2009年01月

2009年01月31日

市場といえばやっぱり大洗!

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市場といえばやっぱり大洗!

(2008年12月17日五浦・大洗ドライブ編)







 どうでもいいが、ちょっと怠慢なタイトルのつけ方・・・(苦笑)。

 市場といえば・・・築地だとか、買い物をするならアメ横だとか・・・電車で1時間圏内にはいくつかのスポットもある。

 そりゃぁ、ニュースなどで年末の歳末商戦もヒートアップしていたが、僕はやっぱり大洗が好きなのだ。

 自分の好きなものを自分のペースで買えるからね。

 それでも午前中や日中は大勢の人でごった返すのだが、僕が行ったのは閉店1時間前だったためにほとんど人もいなく落ち着いて買い物もできた。

 やっぱり、茨城の冬といえばアンコウ・・・。

 僕も好きな鍋料理のひとつだが、今回は食べる機会というか、時間がないので断念。







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【いつもおいしい魚をありがと~(森田水産さまぁ~)】







 でも、店内に並んでいる熱帯魚(←これはちょっと)を見ていると、どれもがおいしく見えるから、ついついほしくなってしまうんだけどね~。

 結局、昨日のBLOGでアップしたもの以外にもこういったものまで購入。







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【いわしもおいしいっすよぉ~】







 金目鯛アジの干物は、前回箱根のホテルで食べた朝食で干物がおいしかったので、ついつい買ってしまったのだが、やっぱり大きい方がおいしいよね。

 焼き方ひとつでも味が変わってしまうしね。

 昔は干物なんて面倒で食べたことがなかったのになぁ。

 やっぱり歳なのかなぁ(笑)。







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【金目鯛の干物~】







 金目鯛も脂が乗っているとたまらない。

 そして、干物の定番といえばアジ・・・かな。

 ちょっと大きめのものを購入。







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【アジ~】







 写真には写ってないが、イカも数杯買ったんだけど、これは自分で塩辛作りにチャレンジするため。

 今まで塩辛を手作りするなんてことはなかったんだけど、何となくそんな気分になってチャレンジしてみようかと・・・(笑)。







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【塩辛大好き】







 普通の塩辛も好きだが、今はいろんあ味の塩辛があり、どれがいいか迷ってしまう。

 自分で新鮮なイカの塩辛を作ろうという思いもあるのに、かごにはこういったものまで無意識に入れている。

 僕の頭の中の思考回路がよくわかりましぇんね~。







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【がははは、おまけ】







 紅葉漬け・・・。

 これは僕の大好物。

 酒を飲む人にはたまらないね。

 荒磯のりは職場にお土産~。

 あったかいご飯ごはんの上に乗せて召し上がれ~。

 去年よりは量的には少なめに購入したのは・・・、去年は冷凍庫にも入りきらず、大変だったのでこれでも少ないほうなんだけど、ね。

 目がほしくなるんだよ。

 だから、結局は自分の口に入らずに、ついついあれもこれもお土産にしてしまったりするわけ。

 でも今回はとりあえず自分の口に入れられるかな。






雨 ・・・ 雨


2009年1月31日の日記

 早い、早い・・・。

 あっという間に1月も今日でおしまい。

 それにしても関東の冷たい雨と風。

 週末になると、どうしても時間的に余裕のない生活。

 そのため、BLOGが滞りがちになってしまう。

 ほとんど家にいない状態だから仕方ない。






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2009年01月30日

大洗といえばやっぱり市場!

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大洗といえばやっぱり市場!

(2008年12月17日五浦・大洗ドライブ編)







 五浦海岸を後にして、国道6号線をひたすら南下。

 行きは常磐道を走ってきたのだが、帰りは下道って・・・。

 少しでもお金を浮かせるため???

