2005年10月

2005年10月21日

昼間の密会

 いい天気だね。

 これぞ・・・。

 周りの人は、寒かったと言うが、僕はそれほど感じていない。

 晴れている日は、爽やかに感じるんだけどね~。これは朝の話・・・。

 日中は、ちょっと外に出る機会があったんだけど、汗ばむほどだった。

 で、ついふらふらと公園に行ってしまったのは、ヒミツね。

 昔、この公園のそばに友人が住んでいて、その家の隣が俳優の西○敏○の家だったんだけどね、一度も会ったことがなかったけどね。

 今は区画整理かなにかで、どこかに引っ越しちゃったらしいが。

f39e05f4.jpg

【ボクはキミが好きなんだぁぁぁああああ】

 その公園、蘆花公園っていうんだけどね。あ、この漢字難しいね~。そそ、「ろかこうえん」ね。

 で、ちょっと写真を撮ろうかと、あちらこちらを撮っていたらこれ・・・こんなことを言ってたかどうかはわからないけどね・・・。

 いやぁ、恐かったよ

 一匹とかじゃないし~。

 クマンバチでしょ、これ・・・。

 花に止まる時って、ヒシッと抱きしめるんだね。花もビビっているのかと・・・。

 それにしても、このクマンバチ・・・、落着きがなくって、すぐ飛んじゃうからなかなか上手には撮れなかったよ。

 で、何気に・・・右上の花の陰には、おそろしき毛虫が・・・汗

 ううぅぅぅ恐かったぁぁぁああ

 っていう話。



at 23:59|PermalinkComments(0) 「自然」編 

2005年10月20日

川崎物語

 今年の初詣で川崎大師に足を運んだが、それ以来川崎には行くこともなかった

 昨日、友人と久しぶりに再会して、お互いの共通の場所に足を運んでみようと学生時代に住んでいた川崎に行ってみることにした。

 僕が大学時代に住んでいた街は、同じ川崎でもほとんど北側の小田急線向ヶ丘遊園駅である。工業地帯の川崎のイメージは全くない比較的のんびりとした場所である。

 近くには専修大学などもある学生の街でもある。

 世田谷区から川崎市に引っ越しをしてから、約3年間(実際にはもう少し長い)はここでひとりで淋しく(?)、アパート暮らしが始まった。

 
344090b4.jpg

【どこにでもある駅前の風景だが】


 小田急線も都内はほとんど高架になっていたが、多摩川を渡るとそれほど大きく変わっていなかった。

 改札口を出ると目の前には記憶に残る小さなロータリーがあり、左側にはときどき立ち寄ったカレーライス屋さんが・・・。

 しかし、ラーメン屋がなくなって不動産屋になっている。

 ビルもほとんど新しい。

 何よりも驚いたのは駅から遊園地までのモノレール消えていることだった。

 それに伴って道路も多少変わってしまい、時代の流れを痛切に感じたものだ。

 のんびり歩きながら、昔、住んでいたアパートまで足を運ぶことにした。

「ここには本屋さんがあったね。」

「ここにはオムレツ専門の店があって、よく食べにいったね。」

「たしか、この道を曲がると銭湯があったよね。」

 しかし、それらは全てなくなっていたのだ。

 昔、お世話になった人たちはいないのだろうか・・・。

 そして、駅から歩くこと10分弱・・・、僕の住んでいたアパートは立派なマンションに変わっていた。

4f02b3bf.jpg

【この住所が学生(川崎)時代の住所でした】


 あのときは、専修大学や国士舘大学の学生が住んでいて、みんな仲良くて、よくそれぞれの部屋で酒を飲み交わしたものである。

 その当時、木造2階建てのアパートが3棟あって、僕は2階角部屋に住んでいた。6畳の和室と3畳の台所にトイレが付いていた。

 風呂がなかったから、毎日近所の銭湯に通っていた。

 そして、今ではそれらは全てなくなっていたのだ。

