との再会もかなり久し振り。

 去年は仕事の都合で参加していない。






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【前置きが長いよ~(って言ってたかどうかは定かではない)】






 写真左は従兄のMちゃん

 この方も某会社の社長さんだが、この宴会では・・・(後のお楽しみ)。

 写真右は従姉のS子ちゃんの息子(はとこになる)のT也くん(いとこ会は初参加)。

 ついつい僕の座席の周りの人の写真が多くなってしまうのは仕方ないか。






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【K三叔父が乾杯の音頭】






 総合司会のK三さんが、

「では、今回の乾杯も最年長のK三叔父にお願いしたいと思います。」

と言い、ちょこちょこと歩いてきたK三叔父



 マイクを持つと、

「え~、ただいまご紹介にあずかりましたぁぁあああ・・・。」

と簡単に紹介した後に・・・、

「私は最年長と紹介されましたが、それは大きな間違いでして~。」

と訂正に入る。

「多分私より先に棺桶に入ろうとしている姉が2名ほど、そちらにいますので~、私は最年長ではなく・・・。」

 何をするにも人を笑わせることが上手なK三叔父は、もう何年も歳を重ねているとは思えない存在なのである。



 このK三叔父、80代後半なのだが、どうみても見えない。

 背中は多少猫背でも曲がっているわけではない。

 言葉もしっかりしているし、なんと言っても歩き方が80代ではない。

 普通に歩くと僕の方が負けてしまう。

 速いのだ。

 K三叔父は僕らの鏡なのだ。






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【かんぱぁぁぁい】






 ようやく長い挨拶(笑)が終わり、乾杯~

 ビールの泡が消えてしまった頃の乾杯なのだ。







shibacchi0821 at 23:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 「旅行(北海道11年06月)」編 

2011年07月01日

ブログ、サボりで







 睡眠時間、4時間の週末。

 ブログはサボってしまう決心で(笑)。

 仕事に集中して、また週明けから(ブログ)頑張るかぁ~。







shibacchi0821 at 23:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 「生活」編 

2011年06月30日

ひよこ組







ひよこ組

(2011年6月18日~20日 いとこ会&故郷を歩く旅)



 いとこ会を始めるきっかけになったいきさつは、実は僕にはわかっていない。

 まぁ、ひよこ組の人間はいつの時代だって言われるがままなのだ。

 ただ、ずいぶん昔だが、北海道で大勢の親戚が集まったときに、

「たまには東京で(関東に住んでいるいとこ同士が集まるような)いとこ会でもやったらどうなんだ?」

と言われたことがあり、その頃から年上のいとこ達はそれなりに集まっていたのかもしれない。

 ひよこ組の多くは故郷を離れ、関東に出ているものが多かったからだ。






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【男性陣はもう飲みたくて、たまらない】






 昨日も書いたが、僕が北海道にいた時代(高校卒業まで)は、同じ町に多くの親戚があったし、ましてや祖父母の生きていた時代は毎年、夏と冬には親の兄弟やその子供たちが嵐のように出入りしていたわけで。

 それは本当に楽しい思い出の残るシーンであった。






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【もう始めますよ~♪】






 そして時代と共に祖父母が他界し、その後も親や親の兄弟が減り始めると、僕らの世代も少しずつ疎遠になっていったのは事実だ。

 ましてや僕らの世代も成長と共に故郷を捨て、都会に出て行ったわけで、そうなると昔のように祖父母の家に集まることさえなくなってしまい、さらに遠のいてしまうのはいたしかたないこと。

 故郷はいつでも人間にやさしい。

 だけど、血が絶えると故郷は思い出の一角にしかない。

 あるとき、誰彼となく、そんな話をしたときに、

「昔のように会える機会を作らなきゃだめだよ。」

と言ったという。

「あの頃は楽しかったね。」

「あの頃のようにみんなで会える場を作らないと、本当にみんなバラバラになっちゃうね。」

と・・・。






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【誰が叔父で、誰がいとこなのか(笑)ちなみに写真中央はK三叔父だ】