 というわけではないが、何となく一般道を走りながら、おもしろい場所がないかって思いながら、ね。

 でも、やっぱり途中で後悔しつつ・・・、北茨城から次の目的地に行くにはちょっと時間がかかりすぎてしまったようだ。

 そう、次の目的地は大洗







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【おいしそうな魚がいっぱい】







 僕にとっては、年末にはどうしてもはずせないスポット。

 普通なら夏場に遊びに来るのがいいのだろうが、それは真夏の太陽に出逢うためであり、僕の場合は市場で鮮魚を買うため。

 せめて、年に一度ぐらいはおいしい魚を・・・。

 でも、去年はちょっと買いすぎて大変だった。

 新巻鮭やらあんこうサンマも一箱(笑)etc・・・。







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【こんなのも売っている】







 今年はそれら大物は遠慮して、保存できる量で留めておいた。

 大洗に到着したときには閉店1時間前だったので、ちょっと焦り気味。

 それでも、活気のある空間







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【今年は鮭もこの程度で】







 また、店のおっさんたちの上手な販売に負けそうになりながら、ほしいものを手に入れることに専念。

 ついつい、手に持ちきれないほど購入してしまい、車を二往復。

 誰がそんなに食うんだよぉ~。

 お寿司はおまけでもらえた~(すごいラッキー!)







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【鮭とセットで(おまけしてくれたよん)】







 こんなことがあるから、ついつい買っちゃうんだよね~。

 生シラスはたまらないおいしさだったし、貝が口の中でとろけるほど柔らかくておいしかったよん。

 すし屋さんのお寿司よりおいしいかも・・・(笑)。







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【ほたて~】







 大きなホタテ。

 去年は5枚入りを買って食べ切れなかったので、今年は大きな形のもの3枚で・・・。

 醤油バターで焼いたら、あごがはずれそうになるほど旨かったぁぁぁああ

 明日も続きを・・・(笑)。






雨 ・・・ 雨


2009年1月30日の日記

 今日は終日雨、雨、雨・・・。

 冬の雨は冷たい。

 インフルエンザも充満している時期だが、こうやって雨が降るとウィルスもいなくなるのだろうか(ド素人の考え)。

 僕はとりあえず風邪など引いていることはないが、もう少ししっかり予防しなければ、ね。

 うがいはついつい怠ってしまうが、手洗いだけはかかせない。

 ニュースなどでインフルエンザのために命を失っているのを見ていると、やっぱりバカにできないよね~。

 みなさんも気をつけて!






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2009年01月29日

美術館で鑑賞

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美術館で鑑賞

(2008年12月17日五浦・大洗ドライブ編)







 五浦海岸で久しぶりに潮の香りを楽しんで、車に乗り込んだ。

 まだ少し時間があるので、美術館に立ち寄ることに・・・。

 いや、特にどこかを見たいという気持ちもなかったのだが、せっかくここまで来たのだから、どこか一ヶ所ぐらいは・・・と思い、海岸から見て気になった建造物に行ってみたら。

 そこが美術館だった、というだけなんだけど(苦笑)。

 で、せっかくだから中に入ってみようっかなぁ~。









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【さ~、行きましょう】







 美術館の周りはまるで公園のようになっていて、けっこう丘の上にあるんだけどバリアフリーなので身体の不自由な方でも、階段を使わずに登れるのがいい。

 写真には写っていないが、スロープがあるので高齢者でもゆっくり登ってこれる。







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【上には郵便ポスト】







 季節が冬だからか・・・あまり多くの人はいないようだ。

 もちろん観光バスなどが停車できるだけの駐車場もあり、観光としても力を入れているのがわかる。







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【ようやく美術館】







 まだ建物は新しい感じで、駐車場からきれいに整備された植木が並び、通路へ・・・と続く。

 ここは茨城県天心記念五浦美術館







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【入口手前から】







 残念だが、中は撮影禁止ダメ

 美術館の中ってカメラ小僧にとってはちょっと辛いよね。

 作品を写せないのは仕方ないとしても、館内でのカメラ使用ができないっていうのは・・・ね。

 まぁ、それは仕方ないとして・・・。

 中にある作品は、心豊かになるようなきれいな作品ばかり。

 作品の中央部分が光って見えるキラキラのは僕だけかなぁ。







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【ロビーから】







 一通り見て回って、ロビーでちょっとだけ写真を(笑)。

 ガラス窓には天心の横顔をモチーフにしたロゴが貼ってあり、それと一緒に写してみることにした。

 美術館の神聖な空間は気持ちいいね。

 さてさて、ここでは小一時間ほど絵画を見て、外に出ることに・・・。

 五浦海岸を後にして、本当の目的地に行くことにした。




雲 ・・・ 雨


2009年1月29日の日記

 あっという間に週末が近づく。

 というか、もう1月も残りわずか。

 北海道から心温まる同窓会の写真が届いて、わずかではあるが小学生や中学生の時の自分に戻れた気がして、心新たに人生を歩んでみたい(素直に)と思う日々を送っている。

 相変わらず平凡な日々を送っているのだが、ちょっとだけ心の中にゆとりができたような気がする。

 まぁ、のんびりマイペースで行くとするか。






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2009年01月28日

タイムマシン(最終章)