 マンションの後ろに回ってみると、
「あ、あのアパートは昔もあったよね。」

 ようやく昔の面影のある景色があったわけで、それだけでも充分満足する想い出が甦っていた。

 もう2人は今の年齢をすっかり忘れて、20歳の青年に戻っていた。

 夕方には再び新宿に戻り、軽く飲むことにした。

 翌日、早朝には成田に行かなければならないTとはそこで別れることになったのだが、実はこの12年の間、お互いに連絡が取れなかったのも事実なのである。

 僕も引っ越しを2回していたし、Tもそうだった。

 今回、故郷に戻ったときに、Tは僕の家に行き、母親から電話番号を聞いて連絡が取れたわけだ。

 これからこんな事がないように、PCと携帯のメールアドレスを教え合い、お互いに密に連絡が取れるように約束をして別れた。

 今度Tが日本に戻ってくるのが先か、僕がイギリスに遊びに行くのが先か・・・。

 それは時間が経ってみなければわからない。

 この歳になると、男同士の別れは照れくさい

 僕は埼京線に、Tは山手線に、それぞれ乗り込むことで、連絡通路で握手をして別れた



at 20:02|PermalinkComments(0) 「仲間」編 

2005年10月19日

新宿物語

 今日は待ちに待った友人Tとの再会の日だというのに、家を出たのは予定より10分遅れ。

 Tは携帯電話を持っていないから、連絡の取りようがない。

 まぁ、待ってくれているだろうが、気が気ではない。

 新宿のアルタ前に12時で約束をしたのはいいのだが、後で考えてみると笑っていいともの始まる時間帯じゃないか・・・。

 案の定、10分遅れで待ち合わせ場所に行ったのはいいが、TVカメラが・・・。

30230204.jpg

【スタジオアルタ側から見た新宿駅】


 やばっ困った

 再会の喜びも束の間・・・。

 まぁ、その場からすぐに離れることができたので少しばかり安心したが、12時にアルタ前の待ち合わせは、これからはやめるようにしよう。

 通勤では新宿を通っているが、この歳になると新宿で遊びたいとは思わない。

 人が多すぎるからね。

 街並みは大きく変わっていないが、やはり雑居ビルの店はどんどん新しいものになっていて、まずはお茶でもしようと言いながら、どこに何があるのかわからないでうろうろしていた。

 新宿は2人にとっては多くの想い出のある街である。

 友人Tは西新宿の超高層ビル内の喫茶店でアルバイトをしていた時期もあったし、僕は歌舞伎町のコマ劇場そばのミラノビルでアルバイトをしていたこともあったので、お互い夜遊びの月待ち合わせ場所にもしていたわけだ。

 ただ、昔はよく使っていた喫茶店も今じゃ別の店になっていたりしてね。

 それでも見つけた、見つけた。

71d70ef2.jpg

【NEW TOPS】


 よく待ち合わせで使っていた喫茶店が・・・。

 あったよまる

 紀伊國屋書店の隣なんだけどね。

 友人Tとの再会は12年ぶりだが、お互いにそんなギャップは感じない

 故郷の小樽のこと、最近の生活、仕事の話・・・ごくごく当たり前の話をする。

 彼はイギリスから日本にはやはり戻ってくる気持ちはないようで、日本人は捨てたらしい。

 パスポートもイギリス人になっていた。また、以前はロンドンの郊外に住んでいたが、今はアイルランドに家を建てたらしく、そこで生活をしているということだから、やっぱり今度はEUあたりの旅行でも考えようか。

 すぐに格安旅行プランを考えるのは、僕の特技らしい。もう宿泊先は決まったわけで・・・。

「ロンドンの地下鉄テロがあったときには、マジ心配したよ。」

「その頃にはすでにアイルランドに引っ越ししていたから・・・、大丈夫だったよ。だけど、友人がその車内の真ん中あたりにいたらしく、爆発は両端で起きて助かったんだよ。」