 僕が昔聞いたのは、K三叔父のところに遊びに行ったときだったが・・・。

「お前たち(子供)は、俺らのように兄弟が多いわけではない。親が死ねば、いとこ同士で助け合わなければいけないんだから、お互いに情報を取り合って生きていけ。」

と言われたことがある。

 多分、その言葉は僕らだけが聞いたものではない(はずだ)。

 ひよこ組はいつの時代でも長老組には頭が上がらない。

 それを親たちも十分知っているはずなのだ。

 だから『いとこ会』を実行したのは長老組のいとこたちだろうが、裏で糸を引いていたのは叔父たちではないだろうか、と僕は勝手に推測している(笑)。






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【立っているのはH樹ちゃんの奥さん、S子さんである】






 実はしばっち家のいとこは男性の方がはるかに多い。

 女性の方が数的には少ないのだが、強さは昔から女性の方が強かったかもしれない(笑)。

 それは平成の今の強さとは違う。

 芯がしっかりとした強さってこと。

 参加している女性も多いが、数名は男性のいとこ陣の奥さんだったりしているのだ。

 そんな中でもS子さん(H樹ちゃんの奥さん)かなりのムードメーカーで、しばっち家を上手に操ってくれる人でもある頼もしい存在だ。






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【白髪陣は僕より年上だ】






 最近、僕も白髪がチラホラと見え隠れするようになってきた。

 それでもほとんど目立ちはしないのだが・・・。

 手前にいるいとこ達はロマンスグレーどころではない。

 どうなったらこんなにきれいに白くなってしまうのか・・・、と思ってしまう。

 この人たちを見ていると、いつかは自分もそうなるのか、とドキドキしてしまうのだが。



 写真手前の横顔を向けているのは、のっちゃんという。

 僕らは親の発している呼び名でつい呼んでしまうのだが、本当の名前はN行で僕より10歳ほど年上の従兄だ。

 去年、久し振りに再会して、お互いにメールアドレスを交換し合い、それ以来、何度かメールのやり取りをしている。

 のっちゃんは、とある会社の社長業だから、おなかが膨れているのだろうか(笑)。

 しばっち家にはおなかが膨れている人は少ない・・・はずだが・・・(そうでもないか)。

 僕を弟のように可愛がってくれるのはありがたいが、再会したときにヒシッと抱きしめるのはやめてほしい。

 もう、あの頃のような小さな僕ではないのだから、と思いながらも嬉しいのだが。



 おっ、そろそろいとこ会が始まるようだ。

 今年も幹事役のK三さんだ。

 え~と、K三とはいっても、茨城に住むK三叔父ではない。

 ここが表現の難しいところだ。






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【K三さん、司会でいとこ会開幕~♪】






 K三さんT次郎(祖父)の二女S代の息子だが、8人兄弟の3番目(ん~、ややこしい)。

 ここの兄弟は異常なほど優秀で、兄弟全員が某有名大学K大かW大を卒業している。

 できの悪い僕にとってはちょっと厄介な存在なのだ。

 それにしてもK三さんがこのいとこ会の幹事を長いことやってるが、去年のいとこ会のときに、そろそろ幹事を若手にやってもらおうかと思っているところだと言いながら、H樹ちゃんを見ていたのだが(笑)。

 今年もH樹ちゃんににらみを効かせているようだ(頑張れ、H樹ちゃん!)。



「え~、今年もこうやっていとこ会を開催できまして~。」

とか何とか言いながら、またこうやっていとこ会を開けることに感謝しながらMCの話はここまで(笑)。






6月30日(木)の日記

 ちょっとドラマのような話だが・・・、

 昨日、新宿駅のホームで(多分)熱中症の症状で倒れ込んだ人の話を書いたばかりだが・・・。



 実は今日も・・・。

 帰宅電車の中で、僕は座席に座らず、ドア付近に立っていたのだが、突然背後でドスンという音を聞き、振り返ると同年代ぐらいの男性が倒れていた。

 僕のすぐ背後には若めの男性がいたのだが、その彼はオロオロしている。

 さらに倒れた人の周りにも人が数人いたのだが、みんな一、二歩後ろに下がったままだ。

「うわぁ、またか。」

と声には出さなかったが、誰も手を貸そうとはしないので、肩を2、3度叩きながら、

「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」

と、応急手当のマニュアル通りに声をかけてみる。



 電車の中で、声をかけるのは本当に嫌だ。

 目立つし、ね。

 目が半開きになっている状態で、意識がない。

 もう一度、大丈夫ですか?と軽く肩を叩くと、ピクピクと痙攣しているように動き、意識を取り戻したようだ。

 何が起きたかわからないようだったが、起き上がろうとするので、

「起き上がれますか?無理しないでください。」

「あ、大丈夫です。」

と起き上がろうとするが、足元がおぼつかない。

 仕方なしに背後に回り、両脇に腕をまわして立たせてやることに。



「どちらまで帰るのですか?」

と尋ねると、

「終点のK駅まで。」

と答えるので、意識はしっかりしていると判断し、

「次の駅で休まれたらどうですか?」

と聞くと、M駅(僕が乗り換える駅なのだが)まで行きます、というので、僕もそこまで応対してあげることにした。



 M駅まではあと2駅だったので、

「どこか痛い所はありますか?」

「気分は悪くないですか?」

と、できるだけ話しかけるようにしてあげていた。



 M駅に到着し、腕を肩にかけて降ろそうとしたとき、ホームと電車の間の隙間に足がひっかかりそうになり、もしかしたら本人の言う「大丈夫」という言葉はあまり信じられなかったのだが、案の定、その瞬間に再び意識を失い、ホームに倒れてしまったのだ。