タイムマシン(最終章)


 Y子から同窓会の手紙が届いて、すでに一週間

 ちょっとした空白の時間になると、ついつい昔を思い出してしまう日々が続いている。

 出逢った担任教師も僕の宝物だが、友人たちは簡単な言葉では言えないほど大切な人たちである。

 何気なく過ぎていった時間だったとしても、毎日が楽しかった。

 小学生の頃、最も多く遊んだ仲間は近所に住んでいたKちゃんT-BOAくんK男だが、Aくん以外は不参加となっていた。

 社会人になりたての頃、僕が故郷に帰ると必ずといっていいほど、このメンバーは集まりだし、飲み会が開かれていた。

 地元のやんちゃ坊主の集まりだ。

 しかし、今ではA君をのぞき、みんな故郷を出て行ってしまっているのだ。

 町の一角にある原っぱではいつも子供たちの声が響いていた。

 何にもない原っぱ・・・。

 それでもいつも子供たちが遊んでいた空間である。

 草野球、三角ベース、鬼ごっこ、かくれんぼ・・・。

 タイムマシンに乗って過去をやり直したいなんて思わないが、タイムマシンの窓から幼かった頃の自分たちが遊んでいる姿をもう一度見てみたい気がする。







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【元気そうでなにより!】







 ずいぶんとおじさんおばさんになってしまった面々。

 僕は・・・?

 年齢的には充分おじさんなのだが、精神的にはまだまだ若者ぶったりしていて、まぁ、この仲間と一緒に写真に入っていたら・・・やっぱり同じに見えるのかな?

 でも・・・まだ髪の毛はフサフサだし、黒々としているしなぁ。

 おでこも立派に(?)変わってないし~。

 まぁ、ちょっときりりとした目キラキラが最近たれてきているような・・・これが一番問題だったりする(っぷ)。

 みんな確実に歳を重ねているんだね~。

 っていうか、この年齢でどうして・・・?

 年取るの早くない???

 まるで他人事のように写真に向かってつぶやく自分がいる。

 そう、タイムマシンはやっぱり僕らと共にゆっくり前に進み、思い出のかけらを拾い集め、こうやって時期が来るとそのかけらを合わせてくれる機械というわけだ。

 今度、再び思い出のかけらを合わせてくれるのは、3年半後

 自分も含め、みんなが揃ってくれる日を楽しみに生きていきたいね。

 そのときは僕もこの写真の中に入れるようにするから。

 Y子、ありがと~。

 そして、恩師の皆さん、故郷の仲間たちもいつまでもお元気で~







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2009年01月27日

タイムマシン(第五章)


タイムマシン(第五章)


