2005年02月

2005年02月18日

雪だ・・・

 天気予報はいつから雪だと伝えていたのだろう。

 どうせ今日も・・・と思って深夜遅くカーテンを開けてみると、ようやく今日雪が・・・降ってきていた。
 明日、真っ白になっていそうだ。

 いや、今でも充分真っ白になっている雪

 最近ブログが長くなっているので、今日はこれだけにしておこう。

 たまにはこんなブログでもいいよね





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2005年02月17日

僕と歌の関係?

 ちっとも天気予報が当たらない。

 結局いい天気じゃん。まぁ、当たらなくてOKだったんだけどね。雪なんか降ったらそりゃ、大変だもの・・・。

 夕べ遅くにようやくHPの絵のコーナーに一番お気に入りの絵を差し込んでみた。他の絵に比べても一番単純な絵なんだけどね、これが自分では一番気に入ってるわけ。

 これって・・・?

 あぁ、タイトルね。煌めく星のモンキーマイアっていうやつ。

 本当はね、「煌めく星だけにしたかったんだけど、やっぱ、せっかくのオーストラリアだったし、できることなら一応地域をシリーズ化っていうか、タイトルに地域の名前を入れてるから、これもそうすることにしたんだけど・・・。

 一応、このブログにも絵を入れ込んでおいてみようかと思う。

 HP作っているうちにいろんな機能があったんで、最大限の機能を使っているつもりなんだけど、この絵のコーナーはBGMも入れたり隠し絵を入れたりもしているんで、楽しんでもらえるかと思うのでちょっと覗いてみて下さいね。

 下の絵をクリックするとHPの絵のコーナーに飛ぶことができます

4f3f0f51.jpg

【煌めく星のモンキーマイア】

 ね、3色しか使わない単純な絵です。実際には微妙に何色も使ってるんだけどね~。こんなのでよければぜひ覗いてみて下さいねダッシュ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はさみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 僕は音楽というのは学校で習うものも、歌謡曲もフォークソングやJ-POP、洋楽も聞こえてくるものは案外受け入れてしまうタイプで、それは小さい頃からそうだった。

 まぁ、高校時代はその頃言われていたニューミュージック系が主に好きだったので、そういう曲を中心にして、バンドを作ったのである。

 それぞれ部活も忙しかったので、部活の終わった遅くに教室などを使わせてもらったりね、うちの高校は定時制もあったから、結構遅くまで学校を利用できたし・・・。

 で、高校2年の6月頃だったんだけど、教頭先生の目に止まって、
「8月に、ある行事で全国から2万人以上集まる催しがあるんだけど、そこで歌を歌ってもらえないか。」
という話になったわけ。
「2万人?」

 それは、北は北海道から南は沖縄、海外からも集まるもので、屋外の特別なステージで行うものだった。

 しかもその当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)も見に来るものだということ、そして200人ぐらいのオーケストラ(もしかしたら海上自衛隊のマーチングバンドだったかもしれない)まで用意してあるものだった。

「なに、それ?」
って感じでしょ?いやぁ、あれにはちょっとびっくりだよね。

 教頭先生の話でもあるから、僕らのバンドは完璧な正統派に見られていて、純粋に受け入れられてたみたいで、その夏には大スター気分を味わうことになったのだ。

 その場所に到着したときには誰も僕らのことなんか知らなかったわけでだけど、ステージが終わったときには、一人に対してガードマンが4人(で手をつないで輪を作ってその中に自分が入る)、移動バスのところまで誘導してくれなければ歩けない状態だった。

 大袈裟に書いているのではなくて、このときのことは本当にすごいことになっていて、サインこそ求められなかったが(そんなことがあるはずがない)、住所などを聞いてくる人々でごった返してしまって最初で最後のスター気分を味わうことになってしまうのであった。

 その後も、他の高校の文化祭やら、高校生の集まる催し物に(これも教頭先生からの通達だった)出る羽目になってしまっていたのである。

 一緒にバンドを組んでいたD君は今では画家として活躍中だが、J君とは音信不通になっている。

 高校時代は僕にとって毎日が忙しく、24時間では足りないと思ったほど素晴らしいものを多く体験できた時代でもあった。

 多田武彦の男声合唱組曲に魅せられて、W大学のグリークラブ(男声合唱団)の演奏会を聞きに行ったときには背筋が震えるほどの感動を覚え、僕の頭がよかったら、そこに行きたいと思った時期もあった(行けるわけがないんだけどね)。