 もちろん、それは僕にとって想定していたことだったので、直接ホームに倒れず、押さえていたのだが・・・。

 それを見ていた人はだれ一人、手伝おうともしない。

 悲しい社会だ。

 僕が助けを呼んでほしいと声をかけようとしたときには、すで周りに誰もいない状態。

 こんなに都会って冷たいんだよなぁ~。

 これが現実なんだ。

 もし、僕が倒れたら誰も手当てしてくれないんだろうな、って思ったらゾクッとしてしまったよ。



 一度、ホームで横にして、再び声をかけると意識を取り戻し、

「ベンチまでご一緒しますから。」

と声をかけ、移動することにした。

 持病があるか、救急車を呼ぶか、と尋ねても、

「大丈夫。」

だという。

 酒臭いわけでもない。

 もしかしたら熱中症なのかもしれず、

「できればスーツの上だけでも脱がれた方がいいですよ。」

と声をかけ、僕は立ち去ることにした。

 本当に心配だったので、応対してあげたかったのだが、何度も、

「もう大丈夫ですから。」

と言うので、仕方なく去って、僕は別のホームに移動することにした。



 どうしていつも僕の周りで人が倒れるのだろう(苦笑)、と心の中でつぶやきながら、ドアの窓に映る自分を見てビックリ。

 えええええっ。

 僕のワイシャツが血だらけだぁぁぁあああ。



 倒れた男性を起こしたときか、彼の腕を肩にかけて移動した際についた血痕。

 えっ、あの彼・・・、倒れたときにアゴのあたりに少量の血がついていたのは見て知っていたが、こんなに血が流れていたっけ???

 うわぁぁあああ、お気に入りのピンクのワイシャツ。

 もう着れないかもしれない(涙)。







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2011年06月29日

いとこ会を目前に







いとこ会を目前に

(2011年6月18日~20日 いとこ会&故郷を歩く旅)



 宴会場に入るとすでにほとんどのいとこたちが座っている。

 僕はどこに座ればいいのだろう・・・。

 ちょっと悩んではいるが、場所は勝手に決められているようだ。

 M志と年下のS吾の間だ。

 そして、その周囲はいとこの中でも若い連中だったりして・・・(笑)。






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【ここが僕の席だな】






 いとこ会・・・、

 とはいえ、全てがいとこというわけではない。

 父の兄弟は全部で12人。

 男6人、女6人である。

 簡単にいうと、長男、長女、二女、三女、四女、五女、六女、次男、三男、四男、五男、六男の順番だ。

 12人兄弟の中ですでに亡くなっているのは、長男、長女、二女、三女、五女、次男、五男の7人である。

 他の5人のおじ・おばはもちろん参加をしている。






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【こちらは女性陣】






 去年の秋に突然五女のK江伯母が亡くなり、5人の兄弟たちはショックを受けていた。

 去年のいとこ会の前に入退院を繰り返していて残念なことにいとこ会には参加できなかった。

 その翌日にK江伯母の入院先に顔を出したのが、最後の再会になってしまった。

 小さくなったK江伯母だったが、入院先でも比較的元気だった。

 それから4カ月後、すでに退院してはいたが、突然倒れて亡くなったという。

 大動脈破裂だった。






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【K江伯母も参加してます】






 また去年からいとこ会改め、いとこ会(兼)偲ぶ会として、法要も兼ねて行われている。

 一昨年は茨城のM叔母(K三叔父の妻)とM伯母(しばっち家三女)が亡くなり、去年はK江伯母(しばっち家五女)が亡くなってしまった。

 それでもしばっち家は毎年こうやって元気な姿を見せて、お互いに一年振りの再会に顔をほころばせているわけだ。



 僕が小さい頃、このおじ・おばの中ですでに他界していたのは長男のS一伯父だけだった。

 S一伯父は戦争で亡くなったって聞いていたが、実はそうではなかったらしく、実際には腹膜炎で亡くなったというのを聞いたのはつい最近のことである。

 S一伯父、30歳の頃だ。

 夏になると祖父母の所に11人の兄弟が集まるとそれは大変なこと。

 もちろん、その夫や妻だって、さらには子どもだって来るわけだから、とんでもないことになる(笑)。

 祖父母の家の周りにはもちろん多くの親戚もあったから、寝泊まりするのは分散してのこと。






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【なんちゃってカメラマンの僕はなかなか座れない(涙)】






 小さい頃の僕にとって何が大変かというと・・・、

 いとこが多すぎて名前を覚えられないこと。

 年齢差があり過ぎて、誰がいとこで、誰がおじ・おばなのかわからないこと。

 いとこと言えども最年長と僕の差は30歳もあるわけで。

 親の兄弟は誰もが最年長のいとこの彼のことをTちゃんと呼ぶ。

 僕らもついついそう呼ぶと、横からゲンコツが飛んできて、

「Tおぢちゃんと言いなさい。」

って。

 たしかに40歳の彼と10歳の僕の間柄はいとこではあるが、立派なオヂサンと(立派な)ガキの間柄だ。

 ちなみに最年少と僕の差は13歳・・・かな。

 いとこの最年長と最年少の差は43歳であり、親子以上の差があるわけだ。

 その最年長のいとこも去年は参加していたが、今年は参加していない。






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【いとことはいえ、もう立派なおじさん(おじいちゃんもいる)】