 小学生時代・中学生時代は一緒だったが、高校・大学では別々の道を歩んだ友人にT正がいる。

 彼とは中学時代の3年間、同じクラスで、同じ部活(バドミントン)だったこともあり、それ以来無二の親友として、社会人になってからもよく会っていた。

 多分、兄弟以上に兄弟のような仲だったと思っている。

 しかし、20代半ばに突然僕に、

「来週、イギリスに行くことになった。」

と告げ、心の準備もできていない僕の前から消えてしまった。

 それでも僕らの友好は続いていた。

 彼が日本にいる間は、お互いに人生につまづいたときにはお互いを励まし合い、喜びも分かち合ってきたのに、今は分かち合える距離ではない遠い国で生活をしている。

 2、3年前に一度帰国したことがあり、僕らの再会も久しぶりだった。

 送られてきた同窓会名簿のT正の住所欄にはロンドン在住としてか記されていない。

 多分、僕以外は彼の住所を知っている人はいないのだろう。

 Y子もきっとT正に同窓会の写真を送ってやりたいと思っているに違いない。

 お礼の手紙と共にT正のロンドンの住所も教え、同じ小冊子や写真を送ってもらうようお願いするとしよう。



 この同窓会に参加した面々は半数以上。

 しかし、半数近くは参加していない。

 そのひとつはやはり北海道を出て遠方に住んでいる人間たちで中には大阪や愛知に住んでいる者もいた。

 ちょっと驚いたのは東京の新宿世田谷に住んでいる人もいて、僕の勤務地に近い人もいたこと。

 こんな近くに住んでいるのに・・・。

 多くの人は小樽(故郷)や隣の札幌余市など道央に住んでいるようだが、やはり育った小さな町の住所にいる者は少なかった。







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【空を見上げて】







 僕が愕然としてしまったのは住所欄が未記入の者よりも逝去と書かれていたS子T彦だった。

 その欄に書かれていた逝去の文字が重くのしかかり、胸が苦しくなった。

 実はS子については、たまたまイギリスから故郷に帰っていたT正からの情報で、

「癌で亡くなったそうだよ。」

と聞いていたのだが、T彦については全くわかっていない。

 あいつとは小学生の頃によく遊んだ仲。

 もともと茶色いサラサラした髪の毛をしていて、お父さんが神主だったこともあり、彼も神主を引き継いだとまでは聞いていたのだが。

 神主になったのはいいが、そんなに早く神様のもとに行かなくたっていいのに・・・。

 いつ、どうして亡くなったのかはわからない。



 小さかった頃、誰が今を想像しただろう。

 誰もが大人になって、みんな立派に社会に貢献して生き抜いていくと思っていたのに。

 これから名簿を作るたびに空白の欄ができ、いや・・・逝去という重い文字がのしかかり、そのたびに心の中の灯火がひとつ消え・・・心が痛くなるんだろうな。



 もし、タイムマシンがあったら・・・。

 あの頃に戻って、過去に遣り残したことをもう一度・・・。

 いや、そんなことはできないのだから・・・、だから命は粗末にしたくない

 S子だって、T彦だって、そんな思いでこの世を去ったわけではないから・・・。

 住所欄を眺めながら、やっぱり仲間に会いたい気持ちが強くなってくる。

 逝去の欄が増える前に・・・。

 今の自分の言葉で言いたいことはしっかり言わなきゃ







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2009年01月26日

タイムマシン(第四章)


タイムマシン(第四章)