「・・・。」

「ただ、4~5時間、車内に閉じこめられたので、何が起きたかはその時点ではわからなかったらしいよ。」
という話を聞かされて、運命というものを感じさせられた。

 彼が東京に来る前に北海道の実家で10日間ほど滞在していたらしいが、その間に小・中学時代の友人にも何人かと会ったらしい。

 S一は太ったみたいだよ。

 R子は全然変わっていなかったな。

 S太郎は昔、可愛い顔をしていて、女子生徒にはチョ~人気者だったんだけど、今じゃツルッぱげになっていた。

 M香は一時、大事件を起こしたって、廻りの人が言ってた。もういい歳なのにね。

 あ、S子だけどね、去年癌で亡くなったって・・・。

 S子って・・・たしか昔、布団店だった?

 そそ。3人姉妹の人気者だったよね~。

 小学校時代のT先生は去年の同窓会に参加してくれたって聞いたから、生きてるでしょ。でもM先生は亡くなったみたい。

 え~、T先生ってもうかなりおばあちゃんだよね。

 うん、だけど相変わらず若々しいって言ってたよ。

 話はやっぱり2人の共通している故郷の仲間のことばっかりで、ね。

 何だか、僕たちって、浦島太郎だよね。

 たまに故郷に帰ると、知っている人がいなくなっているんだから・・・幽霊(絶句)。 

 小一時間、話を交わして、学生時代に生活をしていた小田急線の向ヶ丘遊園駅に行くことにした。



at 23:48|PermalinkComments(0) 「仲間」編 

2005年10月18日

街路樹vs排気ガス

 カラッといい天気になってくれないかな。

 こんなに毎日雨ばっかりだと、「がんばるぞ!」っていう気持ちが失せちゃうよ。これって天気のせいにしてるのかな~。

 雨の日って、前を向いて歩かないよね。どちらかというと下ばっかり向いているから、なんとなく気持ちが沈んでしまうわけだ。

 下・・・って、そう、やっぱり水溜まりとかを気にしてしまうでしょ。

 最近のBLOGはちょっと重い(内容がね)ものが多かったかな。

 う~ん、自分でも書いているうちにそう感じてしまっていたのは事実だな。

 今日は軽く・・・。

e0162d7d.jpg

【環状八号線と青空】

 まぁ、しかしこの雨も午後からはようやく上がり、青空が広がっていく~♪

 緑の多い世田谷区ではあるが、それにも増してこの環状八号線(かんぱち)は車が多い。この排気ガスを浴びながら(?)頑張っている街路樹・・・。

 大変だね車ダッシュビル



at 23:59|PermalinkComments(0) 「自然」編 

2005年10月17日

たっ君、元気ですか?

 たっ君、元気ですか?

 コーチは元気ですよ。

 たっ君と会えなくなって、もう3年が経ち、その間にいろんなことがあったなぁ。

 時の流れは早いもんだよ。

 3年前の夏頃に、君のお兄ちゃんのむっ君が、
「最近、運動不足だからまた水泳を始めたいんだけど・・・。」
って、突然現れてから、またむっ君との付き合いが始まったのである。

 むっ君とたっ君は年子の兄弟で、むっ君が幼稚園のときに水泳を習いに来て、しばらくしてからたっ君も習い始めたんだよね。

 あの頃はコーチも若かった・・・な。

 むっ君が小学3年生、たっ君が小学2年生のときに選手コースの一員になり、毎日休まずに練習に来ていたね。

 2人ともバタフライが得意で活躍していたのを、今でも思い出す。

 小学時代から中学・高校になっても水泳はやめずに通い続けていたね。きっと一緒にいた時間は君たちのご両親の次に長かったと思うよ。

 高校卒業と同時に選手はやめてしまったけれど、大学に入った後も、ときどき成人コースに泳ぎに来ていたね。

 たっ君が音楽の道に進みたくて、バンドを組んでいたのは、キミタンたちに聞いていたよ。

 それから何年かして・・・。

 むっ君がプールにひょっこり現れたときには昔と変わらない笑顔でいつも世間話はしていたけれど、家庭の話はほとんどしていなかったのを後になってから気づき、心が痛む思いがした