 実は大学に合格したことを職員室に報告に行ったところ、一部の先生から、
どこの音大に合格したんだい?
と訊ねられたほど、音楽好きな人間でもあったのだ。

 今は誰もが信じられないような声(・・・美しくない)をしているから、こんな話嘘っぱちに聞こえるかもしれないな。

 今となっては懐かしい話・・・。

  

 






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2005年02月16日

僕と歌の関係?

 朝から冷たい雨・・・。

 一日中ずっと降っていた。昼に外にチラッと出てみると、なんと芝のところにわずかではあるが雪が・・・。寒かったなぁ~

 なんか頭痛もするし・・・風邪じゃなきゃいいけど。

 んで、今日地震があったの
 
 早朝に・・・。

 全然気づいてない

 しかも僕の住んでいる地域は震度4だったって・・・。いやぁ、もしかしたらデカい地震が来ても、朝4時じゃぁ起きないんだろうなぁ

 話はチラッと変わるけど、相変わらずHP作りにハマッている。

 で、旅行記は終了したし、絵のコーナーを少し頑張って膨らませている。パソコンで描くと失敗してもすぐに消せるからいいのだけれど、なかなか遠近感が出せないので、風景などを描くにはつらいところもあるけれど、楽しいモンだな。

 一つの絵を拡大して見ると隠し絵も出てくるので、ぜひ一度見て下さい。

 雑な絵が多いので評価はしないでねぇぇぇ。

 パースの街を知っている人はイメージが違うかもしれないけれど、僕の中のパースだと思ってくだされば幸いです。

 出来上がった絵の中で、もっとも音楽とマッチしてるなぁって思うのは、タイトル星の街パースなんだけど、やっぱ、絵が雑だね。でもでも、いい味出してると思うんだけどなぁ。

 詩においては、ちょっと才能ないんだけど、思いの丈を入れたみた。まぁ、照れくさいんだけどネット上のお遊びと思ってくれれば充分です。

 一番大好きな絵はまだこのHPでは公表をしていないので近々公表するつもりです。すっごい単純な絵なんだけど、これ以上の表現はないと思って描いたものですのでお楽しみに~。

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【最近ハマりまくりです】

 上の写真はタイ産のチリソース

 この間、輸入専門のマーケットに行って購入したもので、赤と黄色があってとりあえず黄色を買ってみた。やっぱりチリソースはシーフードがいいらしいので、今度またチャレンジしてみようと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はさみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 僕と歌の関係なんていうタイトルにしたが、どこからどうやって書けばいいのか見当がつかず、上手な文章が書けそうにない。

 で、滅茶苦茶になるかもしれないけれど、まぁ思いつくところを抜粋して書いてみようと思う。

 小さい頃は運動音痴の僕にも実は夢中になれるものがいくつかあった。その中の一つが音楽である。歌うことも好きだし、楽器を使うことも好きだった

 小学3年生になって、何故か僕は強制的に音楽クラブに入らされてしまった。そして6年生までの4年間、遊びたいときもあったのに音楽クラブでコンクールなどにも出ていた。

 そのまま中学に入り、まだ運動の苦手だった頃、最初に在籍したクラブ活動が合唱部。まず、ここで僕のその時代を知らないで現在を知っている人は、
「え~。」
「似合わね~。」
「マジ~。」
と言うだろう、きっと・・・。

 その昔、まだ変声期が来るまでは、カナリアのような美しい声だったんだから~。(って、誰も知らないから何とでも書ける。ぷっ)