 同封された小冊子に目をやると、クラスの仲間たちからのコメントが書かれていた。

 その中にある恩師のメッセージ・・・。



 T先生(小学5・6年の担任)のメッセージ

 なつかしい顔、顔、顔。

 目を閉じて小学生の頃の皆様の様子を思い、なつかしいの一言です。

 悔いが残らぬようにと思い、こんな姿で出席させていただくことにしました。

 今日は大いに話し合い、楽しく過ごさせていただきます。

 パーキンソン病で書きました。

 おかしな字、はずかしいね。



 Y先生(小学6年生の隣のクラスの担任)のメッセージ

 ○○小学校を卒業して早△△年。

 当時の少年・少女達を見て時の流れの早さに只々おどろくばかりです。

 私もこの年齢になって冥土の旅の一里塚を数えるこの頃です。

 皆さまにお会いできるのを楽しみにしていました。

 幹事の皆さま、ご苦労様です。



 S先生(中学2・3年生の担任)のメッセージ

 同期会のご案内、どうもありがとう。

 中学校を卒業して××年、なつかしい顔に再会できたことを嬉しく思います。

 あの時代、君たちの卒業と共に私も12年間在職した中学校を卒業した年でした。

 あなたたちとは何か因縁めいたものを感じますね。



 K先生(中学3年生の隣のクラスの担任)のメッセージ

 退職後、まずまず健康で(ぎっくり腰あり)、ゆったり生活しています。

 自分が生徒で参加する同窓会は気軽に出席できますが、先生としての同窓会は、

「私の未熟さで、皆さまの大切な人生の一部を壊したのではないか」という気持ちになり、出席が重たく感じられます。

 皆さまはこれから楽しい人生が待っています。

 心身共に健康で過ごされることを祈ります。



 僕の人生に大きな影響を与えてくれた先生方も今ではただのおじいちゃんおばあちゃん

 それでもやっぱりメッセージを読んでいると、先生と生徒の間柄の気持ちになってしまうのは不思議なものである。







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【空を見上げて】







 僕は今でも忘れない

 僕の実力では合格は無理だとも言われていた高校に合格したときのこと。

 結果発表だって放棄して、見に出かけなかった僕の家に電話をかけてきてくれたのはK先生だった。

 僕以外の連中はよほど自信があったのだろう。

 合格を疑わずに自分の目で確かめに行っていた。

 それでもK先生は一番僕のことを心配していたようだ。

「しゅんち~。」

「合格したぞ~。」

 受話器の奥で聞こえるK先生の声を聞いていて、自分の耳を疑った。

 そんなはずはない、とも思った。

 僕は合格の喜び以上にK先生の気持ちが素直に嬉しかった。



 そして卒業間近にK先生が僕に言った言葉・・・。

「しゅんちみたいな人間がいるから、俺は教師を辞められないんだよ。」

 その言葉を聞いて僕は泣いた。



 K先生と出会って僕の人生は変わったけれど、僕と出会ったK先生も人生が変わったのは事実だ。

 お互い様なんだ・・・人生が変わるのも・・・。

 少なからず、僕の人生はK先生に出会えて悪い方には変わらなかったと思うよ、うん。



 この数日、僕はまるでタイムマシンに乗って過去の自分に戻った錯覚に何度も陥っていた。

 朝、目覚めたときに実家の僕の部屋のベッドに寝ていると思った。

 電車に乗るときにも、歩いているときにも、仕事の合間にも・・・ことごとく少年だった頃の自分になっていた。



 家に帰ってくると、また何度も写真と名前を見比べ、相変わらず一致しない顔を見ては苦笑の繰り返し。

 もちろん、この同窓会に参加できなかった仲間も多い。

 ほんの一部であるが、現在の住所を記載されていない人もいた。

 名簿を取り出して、僕は唖然とした。







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2009年01月25日

タイムマシン(第三章)


タイムマシン(第三章)


 カメラに向かって笑顔を振り撒く、おじさんおばさん

 そして中央には小学校・中学校の恩師の年老いた顔・・・。

 僕は愕然となって、テーブルに写真を放り投げた。

 部屋着に着替えているときにも、さっき眺めた顔を思い浮かべ“アレは誰だろう?”と何度も心の中で問い掛けてみた。

 再びリビングルームに戻り、写真を眺めてみたのだが、どうしても心当たりのない顔が並んでいる。

 誰一人として知っている顔がない。

 今でもクラスメイトの名前はほとんど覚えているが、写真を見る限りでは顔と名前が一致しない。

 その写真と一緒にもう一枚、写っている人間の姿をかたどった絵に名前が書かれてある用紙があり、それと見比べていくことにした。

 もちろん女子は旧姓で。

 実はこんな僕でも成績はわりかしいい方で、小学生の頃は学年で1番か2番を争っていたし、中学に入ってからも1年生まではほぼ完璧だったように思う。

 ところが、中学1年生の2学期に転校してきたS郎が、瞬く間にクラスのトップに踊り出て、それが影響したわけではないが、僕の成績は下がる一方。

 僕にとってのS郎は脅威だった記憶がある。

 どんなに頑張っても、あいつはその後の中学生活で一度もトップの座をゆずったことはない。

 そのS郎が写っている。

 でも、面影なんて何一つない。

 S郎髪の毛も・・・ない

 松山千春のような頭だ。

 F麿H樹H明も・・・ほとんど髪の毛がない。

 っていうか、面影さえも・・・ない。

 みんなよく僕の家に来て、一緒に飯食ったり、泊まったりした奴らだった・・・はずなのに・・・。

 よくここまでおじさん面してられるよなぁ。

 女子なんて、まったくわからん。

 名前と見比べていても、誰だか思い出すのに時間がかかる。

 Y子・・・君もだ。

 昔のY子の輝いていた顔が・・・どうしても思い出せない。

 A子は髪の毛が真っ白だし、他の女子も白髪染めかな???