 水泳を再開して3ヶ月経ったある日の午後・・・。

むっ君が事務所にやってきて、
「コーチ・・・、今朝、弟が亡くなりました。」
と、真っ赤な目をして話しかけてくれたとき、一瞬何が起きたのかわからなかった。

「どうして?事故?」

「いえ、癌だったんです。」

 あの笑顔の可愛かったたっ君が

 後でキミタンのお母さんから聞いた話だが、君たちのお母さんもその前の年に癌で亡くされていたことを聞いてコーチは絶句した。

 その上、お母さんの亡くなられたときには、たっ君の癌もかなり進行していて、たっ君は病院のベッドにいたっていう話を聞いて、コーチはなんだか悔しくて悔しくて

 さぞかし無念だっただろう。

 たっ君の癌は脊椎の中にできるとてもめずらしい癌だったそうだ。

 日本での発生例としては2例目で治療方法がまったくわからなかったらしい。

 脊椎の中にできた癌・・・。ある日、突然手足の先にしびれを感じ、その後は数回の手術をしてみたが、どうしようもない状態だったとのこと。

 しかも歩ける状態ではなかったので、車椅子の生活を余儀なくされたと・・・。

 そんなたっ君のために、お父さんはバリアフリーの家を空気のいい場所に建てていた最中だった。

 むっ君が再びプールに通い始めた頃、彼はきっと運動不足ではなく、やっぱり不安がいっぱいあって助けを求めていたのかもしれない。

 ふたりは、小さいときから仲の良い兄弟だったし、今振り返っても兄弟げんかをしている姿を一度も見たことないもんね。

 むっ君に、
「どうして教えてくれなかったんだよ。」
と言うと、
「コーチはいつも選手指導で忙しそうで、何度も言いたかったんだけど言えなかった。」
「そんなに忙しそうに見えたの?」
「・・・うん。」

 そんなことないよ。教え子の相談や心配事、今までいっぱい聞いてきたでしょ。

 元気のあるうちにたっ君に会いたかったな

111854f4.jpg

【たっ君、元気ですか?空を見上げれば・・・】


 お通夜の日に、たっ君に会いに行ったときは、今日と同じぐらい冷たい雨が降っていたね。

 たっ君に声をかけてあげたら、笑ってくれるような顔をしていたね。

 ちょっと太っていたよ。きっと薬のせいかな・・・。

 ずっと、ずっと見ていたら、涙が止まらなくてね・・・。いっぱい声をかけたけど、やっぱり優しい顔で眠っているだけだったね。

 お父さんも肩を落としていた。大切な家族を、愛する家族を一気にふたりも手放さなければならなかったんだから・・・。言葉をかけてあげられなかったよ。

 友だちがいっぱい来ていたね。たっ君の友だちのほとんどは、コーチの教え子たちで、みんなでたっ君を囲んで泣いたよ。

 みんな昔の子供の頃のように・・・。

 やっぱり、たっ君とは別れたくないもの

 だけどね、

 たっ君がみんなとの再会を導いてくれたのかな。

 カッちゃんみつるまことだいちゃんなおくんじゅんいさむ・・・みんな集まったね。キミタンだけバンドのコンサートでどうしても来れないって・・・。

 みんなと再会するのは嬉しいけれど、こんなときでなければ会えないなんて切ないよ。

 たっ君・・・。

 向こうでは元気にしているかい?ユッタと逢えたかい?向こうで一足先に逝ったユッタと泳いだりしてるのかなぁ?