 さらに恐ろしいのは、いとこの子供(はとこ)で僕と同じ世代の人間がいっぱいいるわけで、そうなると過去にあったことがあるのかどうかさえ、わからない人も多い。

 今回のいとこ会にはそういう人も数人混じっているのだ(笑)。

 それでもしばっち家の笑顔が絶えないのは、やはり祖父母の教育がいきとどいていたのだと思う。






6月29日(水)の日記

 あぢぢぢ。

 って叫びたくなるほど、暑い一日だった。

 通勤途中の新宿駅のホームでのこと。

 僕の前を歩いていた初老の男性が、突然立ち止まったかと思ったら膝から崩れるように倒れた。

 頭を打ったようには見えなかったが、意識がない。

 呼吸はしているのでCPRの必要はないが、駅員さんを呼んでもらい、手当てをするも意識が回復しない。

 どうも熱中症のようだ。

 僕も時間がなかったので、駅員さんにお任せして電車に乗り込んだが、本当にこの暑さ・・・地獄だ。



 少しでも水分を補給しなければ、明日は我が身。

 まずは自分が倒れないようにしなきゃ、ね。







 


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2011年06月28日

再会に喜び







再会に喜び

(2011年6月18日~20日 いとこ会&故郷を歩く旅)



 余市駅の改札口を通り抜けると従弟のH樹ちゃんが迎えに来てくれていた。

 H樹ちゃんは僕より5歳年上の従弟(父の弟の息子)で、去年日航のリストラにあって以来、未だに無職を貫いている。

 彼の弟のM人と僕は同い年ではあるが、残念なことに今年は仕事の都合でいとこ会は不参加という連絡が入っていた。

 もちろんH樹ちゃんとは1年振りの再会だが、北海道に住むいとこの中でも多くの連絡を取っているので、1年振りという気はしない。

 3月の大地震のときに連絡が取れなかった茨城K三叔父の情報を聞き出したのもH樹ちゃんだった。

 誰に電話しても繋がらなかった時間に何とか連絡が取れたH樹ちゃん。

 K三叔父からさっき連絡があったから生きているのは確かだよ(笑)っていう言葉を聞いて安堵したものだ。

 再会の握手を交わして、いざホテルへ~。






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【北海道のここに僕の故郷はある】






 すでに多くのいとこたちはホテルに集合しているようで、僕らが一番最後のようである。

 割り当てられた部屋に行き、着替えもせずに大御所の方たちに挨拶

 M志と2人で羽田空港で買ったねんりん家のバウムクーヘンを持って(笑)。



「おばさん、お久しぶりです。」

「わぁ、久し振りね。元気なの?」

 笑顔で迎えてくれる。

「大きなお土産は持って来れなかったけれど、おじさんやおばさんだけに・・・。」

と手渡すと、周りにいたいとこ連中(女性陣)から、

「私たちも今日はあんたの従姉じゃないから・・・。」

と。

 ん?

 何を言ってるの???

 と不思議な顔をすると、

「遠慮しないで。私たちは今日だけ、あんたの伯母さんだから・・・。」

「だから、私たちに遠慮しないでお土産を渡しなさい。」

 総攻撃だ。



 うひゃ~。

 恐いよぉ~。

 僕らも負けずに、

「こんな若い伯母さんはウチの家系にいないからぁぁ~。」

と挨拶もそこそこに女性陣の部屋から脱出することにした。



 男性陣の部屋にいくと、みんなが大きな声で、

「おおおお、よく来た、よく来た。」

と、すでにテーブルの上に乗っているビールを手渡される。

「まぁ、ここに座れや。」



 もう僕も立派な(?)おぢさんの年齢だが、この中に入るとあっという間にひよこになってしまう。

 5歳の僕、10歳の僕、20歳の僕・・・。

 叔父たちは笑顔でひよこを覗いているのだ。

 叔父たちにもお土産を渡す。

「お土産は持ってくるな、って言っただろう。」

と言いながらも、

「お、これは・・・。」

 Y久叔父ねんりん家のバウムクーヘンを知ってるらしい。

 さすが、だ(笑)。



 すでに僕の手にはビールが・・・。

 周りのいとこ連中とも挨拶を交わし、今日一日よろしく~と挨拶が進む。






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【余市駅前】






 簡単に挨拶をしたあと、部屋に戻り、浴衣に着替え、M志と二人で温泉に入ることに。

 二人で温泉に入っていると、その後から数人の従弟も入ってきた。

 H樹ちゃんは僕以上に温泉好きで有名な奴(笑)。

 僕自身も1時間や2時間、当たり前のように入っているが、H樹ちゃんは2時間は当たり前だという。

 他のいとこが入れ替わり、立ち替わり入ってくるのに、僕らはじっと動かない。

 僕が先に、

「じゃ、先に上がるよ。」

と声をかけると、

「サウナで汗を流したら、上がるから・・・。」

って。

 もちろん一緒に入り始めたM志はそこにはいない。



「そろそろ、宴会の時間よ~。」

と廊下で従姉の声が聞こえる。







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2011年06月27日

駅弁(その二)