 冗談はこのままにして、中学一年の2学期から体育系の部活動に専念をしながらも、練習日は毎日ではなかったので、合唱部にも在籍しながら3年間を過ごしたのである。

 そして高校時代の話だが・・・。

 僕の入学した高校は合唱においてもかなり有名校で、実はその過去にNHKコンクールの全国大会でも数回、最優秀校になった実績のある高校だった。

 しかし、僕は最初から体育会系の部活を選んでいたのだが、どうしても合唱部に入ってもらいたいという勧誘を受け、しばらくの間、断わり続けていた。

 体育会系の部活を優先にして構わないので、合間をぬって部活に参加するという条件で合意をもらったのである。もちろんキャプテンの合意をもらって・・・。

 結局、ほとんどは体育会系の部活で過ごした3年間でもあったが、実は合唱部も継続してしまったわけである

 高校一年のときは一部の先輩に嫌がらせも受けた
「生意気だ。」
とか、
「部活(体育会系)をやめたら?」
など言われたが、キャプテンの許可をもらってのことだったから、3年生は納得してくれていた。

 しかし、この3年間で全道大会の優秀校にまではなったが、全国大会に行くところ(最優秀校)まではなかった。

 また、音楽というか、フォーク系の歌にも興味を持ち始め、高校1年の終わり頃に友人3人でバンドを作ったのだ

 使う楽器はギターやキーボード程度で、今では懐かしいフォーク系バンドである。別にこれでプロになるなんてことは考えてなかったし、本当に気の合う友人と趣味程度に作ったバンドなのである。

 一応、僕がボーカル兼キーボード、友人DとJがギターを担当していたのだ。

 今思えば本当にへたくそなバンドだったが、これがまた、へんてこなことになっていくのである。

つづく












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2005年02月15日

人生を変えた出来事?

 このテーマでこんなに書くつもりはなかった。

 それなのに今日で6回目・・・書いていくうちにアレもコレもと思い出してしまい、せっかく思い出したんだから書き留めておこうと思っていたら、周囲の人からの反響も多くて、なんだか気恥ずかしい思いをしながら書いている。

 今日yahooのニュースでTVドラマやドキュメント番組で有名になったヤンキー先生が突如退職をするということを知り、彼のブログを読んで涙が止まらなかった。

http://blog.goo.ne.jp/yankee-yoshiie-kokoro/

http://www.yoshiie.jp/

 実は彼の職場である高校は僕の実家からわずか車で15分のところにある。

 400件を軽く越していたコメントを読んで彼は何を思い、これからどんな道を歩むのか、教育とは何なのか僕も少し考えてみたくなった。

 がんばれ~、ヤンキー先生!!

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【進め~進め~】


 さて、本来行きたかった大学を諦めた僕の心にもう一度火をつけてしまったことで、僕はその日から数学の勉強ばかりをするようになった。英語や国語はどうでもいい。数学で点数を取ることが必要だったのである。

 願書提出は12月、受験は2月である。それからは毎日が地獄であった。地獄であったけれど、もう僕はそれを止められなくなっていたのだ

 その大学を受験したのは3人、そして合格したのはそのうちの2人だった。母校からその大学に合格したのは何と10年ぶりだそうで、I先生にとってはそれが嬉しかったに違いない。

 いや、あのときにI先生が僕を家に呼んで説得させてくれなければ、たとえ他の大学に合格したとしても先生はもちろんだが、僕も心の底から喜ぶことはなかったと思う

 なぜこうまでしてI先生は僕をその大学に入れたかったのか・・・、実はその裏にはもっともっとドロドロとした物語があったのである。それは、また別の機会に書くことにしたい。

 しかも部活に入ることも決めてはいたが、実はここの大学はその当時、全国でもトップクラスで僕のような人間が相手になるところではないのだ。

 レベルが違いすぎるのも充分解っていた。

 K先生との出会いでここまで成長してきた自分を大学で試すことができるかどうか、正直言って自信はなかったが、やるだけやってみようという気持ちで僕は寮の申し込みをすることをお願いした。

 高校を卒業しても上京のぎりぎりまで僕は高校や市の体育館に通って、後輩の育成と言いながら自分のトレーニングなどに明け暮れていた。また他の部活の指導までやってのけていたのだから笑える。