 お母さんと一緒に、こっちにいるお父さんやむっ君のことを見守っていてね。

 コーチはね、まだまだたっ君とはしばらく会えないけれど、そのうちヨボヨボになったら向こうに行くから、そうしたらまた一緒に泳ごうや

 体力作り、しとけよ。

 あれから丸3年・・・。たっ君が逝ったのは今でも信じられない・・・。

 コーチはたっ君のこと、いつでも心の中にいて、ずっと忘れないよ

 今日だけ泣かせてくれ・・・な・・・。

 たっ君・・・。

しばっち




at 23:59|PermalinkComments(0) 「秋」編 

2005年10月16日

予言者かも・・・?

 地震、すごかったね。

 東京23区は震度4だったわけで、職場でも防火扉が一部、閉まったりした。今までそんなことがなかったのにね。

 でも、この地震・・・。

 この人が前日にこんなことを書いていたのである。

 チラリと見てみるロケット(←クリックしてみて~)

1ec3ecac.jpg

【キンモクセイと青空】

 音符キンモクセイのぉぉぉぉ 咲く道を~~~音符

 って、つい歌いたくなる。

 この間、ふわっといい匂いが・・・。

 ん?この匂いは?

 周りを見渡してみたら、目の前にキンモクセイの塀が・・・。匂いがしなかったら当たり前のように目を向けることもなく通り過ぎていたのだろうけど・・・。


 地震雲って、縦に長く伸びて、その延長線上で地震が起きるって聞いたことがある。

 実は僕も新潟の地震の前日にものすごい地震雲(今でもそう思っているんだけど)を見ていたんだけどね。

 LUKEさんのBLOGは、僕の大好きな北海道のAO空をいっぱい載せてくれている方で、なかなか故郷の北海道に帰れない僕を和ませてくれている

 ・・・が、しかし。

 時々、予言(っぷダッシュ)まで幅広いはてな趣味をお持ちのようで・・・笑い(爆笑)

 LUKEさんが見た地震雲って南の方に向かってませんでしたかぁぁぁぁ? 