駅弁(その二)

(2011年6月18日~20日 いとこ会&故郷を歩く旅)



 そういえば、僕が食べた駅弁。

 もちろん、去年とは違う(笑)。

 いやぁ、本当はM志の希望したものと同じ弁当が食べたかったんだけど・・・、

 それではブログ的におもしろくないかと思って(笑)。

 僕が食べた弁当は、






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【北の海 幸づくし】






 ふむ、名前が、

 北の海~♪

 って言っても力士の名前ではないっ!

 箱を開けてみると・・・、






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【うわぁ~、豪華っ】






 カニとウニとイクラ、そして佐藤水産では人気ナンバー1とも言われているルイベ

 これはたまらん。

 しかも緑色は海藻で仕切られているところが、ちょっとお洒落だね。

 この仕切りは大葉などを使ってしまうと味が染み込んでしまい、生臭くなったりするんだけど、海藻だとそうならないので工夫されているなぁ。

 小さなこだわりだよ、こういうところは。






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【ルイベがおいしそう】






 ところが、このルイベ・・・、

 なかなか関東では手に入らない。

 M志がそぉ~っと箸を忍ばせて、2切れも持って行きやがった。

 僕が口にしたのはたったの1切れ。

 うわぁ、一番の珍味がぁぁぁ。

 とろける舌触り。

 最高なんだけどな。



 昔は千歳空港から小樽行きという直通電車はなく、札幌で乗り換えなければならなかった。

 でも小樽の観光化がさらに盛んになり、今では30分に1本程度が直通電車として利用されている。

 ところが、いとこ会の会場になるホテルは小樽の先の余市という町。

 昔は函館本線として、札幌から、小樽、余市、函館までの直通電車があったのだが、今では全て小樽で乗り換えなければならない。

 去年のいとこ会では札幌に住む同い年の従弟M人が小樽の手前の南小樽駅に迎えに来てくれたのが、今年は仕事の都合で不参加のため、僕らは余市まで直接行かなければならなかった。

 もちろん、小樽駅で乗り換えて・・・。



 ここからは1両編成のローカル電車。

 趣があって旅行者には人気のようだが、昨今この電車を使う人が少なくなったってことだ。

 こういうところにも小樽の過疎化が見え隠れする。

 1両編成のわりには同乗した人々は意外と多く、座ることができない。

 緑多い山の中を電車は30分ほどで余市に到着。






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【余市駅のホームにて】






 実は小さな町、余市には全国的にも有名なニッカウヰスキーの工場がある。

 ウィスキーはあまり得意ではないが、父はよくここのウィスキーを飲んでいた記憶がある。

 また工場見学などもできるようだが、過去に一度も行ったことがない。

 今度、時間に余裕があったら覗いてみたいものだ。






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【ニッカの酒樽】






 また、余市はリンゴやサクランボなども比較的有名だ。

 昔は○○産のリンゴだよ、なんて言いながら果物を食べたことはないが、余市産のリンゴはテーブルの上に必ずといっていいほど乗っていたような気がする。

 小樽は山坂の多い町で、余市は比較的平野部分が多い町だが、ここも今では過疎化の一途をたどっていると思われる。

 僕自身は過去にほとんど余市を利用したことがない。

 まるで初めて来た土地のような新鮮な気持ちである。






◎6月27日(月)の日記

 今日は休みだったにもかかわらず、朝早くに目が覚め、洗濯をしながらのんびりテレビを見ている。

 外は雲に覆われているし、今にも雨が降るのではと思っていたのだが、思ったほどは降ってはいなかったようだ。

 ついつい睡魔に襲われ、日中も2~3度ベッドにゴロリ。

 何度も浅い眠りについているうちに、一日が終了。

 それほど暑くもなく、窓を開けていれば多少の湿度はあるが過ごしやすい。

 ついつい節電のことを考えて、エアコンはほとんどつけてない。

 これから夏本番・・・、

 エアコンがなくても涼めるような日が続くといいのだけどね。







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2011年06月26日

駅弁(その一)







駅弁(その一)

(2011年6月18日~20日 いとこ会&故郷を歩く旅)