 当時仄かに恋心を描いていたC子も全く面影がない。

 みんな、どうかしちゃったんじゃないか・・・。

 何だか、見てはいけないものを見てしまったようで、心の整理ができていない。

 僕は震える手で何度も、何度も、写真と名前を見比べているうちに、自分だけが取り残されてしまったような気持ちになってきていた。







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【空を見上げて】







 僕の時代は同窓生が64名の2クラスというこじんまりとした時代。

 小学6年生の担任2名、中学3年生の担任2名・・・その4名の恩師も出席してくださっていた。

 もう立派なおじいちゃんおばあちゃんである。

 中学時代にバドミントン部に所属していた僕を指導してくださったK先生

 数学の教師で当時は多くの生徒には嫌われていたようだが、僕はその先生がいたからこそ、バドミントンでかなりの成績をあげることができ、大好きな先生のひとりであった。

 もともと僕は教職願望だったので、出会った教師を嫌うこともなく、いつも冷静に先生たちの行動を眺めていたように思う。

 こんな先生になりたいなぁという思いを持って見ていた目標の教師象のひとりでもあった。

 4人の恩師が未だに健在していてくれたことで、心が温まる思いがしている。



T先生・・・(小学5・6年の担任)

 写真を見る限り、昔とちっとも変わってなく、きれいなままのT先生

 かなりのお歳(失礼)でありながらも、お元気そうでなにより。

 まだまだ長生きして、僕ら・・・生徒を見守り続けてくださいね。

 T先生の家にはよく遊びに行ったなぁ~。



Y先生・・・(小学6年の隣のクラスの担任)

 あの頃はまだ独身で、色男だったので女生徒からもかなりモテモテだったY先生

 小学校を卒業してからもよく見かけることがあった。

 中学校に入学した当時、真新しい学生服を着ている僕たちは、Y先生を見かけると、なんとなく照れくさく挨拶もそこそこに足早に去ってしまった記憶が蘇える。

 スポーツマンでかっこよく、お兄さん的存在の先生も今じゃ、誰もが認めるじっちゃんの顔

 まだまだお若い(写真でしか判断してない)ですから、この先もお付き合い、よろしくお願いします。



S先生・・・(中学2・3年の担任・合唱部の顧問)

 実は一番心配していたのはS先生

 元気かなぁ死んじゃってないよなぁって何度も思ってました。

 S先生の実家はお寺で、中学時代には夏休みになるとよくクラスの仲間でお寺の境内を借りてキャンプしてましたよね~。

 それから中学の3年間は合唱部の顧問部員としてのお付き合い、しかも高校にまで僕のことをアピールしたばっかりに、高校の3年間も合唱部に入れさせられ、歌わされましたっけ。

 おかげで、今でも美声でいられます。

 もう少し頑張っていたら千の風になっては僕の持ち歌になっていたかもしれません。

 今度は必ず会いに行きます。

 それまではお元気で。



K先生(中学3年の隣のクラスの担任・バドミントン部の顧問)

 覚えてる?

 僕が全日本チャンピオンと戦ったこと?

 あっけなく負けたけどね

 K先生がいなかったら僕の人生は大きく変わっていただろうなぁ、って思うぐらい、最高の人生を与えてくれた人。

 中学時代にバドミントン部に入れてくれたのもK先生一緒にやらないかの一言。

 そのまま高校時代も、いつもK先生は僕の背中を押してくれていた。

 写真を見る限りでは先生も髪の毛、真っ白になってしまったね。

 でも、一番変わってない。

 誰よりも昔の顔のままだよ。

 会いたいなぁ・・・。

 会って、また頭を小突かれたいなぁ・・・。

 なんだか、涙が出てきそうだから・・・。

 昔を思い出している今、僕は15歳の少年の気持ちのまま。


 タイムマシンで、あのときに戻れたら・・・。


 このまま、BLOGアップしちゃっていいのかなぁ~。







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2009年01月24日

タイムマシン(第二章)


タイムマシン(第二章)


 Y子から届いた最後の手紙は、20代半ばに来たもので、結婚しましたという内容のものだったと思う。

 それはもしかしたら年賀状だったかもしれない。

 当然、姓が変わるのだが、やはり違和感はあった。

 それ以来、彼女とは全くの音信不通状態

 特に意識してのことではない。

 僕と彼女は恋人でもなんでもない、ただの幼馴染であり、クラスメートだったわけだから、彼女が結婚したからといって格別ショックだったとか、そういう感情はなく、むしろ祝福すべき内容でお祝いを返した記憶がある。

 そんな彼女からの久しぶりの手紙を開いてみると・・・。







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【空を見上げて】







 同窓会小冊子とそのときに集まった面々の写真と一緒に一枚の便箋が同封されていた。

 え?

 同窓会があったの・・・?