 僕のクラスは全員が進学希望であり、就職をする人はいなかった。

 そこで卒業後に地元を離れる仲間に対して、用事がある人以外は全員で見送りをするというルールを決めていた。つまり故郷に残る人は全員を送り出すことになるのである。

 僕が上京をするのはクラスで2番目に早く、見送りには先に上京した友人1名をのぞいて全員が来てくれた。卒業式では泣くことさえなかったのに、このときは親友たちと握手をして、
「すぐ東京に行くから迎えに来てくれ。」
「夏休みにはまた会おう。」
という言葉をかけてもらっているうちに淋しさがどんどんと募って涙が止まらなくなってしまったことをついこの間のように覚えている。

 人との出会いは人生を良くも悪くも変えていくが、僕の中学・高校の恩師との出会いは大きな転機を与えてくれ、クラスメイトは僕にとっては多くの想い出を残してくれた素晴らしい仲間である。

 学校生活をこれだけ素直に素晴らしいと言える生活を僕は送ってきたのだ。

 3月ももう終わりだというのに、街は雪で真っ白になっている夜だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はさみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 こんな昔話をこうやって書いてしまったのは、やっぱり僕にとって自分の人生に大きく影響した人のことを忘れたくない、忘れてはいけないと思い、自分の想い出を書き留めておきたくなったのかもしれない。

 けっして美しい想い出、楽しい想い出だけが頭の中にあるのではないが、やはり過去を振り返ると楽しかったことばかりが浮かんでくるのだから、よっぽど楽しい学生生活を送ってきたのだと思う。

 このシリーズを書いていくうちに、実は僕にはもう一つの顔があって、スポーツに明け暮れていた自分音楽に明け暮れていた自分がいるのだが、今度は音楽を通した話を書いてみたいと思っている。

 いやいや、これって今どき古くさいかもしれないけどね・・・。

 また、学生という自分の生きてきた道の途中で教育実習での自分も書いてみたいと思っている。ここにドロドロとした人間ドラマがあるのだ。

 決して自慢話としてではなく、精一杯生きていた時代のことを文章として残しておきたくなっただけで、鼻につくような文章だった場合は、読むのをキャンセルしてくださいね~。





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2005年02月14日

人生を変えた出来事?

 昨日は中学時代の僕の人生に大きく影響のあった先生のことを書いたが、今日は高校時代のことにも少し触れてみたいと思う。

 以前、ほのかな恋心(?)を綴ったときに、兄のように慕っていた部活顧問のK先生の存在は大きいものだったが、実は高校一年のときの担任のI先生はそれ以上に大きい存在であった。

 3年後の未来にK先生もI先生も、僕が進学した大学の大先輩になるとは・・・。

 いや、実はそれ以前から(13歳の時に)どこの高校に進んで、どこの大学に行きたいかという人生設計だけはできていたのである。

 ただ、それらの学校が僕を受け入れるかどうかは神様だけが知っていたのであるが・・・。

 しかし、偶然にも希望校に入学ができて、その高校の最初の学年でI先生のクラスだったことは僕の人生にとって最高の道標にもなっていくのである。

 当時I先生は30代後半であったが、生徒の話をよく聞いてくれ、いつも夢を語ってくれる先生であった。3年間I先生のクラスであったらどんなにいいだろうとよく話していたものだ。

 高校1年生のときにI先生の家族に女の子(第一子は男児)が仲間入りした。

 生まれた翌日、僕ら生徒は子供の名前を冗談で黒板に書いた

 大きな字で花子と・・・。

 数日後、朝礼で先生は、
「お前たちの要望通り、名前はHANAKOと名付けた。」
と話してくれた。

「いや・・・あれは、冗談で・・・。」
と誰かが言った。

「冗談でもいい。お前たちが名付け親だから何かあったら娘のことはよろしくな。ただし・・・。」
と付け加え、話を進めた。

「いまどき『花子』じゃ、あまりにも将来が可哀想かナァって思ったので・・・」
といい、黒板に大きく、
華子
という字を書いて、
「・・・という名前にしたから・・・よろしく~。」(読者の方に花子さんがいたらごめんなさい)