 機内では座席もど真ん中だったこともあり、座ってまもなく浅い眠りに入ってしまっていた。

 離陸直前のエンジン音で目が覚めたが、睡魔の方が強く、宙に浮いた瞬間までは記憶があるが、その後はほとんど寝たっきりの状態だったようだ。

 身体がグラグラ揺れている。

 結構な揺れで、自分が飛行機に乗っているのは十分にわかるのだが、まるであの日・・・のような気持ちになった。

 あの日・・・。

 そう、東日本が大きく揺れた日だ。

 関東でも震度5以上の揺れだったが、それほど大きな揺れで目が覚める。

 心の中で、うわっという声を出したほど。

 機内放送が流れる。

 気流による揺れが激しくなる可能性があるため、シートベルトは着用していてください。

 右に左に揺れる。

 あまり気持ちのいいものではない。

 北海道上空もあまり天気がよくないようだ。

 それでも、僕の中では6月の北海道青空に違いないと疑わなかった。

 しばらくすると機体は徐々に高度を下げ始め、耳がキーンと痛くなる。



 数年前から機内での電子機器利用は法令で禁止されている。

 携帯電話はもちろんだが、ゲーム機器やデジカメなども含まれている。

 機内に入ってから離陸し水平飛行になるまでの間と着陸態勢に入り着陸直後までの時間帯だ。

 なんちゃってカメラマンとしては離陸時や着陸時に窓の外を写したかったのだが・・・。

 まぁ、それも座席が中央だったので、諦めが肝心か・・・。

 すっかり寝入っていたってわけだ。






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【白い恋人がいっぱい】






 空港到着後に座席から立ち上がったところで、一枚だけ写しただけである(笑)。



 先に到着していた従弟のM志とJR改札口で待ち合わせし、その後は駆け足で電車に乗ることに。

 去年は観光客も多く、空港から札幌まで座れることができなかったので、まずは席の確保をし、なんと結局駅弁を食べようということになった(笑)。

 M志は・・・、






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【鮭・いくら弁当】






 去年と同じ(笑)。

 鮭・いくら弁当を希望していたので、これを買うことに。






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【これで1000円ぐらいだから安すぎるかもね】






 やっぱり北海道に来たら佐藤水産だよね~。

 というか、いくらはやっぱり口にしたいよね~。

 旨そう。






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【もうすぐ小樽だ】






 千歳空港から札幌を過ぎ、しばらくすると日本海が広がる。

 この辺りから小樽になる。

 夏の日本海は比較的穏やかな海であるが、冬は大波で荒れ狂う日が多い。

 岩場には何やら鳥が日向ぼっこをしているようだが、見た目はのような鳥に見える。

 海鵜っていうのかなぁ?

 まぁ、そこまでは詳しくはないのでこれ以上は書けない(涙)。






6月26日(日)の日記

 今日も朝からびっしり仕事。

 ちょっと睡眠不足気味で一日が終わる。

 それでも救われるのは湿度が多少高くても気温までは高くないこと。

 これで気温が高ければ疲労も増してくるわけで・・・。

 明日は休日。

 一日中、寝ていたいっていう気持ちだ(笑)。







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2011年06月25日

ねんりん家







ねんりん家

(2011年6月18日~20日 いとこ会&故郷を歩く旅)



 朝食を終え、再び出発ロビーに移動した。

 すでに僕らの飛行機は出発準備を整え、ターミナル内に搭乗手続きの放送が流れていた。

 M志は僕より15分早くに離陸するために新千歳空港で再び合流する約束をして別れることにした。






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【エアドゥのカウンター】






 第二空港ターミナルはANAADOがメインだが、そのほとんどはANAである。

 ADOは一番奥にちょこっとあるだけで業界ではまだまだ小さな会社なのかもしれない。

 それでもより徹底したサービスで頑張っているADOを僕は密かに応援しているのだ(笑)。

 搭乗手続きをする際に、座席を決めるのだが、今回はなんと!!!



 開いている席が中央しかないって。

 えええ?

 中央って???

 大体、飛行機は座席AからGまであって、A・Bが左座席、F・Gが右座席となっている。

 当然、中央の席はC・D・Eだから、まぁ、仕方がない。

 通路側のC席かE席にでも座るとしようか・・・と思い、そのことを伝えると・・・。






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【手続きを終え】






 中央というのは、D席だという。

 えええ。

 ど真ん中かぁぁあああ。

 今まで飛行機を何十回も乗ってきたが、ど真ん中に座った記憶がない。

 一番座りたくない席だ。



 それは例えばトイレに行くときにも周りに迷惑がかかるわけで・・・。

 いや、それ以上に、

 窓の外の写真が撮れないんだよなぁぁぁあああ。

 っぷ、まるで子供みたいだ。

 窓際の席に座りたいなら手続きはお早めにってことだな。






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【搭乗口】






 がっくりと肩を落とし(笑)、搭乗口に進み、ボディチェックを終え、さらに奥に進むことに。

 空港で購入した、おじやおばへのお土産はキャリーケースの中にすっぽり入ってしまったので、この時点ではほとんど手ぶら状態。

 もちろんお土産はとらやの羊羹でもなければ、文明堂のカステラでもない。

 僕が今回選んだお土産は、55番ゲート付近にもあったので写真を撮っておくことにした。






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【ねんりん家】






 ここでも行列だ。

 もちろん僕だってねんりん屋のバウムクーヘンを食べたことは一度もないのに・・・。

 味も分からずに買っていくのはどういうものか、って思ったんだけどね。

 それでもこれだけの行列だ。

 まずいわけはない。






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【こんなバウムクーヘンを食べてみたい】






 バウムクーヘンってこうやって作るんだね~。

 これを輪切りにすると、あの年輪のケーキが出来上がるわけか~。

 そうだ!!!