 僕には何の通知も着てない。

 いや。

 来るはずがない

 中学時代の友人には無二の親友であるT正を除いて誰一人として、今の住所を教えていなかったのだから・・・。

 そのT正も今は日本にはいない。

 まさか、高校時代の友人から情報を取るなんてこともほとんどないに等しい。

 しかし、Y子のきれいに並べられた字を見て、納得。

『しゅんちの実家に電話をして、お母さんから今の住所と電話番号を聞きました。』

って・・・(苦笑)。

 そういえば、去年の11月か12月にわけのわからない電話番号が何度か着信記録に残っていたのを思い出し、一人苦笑する。

 しかも、局番が函館だったり、札幌だったり・・・。

 僕は親族関係の電話番号は全てといっていいほど携帯電話に登録しているし、親しい友人たちの電話番号も全て登録してあるので、そうではない電話はむやみやたらと受けたり、こちらから電話することをしない。

 その多くは間違い電話だったり、過去には怪しい内容のものだったりもしていたので。

 しかも郵便受けの封書も何通かは目を通していないものもあったかもしれない。

 後で見ようと思いながら放置していたものもある。

 とにかくDM関係などが多くて、うんざりしていたのである。

 あ~。

 心の中で後悔にも似たような溜息が出る。

 それでも封筒に同封されていた写真を広げ、さらに溜息を漏らすことになる。

 大勢の人がカメラに向かって満面の笑みを向けている。

 でも、そのほとんどは僕の知らない人ばっかりだったのである。







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2009年01月23日

タイムマシン(第一章)


タイムマシン(第一章)


 仕事から帰ってきて、郵便受けを覗くと一通の大きな封筒が入っていた。

 ちらっと封筒の裏を見たが、差出人に心当たりがない。

 “誰だろう?"

 どうせ、どこかの業者のDMかな、などと思いながら玄関の鍵を開けた。

 中に入り、扉の鍵をかけ、廊下のスイッチを点ける。

 靴を脱ぐ前にもう一度、その封筒に目をやった。

 女性の名前で、きれいな字だ。

 住所は・・・。

 ん?

 北海道函館市・・・?

 どうもDMではないらしい。

 函館?

 僕の生まれ育った町は北海道ではあるが、函館ではなく小樽である。

 靴を脱ぎながら、もう一度差出人の・・・。

 あれ?