 そう、この華子ちゃんの名付け親は僕らなんだから・・・めんどうみてあげなきゃなぁ、と16歳の少年たちは何となく鼻高々な気分にさせられたことがある。

 残念なことに高校2~3年生のときは担任ではなかったが、僕はことあるごとに進路についてI先生に相談をしてきた。

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【ほのぼの】


 高校3年生の最終進路の決定のときに、実は以前から悩んでいたことがあり、入学試験の科目に数学が入っていて、数学の苦手な僕は6年間も思い続けていた某大学の試験を断念することを密かに決心していた。そして、得意科目の社会のある大学を選び、進路変更の提出をしたわけだ。

 そのことをI先生にはどうしても言えずにいたのだが、12月締め切りの願書提出が間近になったときに、I先生に呼び止められ、
「しばっち、お前・・・進学の変更したのか?いつからそうしたんだ?」
と聞かれて、
「先生、僕はやっぱり数学が苦手で、どうしても合格する自信がなくて・・・。何度も考えた結果なんだ。」

 するとI先生は、
「今日、先生の家に来い。先生からお前のお母さんには連絡をしておく。」
と、急遽、I先生の家に泊まることになった

 その日の夜は延々とI先生の母校の話を聞かされた。

 僕の心はせっかく決心した進路変更をグラグラと揺り動かされていた。

「先生からのお願いだ。もうひとつの大学を受けるのは構わない。でも、6年間も思い続けてきた大学を捨てることはしないでほしい。絶対に後悔する受験だけでもいいからしてくれないか。」

 このときの会話はこんな単純なものではなかった。何度も僕は首を横に振りながら、半べそ状態になっていたと思う。

 さらにI先生は本音を僕に暴露したのである。
「先生はお前が行こうとしている大学にお前を行かせたくないんだ。お前の夢をつぶしたくないから。」
と・・・。

 その言葉は僕の胸に痛く突き刺さった。

 13歳のときからの僕の気持ちを知っているI先生はとうとう僕の気持ちに再び火をつけてしまったのである

つづく

 





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2005年02月13日

人生を変えた出来事?

 僕の人生は13歳で出会った体育教師のN先生と部活顧問で数学教師のK先生が大きく進路に影響を与えてくれた。

 また高校時代には担任で体育教師のI先生と部活顧問の体育教師のK先生(恋のライバルか~)に助けられながら歩いてきた。

 とにかく僕は先生方に恵まれた生徒であった。

 いや、もしかしたらその頃は教師という職業を持っている人たちに僕は憧れ、周りにいる先生をいつも尊敬するようになっていたのかもしれない。

 中学時代にスポーツの全く苦手な僕を褒めてくれ、それがきっかけで目覚めていく。とにかくこのN先生は厳しい先生だった。その先生の前ではみんな怯えているようにも思えた。

 厳しい先生であるのは、当然理に反したことをするから恐いんであって、平気でビンタも飛んできた。

 それは今考えると僕らにとっては必要な躾でもあったわけだ。

 今の世の中、生徒の悪い行いを見て見ぬふりする先生が多い中、体を張っていいことと悪いことを教えてくれる先生にはやはり生徒はついていくものなのである。

 とても厳しい先生ではあったが、生徒の悩みをいつでも聞いてくれる先生でもあった。

 N先生は担任ではなかったが、僕にとっては自分の人生を大きく変えた先生であり、卒業式の終わった後、校門を出て行くときにそっと大きな手を差し出し、ぎゅっと握手をしたときのことは今でも忘れられないでいる。