at 23:59|PermalinkComments(2) 「秋」編 

2005年10月15日

再会の約束

 昨日、松山千春卒業にまつわる思い出話として松山千春と話したことと高校時代の後輩の話を書いたんだけど、実は本当は他にも書きたいことがあったわけよ。

 まぁ、長くなりそうだったから打ち切ったんだけどね・・・すいません

 実は昨日一日はすごい日だったのね。

 朝、松山千春の曲を聴きながら出勤したとき、僕の頭の中では自分の若かった時代のことがめまぐるしく廻ってきていてね・・・。

 それって確実に歳を取ってきている証拠なわけだなぁ~なんて思いながらね。

 きっと今の自分に満足しているわけではないから、かなぁ。

 うん、ここ数年、仕事も生活も人間関係もどこかでセーブしているような感じがするのね。

 安定していればそれが一番、みたいな感じなのかな。

 若い頃ってそうじゃないもの

 いっぱい冒険したくなるでしょ?勉強でもスポーツでも仕事でも、自分を試したくなってチャレンジしようとするでしょ。

 生活だって、そうだよね。見るもの、聞くもの、なんでも吸収したくなるよ。

 新しい友だちを作ったりねもするしね・・・。

 だけど今は全てにほどほどに、波風立てないように、普通に生活ができていれば多少のことは見逃せてしまえるわけだ。

 昔はそんな人間じゃなかったのになぁ・・・。

 ってね、そんな自分に嫌気をさしながら職場に向かっていたわけ。

 で、職場でもちょっとしたハプニングがあったわけ・・・。いやぁ、これはまた別の機会に書けるようになったら書こうと思ってるんだけど、ね。

 ちょっと、ね・・・自分じゃないから、ね。

 それよりも・・・。

 昼休みに昼食を食べようとスタッフルームに置いてあった携帯携帯を見ると、誰かから電話があったみたいなのね。

 電話番号を見ると、0134ってなってて、これって故郷の小樽の市外局番なわけ。

 あ、田舎で何かあったのかな・・・って。

 でも親族のほとんどは携帯に登録してあるし、ね。

 どこかで見た数字なんだけど思い出せないでいたんだ。

 で、留守番電話が入っていたんで、声を聴いてみたら・・・。

 あ~、友人Tだったわけ。

 え~、今実家に戻ってきてるって。

 友人Tとは、僕の幼馴染で幼稚園・小学校・中学校と一緒で、高校は別々だったんだけど、卒業後2人とも上京して、人生の中の20年以上共に生きてきた奴だったのね。

 もちろん今でも数少ない親友の一人である。

 その友人Tは、社会に出てからなんとイギリスに行ってしまったわけで飛行機、今はロンドンの郊外に住んでいるわけ。

 日本の生活が嫌いで、ある日突然出国してしまったのね。

 あのときは泣いたよ、ほんと。

 東京で励まし合いながら生きていこう・・・なんて約束してたのにね。

7e4481df.jpg

【うろこ雲の朝焼け】


 それからも数年に一度の割合で再会していたんだけどね、こっちの仕事が忙しいと会えないときもあったしね。

 で、仕事が終わって何度も電話をしていたんだけど、なかなか通じなくて、新宿駅のホームで電車を待っているときにようやく声を聞けたわけ笑い汗

 何年ぶりだろうね。

 いつ戻ってきたの?

 10日前だよ。

 前、会ったのいつだったっけ? 

 ・・・

 元気でいた?

 故郷、いいだろ?

 お袋さんの飯、おいしいだろ?

 お前のお袋さんにも会ってきたよ。

 元気だった?

 うん・・・、生きてる、生きてる。

 うん、最近会ってないから・・・心配なんだけどね。

 小さくなったよ、俺のお袋も、お前のお袋も・・・。

 うん、親孝行して来いよ。

 で、東京で会える?

 うん、会おう。

 うん・・・。

 19日なら仕事休みだから、それでいい?

 もっちろん。

 どこで?