 帰りに羽田に戻ったら、ねんりん家でバウムクーヘンを買うことにしよう(自分のために)。







shibacchi0821 at 23:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 「旅行(北海道11年06月)」編 

2011年06月24日

羽田空港でM志と再会







羽田空港でM志と再会

(2011年6月18日~20日 いとこ会&故郷を歩く旅)



 空港内をウロウロしていること20分、M志から空港(駅)に到着したというメールが入ってきた。

 お互い動いていると会えないから、改札口まで移動し、迎えることに・・・。

 すぐそばにあるショップに目をやると、崎陽軒のシュウマイが目に入り、去年のいとこ会を思い出す。

 そうだ!

 今年もみんなには崎陽軒のシュウマイだ(笑)。

 そこで数パックのシュウマイを購入し、エスカレーターで出発ロビーに向かい、お互いにエアチケットの手続きをすることにした。

 従弟のM志ANA(全日空)、僕はADO(エアドゥ)である。

 昔はANAばかりだったが、最近はADOに乗ることにしている。

 実は近年、格安料金で飛行機を利用できるようになったのはいいが、ANAは機内サービスがなくなってしまった。

 別にこだわってもいないが、ADOはコーヒーかジュースぐらいは出してくれるのだ。



 いや、それが目的ではない。

 ADOは5回利用すると1回無料になるのでちょっとお得感があるかな(ネットで会員登録をしておけば)。

 しかも2か月前の予約だと片道10,000円程度だしね。

 M志の今回のエアチケット代金は僕より4,000円ぐらい高い。

 ふふふ。

 今の時代、節電だけではなく節約っていう大きな枠で考えなきゃね。



 チケットを購入した後、おじ・おばにお土産買わなきゃ~。






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【東京食賓館】






 第二ターミナルにある東京食賓館に行けば都内のお店で悩まずに多くの有名なお土産を手にすることができる。

 これは本当に嬉しいことだ。

 今年の冬に帰省した時にはここでとらやの羊羹満願堂の芋きんを買っていったのだ。

 もちろん文明堂風月堂などもあるのだが、今回選んだのは・・・(後のお楽しみ)。



 M志と、朝ご飯はどうしようか・・・という話をしていて、去年と同じように北海道で弁当でも買おうということになったのだが、ターミナルの中には空弁という強い味方もある。

 で、ちょっと覗いてみたら・・・。






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【うわ~、佐藤水産のお弁当だ~】






 こりゃ、参った。

 羽田に来れば佐藤水産の弁当が食べられるんだよね~。

 これはお勧めの一品である。

 僕は今では佐藤水産のファンである。

 が、しかし・・・、

 ここで買うよりも本場の北海道の方がやっぱりいい(笑)。

 そんなことを話しながら、ちょっと移動することにした。






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【空港も大きく変わった】






 第二空港ターミナルは全日空とエアドゥがメインで、日本航空やスカイマークは第一空港ターミナルである。

 当然、第一空港ターミナルにはどんなショップやレストランがあるのかは目にしたことがない。

 たまには別会社の飛行機に乗ってみるのもいいかもしれないね。

 このエスカレーターの下にあるのが、






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【天ラーメン】






 冬にここで食べたのを思い出し、朝からラーメン。

 ここで食べようか・・・。

 と、M志を誘って入ることにした。






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【いらっしゃいませ~】






 比較的上品な味の天ラーメン。

 もちろん頼んだのは最もシンプルな醤油ラーメンだが、M志はそれほど満足げではない。

 それでもおなかは満腹になったし、時間もそろそろかな、ということで移動することにした。

 おっと、ここでもラーメンの写真を撮り忘れ。

 うひゃぁ、今回の帰省では真面目にシャッターを押す気があるのか・・・、ちょっと心配な自分である。






◎6月24日(金)の日記

 あぢぢぢ・・・関東の気温もすでに30度を軽く超え、外にいると汗がまとわりついてくる。

 まだ6月だというのに・・・。

 この気温、節電対策のためにどうしたらいいの?