 また部活顧問のK先生は担任ではないが、数学教師ということもあり、周りの生徒のほとんどに嫌われていたが、僕はそうではなかった。

 スポーツ万能の、そのスポーツ筋ではかなり有名な先生であり、それでいて数学の授業も生徒にわかりやすく教えてくれる先生でもあった。

 今でも忘れられない出来事が2つある。

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【蒼の世界に】


 ひとつは中学3年生の修学旅行のとき・・・。

 旅館での出来事だが、夜遅くに廊下で大声で騒ぐ人間がいた。

 しばらくすると部屋の扉が開いてK先生が、
「しばっち~Ψ(*`◇´*)Ψ
と怒鳴りながら入ってきて、
「廊下で何騒いでいるんだ~。」
と言ってきた。

「先生、僕じゃぁないよ~。」
というのだが、
「お前だろう~、大声出して廊下を走り回っていたのは・・・。」

 説明をしても納得をしてくれず、僕はふてくされて布団にもぐってしまった

 翌日、先生は誤解だったということを知り、謝ってきたのだが納得できず、その日以来、しばらくの間、会話をしなかったことがある。

 また中学3年生の夏の最後の大会の決勝で僕は友人Tとダブルスを組むことになる。それが原因でA中学に負けるのだが、その敗因は友人Tとの他愛もない喧嘩であった。

 たまたまその大会の前日にTと喧嘩して(まぁ、中学生の喧嘩だ)、それは大会当日にも続いていたわけだ。

 その喧嘩は顧問のK先生も知っていたことだが、あえて2人を組ませたのだが、きっと考えがあってのことだと思う。

 結局負けてしまうのだが、本来それが原因で負けたといっても過言ではないのに、K先生は、僕ら部員に謝ってきたのである。

 僕は心苦しかった。
 自分たちの喧嘩が原因だったのに・・・。

 実は卒業式の時にK先生からこの2つの出来事を書いた内容の手紙を渡され、
「しばっちみたいな生徒がいるから、先生は先生をやめられない。」
という内容の手紙をもらい、それを読んで涙した。

 その手紙は今でも大切に保管してある。

 その後、高校に入学しても大会などにはちょくちょく役員として顔を出していたので、僕の成長ぶり(本当に成長していたかどうかは不明)を陰ながら応援してくれていたと思う。

 すでに13歳の大きな変化のあった頃から、僕は体育教師を目指し始めていた。

「こんな先生になりたい!」
と夢を持つようになっていった。

 その夢はいつしか別の生き方にも影響していくのだが、それはまた別の機会に書くことにしよう。
 
 人生って何かのきっかけでどんどん変化していく。

 その頃の僕は周りの人たちに多くの夢をもらっていたわけだ







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2005年02月12日

人生を変えた出来事?

 生徒は先生に褒められるというのは嬉しいこと。

 ましてや、それが一番苦手な体育とくればなおのことである

 僕の人生はその一言でどんどん変わっていったのである。

 わずかな小遣いと母親から前借りをしたお金を足して、スポーツ用品店へ行き、バレーボールを買った。毎日、友人と遅くまでバレーの練習をした。

 部活も体育会系に入り、そのうちそのスポーツにもハマってきた

 中一の2学期に新設された部活。部員は中二の先輩一人と、あとは中一が10人ぐらいだったろうか・・・。

 やるからにはどうしても他の誰にも負けたくなかったのである。

 いつのまにか、僕は一大決心をすることになる。

 朝6時から7時までの1時間をトレーニングに当てることにしたのだ。

 勿論朝の弱い僕には起床というのが天敵である。

 僕は母親に、
「明日の朝からトレーニングをしたいので、毎日朝6時に起こして~。」
とお願いすると母親は、
「何日続くんだろうね~。お母さんは3日だと思うよ。・・・で、雨の日はどうするの?」
と小馬鹿にした言い方で言ってきた。