 じゃ、新宿アルタ前にしよっか。

 うん。

 迷子になるなよ。

 うん。

 いっぱい話したいことあるから・・・。

 うん、俺もある。

 うん。

 電話じゃぁ、なんだから、会ったときにね。

 うん。

 じゃ、またね。

 松山千春の唄が・・・。

 また、故郷のあの時代が浮かんできてしまう。

 あのね、松山千春の唄がそうさせているのかな。

 こんなことってあるのかな。

 今日は朝から若かった時代を思い出していたから、幼馴染(しかも日本に住んでいない)からの電話、そして再会の約束・・・。

 偶然だろうけど、あまりにも重なりすぎていて、不思議だなぁ。

 結局、僕は友人Tと近いうちに再会する。

 まだ、あいつは日本には戻る気はないらしい

 翌日またイギリスに戻ってしまうのだ。

 何を話そう

 楽しかったことも、苦しかったことも、素直に話せる友だちの一人なんだよ。

 いっぱいありすぎて、話しきれるだろうか。

 もう、頭の中が北海道でしょ、

 小学生のときに遊んだ海辺でしょ、

 中学生のまだ思春期の少年でしょ、

 大学時代に住んでいたアパートのことでしょ、

 よく遊びに行った下北沢新宿用賀桜新町・・・でしょ。

 あ~、今の僕の心はまるで20歳そこそこの青年だよ。



at 23:24|PermalinkComments(0) 「仲間」編 

2005年10月14日

明日があるから

音符こみあげる 寂しさに 問いかけたのは

音符足早に 過ぎた 時の流れ

音符青い空 青い海 風のささやき

音符想い出が ぼくに 背を向けていく

音符だけど 今 夢がある ささやかな 夢だけど

音符明日があるから


 この唄は我らが北海道の星キラキラ松山千春の唄である。

 今朝、出勤途中でMDを聴いていたらこの曲が流れてきて、僕は大きく溜息をつきながら、はるか遠い昔を思い出した。

 想い出の多い松山千春の曲の中のひとつだ。

 僕は、松山千春のデビュー時代からの大ファンで、とにかく彼の唄は北海道育ちの僕らにとっては影響が大きすぎる。

 いろんな曲で励まされたな(しみじみ)。

 僕らの世代(特に道産子)は、松山千春を知らない人はいないっていうほど、大ブレイクしていたからなぁ。

 松山千春はいつでもどんなときでも僕らのそばにいた。

 嬉しいときも悲しいときも苦しいときも・・・一緒になって励ましてくれていた。

 若かったなぁ、僕も。

 自然

 

 希望

 青春

 テーマにした曲が多い。今どきの曲に比べたら、背中がかゆくなるような感触の詩もあるけれど、僕は未だにじっくり聴き入ってしまう

 彼の人間性とかもすっごい好きだ。だからファンであり続けられるのである。

 実は松山千春とは一度、羽田空港で会ったことがある

 大学2年の1月だったな(忘れずにいるのはすごいっしょ?)。

 高校時代の後輩K君が僕の通う大学に受験に来るということで、その期間中は僕の住んでいたアパートに泊まることになっていた。

 羽田空港まで迎えに行くとK君の後ろになんと松山千春がいたのだ。彼と同じ飛行機で東京に来たらしい。

 しかもこのK君は僕以上に松山千春を崇拝していた

 こりゃ、2人で行くしかない。

 松山千春のそばまで行って、
「千春さ~ん(ミーハーだな・・・これって死語?)」
「お、なんだ?」
「サインして下さ~い。」

 2人でめっちゃハイテンションになって、サインをしてもらったっけ。
「僕ら、千春さんの大ファンです。」
「頑張って下さいね。」

 そしたら、松山千春が、
「お前たちは北海道(から来たの)か?」
「そ、そ、そうです。」
とK君。

「何しに来たんだ?」
「大学受験です。」
「何大学だ?」
「○△大です。」
「そんなで・・・か(笑)」

 2人とも細いけど、大学受験にスタイルは関係ないっぽ・・・みたいな話をしたっけな。

 まぁ、スタイルも関係ないわけではないが・・・(ぼそ)

「そか~、頑張れ。俺がついてるから・・・(笑)」

 もう2人で松山千春を囲んで立ち話。

 あ~、すっげ~興奮したよ、あのときは・・・。

 その2年前・・・

 僕が高校を卒業して東京に出てくる前に、後輩のK君は手紙と一緒に松山千春のカセットを数本プレゼントしてくれた。

 そして手紙には、
「僕も必ずしばっちさんと同じ大学に行きますから、そのときはよろしくお願いします。」
と書かれていたのである。

 当時、高校1年のK君の夢と高校3年の僕の夢は同じだった。

 そして、その夢を彼も実現させるための上京であったわけで、その出発の第一歩で共通のあこがれの松山千春に会うなんて・・・もう2人は有頂天だったのは間違いない。

 短い時間だったけど、松山千春と話ができたことは本当に彼にも励みになった。

 もちろん大学は合格したのだが・・・。

c553c204.jpg

【ささやかな夢だけど】


 K君は頭が良すぎる。学年でもトップクラスの成績だったから他の大学も合格してしまい、最終的には地元北海道の国立、北海道教育大学に入学してしまったのだ。

 ここ数年は連絡が途絶えている

 ときどき松山千春の曲を聴くとふと今、彼がどこにいるのか・・・懐かしさがこみ上げてくる

音符あてもなく 立ち止まり ふりむいたのは

音符大人びた 君の 後ろ姿

音符忘れない 何もかも 青春の日を

音符帰らない日々が 駆け抜けて行く

音符だけど 今 夢がある ささやかな 夢だけど

音符明日が あるから

音符だけど 今 夢がある ささやかな 夢だけど

音符明日が あるから


作詞・作曲 松山千春「卒業」
(曲を聴きたい方はをクリックしてください)