 それでもわが家は比較的涼しい。

 風が通れば尚のことだ。



 学生時代、まだ収入なんてほとんどなかった時代・・・。

 あの頃、僕の部屋にはエアコンもなかったし、大学2年生までは扇風機もなかった。

 もちろん寝苦しい夜もあったが、こんなに暑かったわけではない。

 アパートも隙間だらけで、密封された立派な部屋じゃなかったから、よかったのかもしれない。

 たしかにCO2問題で地球温暖化が騒がれているが、一番は土じゃないのだろうかって思ってるのは僕だけかもしれないが、土や草があるだけで気温って下がる気がするんだよね。

 あの頃、僕の住んでいたアパートの周りは砂利道だったし、裏は緑で覆われた小高い山があった。

 今じゃ、きっとアスファルトになり、緑の多かった小高い山にも多くの住宅が立ち並んでいるんだろうなぁ。







shibacchi0821 at 23:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 「旅行(北海道11年02月)」編 

2011年06月23日

帰省の朝







帰省の朝

(2011年6月18日~20日 いとこ会&故郷を歩く旅)



 梅雨時期の旅行は雨に当たらないか。

 夕べ、布団に入ってからふと頭に不安がよぎり、再び起き出して、折りたたみ傘をキャリーケースの上に置いて眠ることにした。

 雨に当たるというのは北海道で、ということではなく、家から駅までの間のことだ。



 朝、目が覚め、カーテンを開けると曇り空ではあるが雨が降っていないのを知って安堵を感じる。

 一年振りに親族が会ういとこ会のための北海道帰省。

 一年なんて本当に早いものだ。

 寝る前に置いた傘をキャリーケースに入れながら、帰京したときも雨が降らないことを祈った。



 そういえば去年の6月にはわずかだが北海道でも雨が降ったっけ。

 昔とは違い、6月の北海道が爽やかとは限らないか・・・、などと思いながら準備をして家を出ることにした。



 毎度のことだが、時間には余裕を持って家を出たが、空港に着いてからは慌ただしい。

 京浜東北線で浜松町まで移動し、その後はモノレール。

 どんよりとした曇り空を眺めているうちに第二空港ターミナルに到着。



 いつもならモノレールで空の写真でも写すのだが、曇天だと何だか写したいという気持ちが沸き上がらない。

 いやいや、そんなことではなんちゃってカメラマンの名に泥を塗ってしまうぞ、

 って、思ったかどうかわからないが(苦)。






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【ここから帰省の旅が始まる】






 モノレールを降り、エスカレーターに乗る前にようやくカメラを取り出す始末。

 この一枚が今回初ってことだ。

 エスカレーターを登り、改札口を出ると空港ターミナルになるのだが、ここで一通のメールを入れておく。

 相手は同い年の従弟であるM志だ。

 去年のいとこ会のときには他に2人、計4人で羽田で待ち合わせしたのだが、今年はM志と2人である。

 M志の兄、Y志は仕事の都合で欠席、いとこの中でも若い茨城に住むM博は大震災の影響で未だに会社が100%動いていないということから、3週間ほど前に断念するというメールをもらっていた。






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【空港ターミナル改札口】



 しばらくするとM志から、あと30分ぐらいで到着すると返信が送られてきた。

 実は彼とも同じ飛行機ではない。

 今回は別々にチケットを購入したので、M志の方が僕より15分早い飛行機に乗ることになっていた。



 僕がそれでも早く着いたのにはわけがあった。

 今年も元気に頑張ってくれたおじおばにお土産を購入したかったからである。

 できれば通販で送りたかったのだが、何がいいか・・・時間もなかなか思うように取れず、考えきれなかったので、終いには空港で購入するのが一番いいだろうとの結論の末、少し早めに来て空港内のショップを覗いてみようと思っていたからである。

 それでもある程度の目安は点けておいたんだけどね。






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【ここで登場(自分で写してみた)】






 改札口から出発ロビーまでのエスカレーターで写した写真だ。

 うひょ、ここでウルトラ兄弟が登場。

 このネクタイ、買ったのはいいが、着用するチャンスがなかった。

 このままだとお蔵入りか、と思っていたんだけどね。

 ちょっとお茶目に着用してみた。






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【出発ロビー】






 大震災の影響で羽田空港のロビーも節電中。

 ロビーがちょっと暗めである。

 M志が来る前に空港の売店を物色してみることにしようっと。






6月23日(木)の日記

 昨日は外気温が30度を超え、太陽もギラギラ。

 うひゃぁぁああ、このまま梅雨明けかって思ったが、決してそうではないようだ。

 今朝はまた梅雨空。

 しっかり空は雲に覆われている。

 それでも予報では晴れの日と雨の日が目まぐるしく入れ替わるようだ。

 また最近ちょこちょこっと地震が・・・。

 関東でも揺れているが、西の島根県や北の青森県あたりを震源地としているものまで・・・。

 いくら地震大国とはいえ、本当に多くて気が気ではない。

 これ以上、日本を揺らさないでほしいものだ。







shibacchi0821 at 23:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 「旅行(北海道11年06月)」編