 僕はその言い方に少々腹が立ち(反抗期でもあったためか)、
「毎日起こしてほしいんだよ。」
とプイッとしながら言った。
 
 トレーニングのメニューはかなりきついものを作った。もちろん、今の部活でも活用でき、将来バレー部に入ったときにも役に立つメニューだった(と思う)。

 初日は何とか起きれたが、すごい内容のトレーニングだったので、2日目からが地獄だった

 足腰が立たないほどの筋肉痛である。

 しかし、あのときの母親の言葉と、
「やっぱりね~。」
と言われるだろう、母親の鼻で笑う顔が浮かび、絶対に続けてみせるという思いが先に立つようになってきた。

 身体の節々が痛かったのは最初の一週間。

 それからは身体も慣れてきていつの間にか早朝のトレーニングは中学時代(宿泊を絡む行事のある日以外は)一日たりとも休んだことはない。雨の日も雪の日も続けた。

 中学時代の成長期はおもしろいように身長も伸び、体力もついていく。

 今になっても忘れられないのは、スポーツテストや体力測定の結果が笑えるほどの成績だったことだった。

 50m走や持久走は学年でトップ(タイムは忘れたが)、垂直跳びはトレーニングを初めてわずか3ヶ月で30cm高くなっていた。

 反復横跳びなども含め、ほとんどがトップクラスになってしまった。

 小学時代までほとんどビリの成績だったのが、どんどんトップクラスになっていく自分の姿を見ているのは楽しいものだった。

 もちろん部活の成績もびっくりするほどの成果を上げた。

 しかし、それとは反対に、学業はどんどんと低下していく一方であった。

 高校も、行きたいと思っている高校は、
「今のしばっちの成績では希望校には入れないだろうから、一ランク下げなさい。」
と通達があるほど低下していたのだ。

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【フラミンゴの足は右足?左足?どっちで立ってるの?】


 しかし、僕としてはそこの高校以外には行きたい高校もなかったので、
「落ちてもいいので、受けさせて下さい。」
とお願いし、なんと合格もしてしまったのである。

 ラッキーなことにこの年の受験者数が例年に比べると少なくて、不合格者はほんのわずかだったのだ

 先生はこう言った。
「去年だったら完璧に落ちていたぞ。」
と・・・。いや、これも運命だ・・・(笑)

 その後、顧問の先生は、高校にまで出向いて僕を紹介し、中学卒業後、高校入学までの春休みの間、合宿に参加させてしまうほどにまでなっていたのである。

 そう、もうその頃には夢に見ていたバレー部よりも今までやって来た部活の成績がよかったことで、13歳のときの夢は消えていったが、それでも僕の新たなる夢はどんどんと膨らんでいったのである

 たった一言、苦手な体育の授業で褒められた生徒が、その日から大きく人生が変わっていくのであるから、人との出会いというのは偶然とはいえ、すごい影響があるものだと思ったわけだ。

つづく





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2005年02月11日

人生を変えた出来事?

 3連休の初日、な~んにもすることがなかったからなんとなくTV見てたり、パソコンをいじくって一日が終わってしまった。

 こんな休日の使い方ではどうしようもないな、と思いながら・・・。

 HPも旅行記はとりあえず最後まで出来上がった。あとは少し色づけをしたいという構想があるので、ちょこまかと動かしてみようと考え中だ。

 また絵も残すところあと一点(書き終わってはいる)だが、せっかくだからこれも遊び心を入れてある。描いた絵の部分をマウスでころころ転がしてくれればわかるかも・・・。

 まぁ、旅行記も長ったらしい文章になってしまったけど、読んでみたい方は下のURLで覗いてみて下さい。

http://www.geocities.jp/syun_imaga2003/


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【キムチは好きですか?】


 最近いい写真がない・・・なぁ。

 そそ、人生を変えた出来事?でしたね。



 僕の指はボールを軽く弾き、先生の前に高く上がった。

 ところが・・・だ。

 そのお手本のようなボールを先生はタイミングよくスパイクを打つことができなかったのだ。いや、実はそのトスは僕の実力ではなく、本当に偶然にうまく上がったトスだったのである。

 先生は見学をしている生徒も含めて、
「悪い・・・、悪かった・・・。今のは先生が悪い。」
と謝ったのである。
「しばっち、ごめん。もう一度たのむよ。」 

 僕はあまりにも上手にトスの上がった自分に驚いていた

 2度と同じボールは上がらないだろうと思いながらもう一度、セットポジションに立った。

 1回目と同じように先生は下手投げでボールを投げてよこした。

 そのボールを高くトスし、その下に先生は走り回り、ジャンプをして思いっきりスパイクをした。

 「今のしばっちのトスのように、相手の打ちやすい位置にボールを上げること~。」
と、今まで体育の授業で一度たりとも褒められたことのない僕が生まれて13年目にして初めて褒められたのである。

 クラスメイトの前で見本となってトスを上げることはもちろん、褒められたことはその後の自分の人生を大きく変え始めていた。

 田舎の中学校には男子バレー部がなかった。

 そして、僕はバレー部を作りたくて何度か先生たちにお願いをしたのだが(もちろんひとりではない)、受け入れられることはなく、それならば高校でバレー部に入るためにも、今のうちから体育会系の部活に入ろうと決心したのである。

 その出来事と同時期にあるスポーツの部活を増設するということで(そのスポーツの第一人者がその年に我が中学校に就任してきたこともあり)、その部活に入るように担当の先生に勧められ、渋々入部することにしたのだ

 本当にここまでの自分はスポーツに全く縁のない人生を送っていたのである

 それが、体育の授業で先生のたった一言の褒め言葉に(乗せられて)僕の人生はどんどん変わっていくのだが・・・。

つづく







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2005年02月10日

人生を変えた出来事?