 今、僕はこの曲を何度も繰り返し聴いているのだが、松山千春の唄を聴いていると素直に声を大にして言いたくなる。

 あ~、北海道に戻りたいな汗



at 23:59|PermalinkComments(2) 「青春」編 

2005年10月13日

悲しい一日

 秋らしい、いい天気になってくれた。

 そんないい天気を横目に、朝からPCに向かいながら、リネージュを・・・。

 今日は休みだからね。

 しかし、開始10分後、敢えなく切断死・・・。ようやくLV49の25%まできたのに、あっけなく20%までDOWNして、やる気を失せる。復旧代240kを支払い、22.5%まであげるのだが、こうなると楽しくない困った怒

 天気がいいので窓を開けてみると、家の中より外の方が暖かい

 ついでに洗濯物もようやくベランダに干しておく。ベランダに干したのは久しぶりだって思うほど、最近の天気は良くなかったね。

d93fbc74.jpg

【OE成功】


 で、午後もリネージュ

 星琳伊蔵さんと3人で傲慢24Fで狩りをしようということになり、まずは21Fへ飛ぶ。

 しかし、飛んで2~3分後にはまた切断怒

 もういい加減にしろよ~って、PCを叩きつけたくなる衝動に襲われる。

 そんな気持ちを抑えながらヒヤヒヤ狩りをしたのだが、周りの人の援護もあり楽しめた気がする。このときは死んでなかったからね。

 しか~し、その後・・・3人でDEC3Fに行き、キー操作によるミスEND。これは自分のミスだから仕方がない汗

 でも一日で2回もENDしたら、やっぱり凹むよ。

 もとの経験値になるのに、僕の実力じゃ1週間以上はかかるし、切断死を繰り返さないとは限らないからね。

 あまりにも悔しいときはストレス発散のためのOE。

 +4Tシャツ→燃え炎
 +4ダークマント→+5ダークマントにOE成功拍手

 まぁ、相変わらず休日はのんびり家でリネージュしている、今日この頃だ。



at 22:53|PermalinkComments(0) 「趣味」編 

2005年10月12日

カールおぢさん

 最近はコンビニなどでも季節ごとに期間限定商品が販売される。

 秋になるとチョコレートや甘いお菓子は抹茶の味のものが多いね。最近は定番に鳴りつつある物も多いけどね。

 期間限定っていうだけでついつい気になる物も多くなるが、僕の場合はデザインで買ってしまうものも多い。いやいや、もちろん味は必要だよ。

 以前は買っても口にしないこともあり、そんなもったいないことをやめようと一時はお菓子類を買うことに禁止令ダメも出したのだが、また最近は買い始めている。

 あくまでも食べることを前提に・・・ね。

 しかも買うときには必ずといっていいほど2種類買ってしまうことがほとんどである。

 この間、コンビニに行って一際目についたのが、これ↓

ab69ab31.jpg
 
【笑顔~癒される】

 ちょうど携帯の待ち受けもカールおぢさんだったりしてるんだけど、この憎めない顔

 一歩まちがえれば、ドロボウの顔だよね。

 昔からカールと言えばチーズ味だが、「こってりチーズ味」とくれば、見逃す手がない。

 好きなんだよ、チーズ味が・・・。

 でも、いつもの癖・・・。

 もう一種類のえび味も買ってしまったわけだ。

 いや・・・。

 それが・・・。

 このえび味・・・。

 美味すぎる。っぷダッシュ

 ちと余談だが、やっぱりカールおぢさんは麦わら帽子帽子が似合うんだけど、えび味のおぢさんは手ぬぐいを頭に巻いている。やっぱ、漁師ボートのイメージだろうけど・・・。

 この手ぬぐいの模様・・・。

 えびだ。 



at 23:59|PermalinkComments(0) 「食物」編