 もしかして・・・。

 廊下を進み、リビングの扉を開けるときにはもしかしてという曖昧な思いから、いや、あいつだの確信へと変わる。



 あいつ・・・とは、幼稚園・小学校・中学校を共に過ごして来たY子

 僕とY子は小・中学校で一度たりとも別のクラスになったことがない。

 つまり、ずっと一緒のクラスで過ごして来た仲である。

 しかも何度も2人で学級委員に選ばれ、中学時代は生徒会でも議長と副議長の間柄。

 ときには2人の仲を誤解されてしまうほど、結構仲良しだったように思う。

 彼女は正義感溢れ、クラスメイトからも絶大な信頼を受けていたとも思う。

 彼女と僕は中学校を挟んで隣町に住んでいたのだが、それでも多くの仲間たちとよく一緒に遊んでいたものだ。

 田舎町に住んでいたにもかかわらず、男子と女子が仲良く、遊ぶ機会が多かったのはきっと彼女の気配りがあったからに違いない。

 2人とも中学時代は深夜放送が大好きで、ローカル番組のパーソナリティの話題でよく盛り上がっていた。

 精神的にはまだまだ子供だったが、深夜放送を聞くようになると二人とも何だか大人の仲間入りをしたような、そんなあまずっぱい時代を過ごしていた。







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【空を見上げて】







 中学生の僕は、すでにその頃から自分の人生設計を立てていて、高校を卒業したらこの町を出て東京の大学に行くことも決めていた。

 そのことを打ち明けていたのは唯一Y子だけだったし、Y子はいつもその応援をしてくれていた。

 そんなY子と会わなくなったのは、高校進学後、まもなくのことだ。

 僕は僕で勉強と部活動で忙しかったし、やはり高校の仲間との付き合いが比重を占めていた。

 もちろん、別の高校に進学したY子もそうだっただろう。

 高校時代に1度、いや2度ほどクラス会を開いたときに僕とY子が幹事を任されたのが最後だったような気がする。

 大学時代にも中学のクラス会の誘いがあったが、タイミングが合わず、不参加した僕はだんだんと故郷の仲間たちとも疎遠になっていってしまった。



 もちろんその頃は携帯電話などもなく、連絡を密に取るとか、メールのやりとりなどもない時代だ。

 社会に出てから、苦しいことに直面したとき、やはり故郷の楽しかった時代を振り返り、何度も田舎に戻ろうって思った時期もあった。

 大自然の中で泥だらけになって遊んだあの頃・・・あの町



 多くの仲間たちと海辺に出かけ、貝やウニをいっぱい取って、焚き火をしながら食べた短い・・・。

 仲間たちと山に栗拾いに出かけ、真っ暗になってから帰ってきて、親に怒られた・・・。

 近くの原っぱで要塞まがいの雪の壁(かなり本格的)を作り、毎日雪合戦に明け暮れた寒い・・・。

 誰も踏み入れたことのない山の中で、ふきのとうやねこやなぎを見つけて、いつの間にか自分の知識になっていった雪解けの・・・。



 たわいもないひとつひとつの遊びは、今、思うと自然の中で生活していたことが、実は大きな人間形成の場だったりしたのだろうか。

 子供は自然の中で、そして子供同士の世界の中で多くのことを学び、成長するもの。

 そういえば大人になってから何度も何度もそんな環境にもう一度戻れたなら・・・と淡い思いを抱きながら生きてきた。

 あれから何年・・・いや、何十年も経った今・・・。

 突然の手紙が届いたのだ。






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at 23:36|PermalinkComments(2)「青春」編 

2009年01月22日

五浦海岸で(2)

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五浦海岸で(2)

(2008年12月17日五浦・大洗ドライブ編)







 およぐな!キケンダメのかわいい看板が何とも・・・。

 確かにこの時期、泳いだら危険だ・・・とひとり納得しているんだけど、になったらこの看板ははずされるのだろうか。

 それともこの海岸は本当にガメラが出るので危険なんだろうか。







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【地層】







 そういえば、何度かこの五浦海岸に来たことがあるのだが、ずいぶん昔社員旅行で五浦観光ホテルに泊まったことがあったっけ。

 あの頃は景色がきれいだとか、海が見たいなど・・・そんな気持ちを持ってやってきたわけではない。

 誰かが企画して福島県のどこかで遊んで、その帰り道に五浦で宿泊し、また観光バスに揺られて帰っただけの社員旅行・・・だったような・・・。

 その後も何度かプライベートで立ち寄ったことがあるだけで、海水浴シーズンなどには来たことがない。

 なかなか夏場は忙しくて、海に行けないのも現実だった。

 夏が暇になるのはきっと現役を終えた頃なのだろうなぁ。







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【波打ち際】







 この日の波はそれほど大きくはない。

 きっと波が荒れ狂う日もあり、そんなときにはこの海岸もすっぽりと姿を隠すほどの大波がやってきて、さっきの地層が生まれてきたのだろう。

 長い歴史の中で刻まれていくのは自然界では当たり前のこと。

 なんでもない風景の中で、ぼんやりと歴史を感じることもあるのだ。

 感傷的・・・。







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【足跡】







 ここはそれほど広い海岸ではない。

 もちろん人は誰もいないのだから、この足跡は僕のものであるが・・・なんとなく後ろを振り返って自分の足跡を写してみたくなっただけ。

 けっこう、つまらない写真。







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【いつも同じ波ではない】







 小一時間ほど海辺にいたのだが、さすがに冬の海。

 寒さもそれほど感じてはいなかったが、やっぱり寒いっ

 夏のにぎわう海を想像しながら車に入り込んだ。

 たまにはこうやって海を眺めてみるのもいいものだ。

 そばに海があれば当たり前の景色でも、滅多に見ることがなくなった今、それはそれで貴重な瞬間であると感じながら、エンジンをかけた。



 


雨 ・・・ 雨


2009年1月15日の日記

 朝から傘を差すか、差さぬか・・・という程度の雨が降り続き、それは夜までずっと続いていた。

 冷たい雨である。

 なんだか体調を崩しそうな予感の天気で、ちょっと憂鬱。

 最近どこからともなくインフルエンザが流行っているという声を耳にする。

 誰々がインフルエンザになったそうな・・・。

 できることなら移されたくない。

 とにかく手洗いやうがいだけはしっかりすることにしよう。






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at 23:35|PermalinkComments(2)「旅行(茨城)」編