 さぶいね~、やっぱ冬だね。

 でも日が長くなったなぁ、とひっそり思う今日この頃・・・。

 なんとなくHPの旅行記(だけ)もほとんど出来上がってしまい、最後のあとがきを残すだけになってしまった。これはずっと日記を書き続けてきていたから、今回のHP作りのときはレイアウトだけを考えて、コピーしていたので難しくはなかった。

 趣味の一つでやっているも、以前から描き残してあるものだったから、まぁほとんどできてきている。

 ふとメイン部分ができちゃうと、この後が続かない。少しずつ手直ししたりしてるんだけどね。

 たとえばリンクを入れ込んだり、BGM入れたりね・・・。

 こういった作業は慣れれば簡単にできるんだろうけど、やっぱり慣れてない僕にとっては結構大変なことなのだ

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【鳥も寒そうです(名前忘れた~)】



 さてさて、この間は高校時代の話や小学時代の話をしてみたが、スポーツ嫌いの僕が高校ではスポーツの世界にどっぷりつかっていたわけで、それはいつからかというと・・・中学1年の2学期だったんだ。

 中学校に入学したときには、やっぱり文化系のクラブに所属した。まぁ、文化系のクラブというのはここでは書かないけれど、相変わらず運動音痴の少年だったわけだ。

 2学期の体育の授業はバレーボールなどの球技で、中学1年生は主にパスの練習が中心だった。

 僕はそれまで(1学期)の陸上などは胃が痛くなる思いで授業に出ていたわけである。

 2学期のある日、いつものように2人組になってパスの練習をしていたときに、偶然にも何度かそのパスが続き、それを見ていた先生がこう言ってきた。

「これからトスをして、スパイクを打つ練習をします。先生がお手本を見せるので・・・。」
と周りを見て、
しばっち~、ちょっと先生にトスして下さい。」

 僕は自分が指名されるなんて思っていなかったから、しばらくボケ~ッとしていた
「お~ぃ、聞こえてるか~。」

 隣の友達が僕の肩を叩き、お前だぞ、という仕草をして初めて我に返った。
「は、はい。」

 なんでだよ~。運動の苦手な僕だということは知ってるじゃないか~、という思いで前に出る。

 しぶしぶと僕はネットのすぐ前に立って、構えた。

「しばっち、失敗してもいいからな。」
と先生の声が飛ぶ。

 先生はネットから3mぐらい離れた位置に立ち、
「ボールを投げるから、ネットそばにトスをするんだぞ。」
と言って、下からゆっくりと僕に向かってボールを投げた。

 ボールは大きく弧を描いて僕の頭上に飛んできて、そのボールを指ではじいた。


つづく
  






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2005年02月09日

ワールドカップ最終予選

 いやぁ、押されてる試合だと思っていたけど、なんとか勝ち点3を取ることができたジーコJAPAN

 大黒がブレーキになってるだろ~って後半ぶつぶつ思いながら、最後はその大黒のシュートォォォォォォォ~って感じで、よくやってくれましたね~。

 今朝、外に出てみると道路が凍っている。凍っているわりには気温は高く感じられる。8時だというのにフロントガラスは氷が貼り付いている。

 自分の身体がおかしいのかってふと疑問に思った。

 それにしても眠い。昨日も睡眠不足状態だったので、目がしょぼしょぼしている。その影響かもしれない。

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【いよいよ始まりま~す】


 というわけで、対北朝鮮は辛くも2対1で勝ったが、これからも油断しないで頑張ってほしいものだ。

 もう眠いので今日はおやすみ~ZZZブタ


 


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