2009年12月
2009年12月31日
2009年ありがとう
2009年ありがとう
(2009年12月27日茨城県大洗海岸・買い物編)
というか、タイトルが微妙だけどね。
福の神に出会って(笑)、たらふくご飯を食べ、後は帰るだけだったのだが、途中で何を思ったのか、大洗アウトレットに立ち寄ることにした。
もう、ずいぶん暗かったしそれ以上に寒かったんだよね~。
それが悪かったのかもしれないな(風邪の原因)。
でもね、ここって通り道なわけで(笑)、思わず衣類を衝動買い。
あぁ~、今年はもう買わないって思っていたのに。
あ、実はここのアウトレット・・・ちょっと変わったのを知っている?
増設したんだよね。
それが・・・これ!
【大洗まいわい市場】
アウトレットの増設部分にできたのが、この市場。
うひゃぁ~、いろいろ考えてるね~。
そういえば那須高原のアウトレットだって農産物直売所があったりして結構評判がいいらしいし、このまいわい市場も売りになるはず。
最近はアウトレットもあちこちにできているから競争率もはげしいしね。
【大漁旗】
ここの市場は海の幸も山の幸もあるが、けっこうお土産屋さん的でおもしろいものも置いてある。
これ以上物を買っても仕方がないので、ちょっと隠しカメラ(笑)で写すだけに留めることした。
一番気になったのが、
【なんか、気になる一品】
次回来た時に買ってみようかなって思っただけなんだけど、ね。
それにしても寒暖の差が激しく、夜はかなり冷え込んでいる。
そろそろ帰ることにしよう。
帰りも友部SAに立ち寄るのだが、けっこうビックリしたのがイルミネーション。
最近のSAなどにもイルミネーションが煌めいていて、楽しませてくれる。
原宿や六本木に負けないぞ。
【友部SA】
正面に向かって左側はもっとすごいことになっている。
他の明かりがほとんどない暗闇の中だから、尚のこときれいに見える。
写真を何枚も撮ってみたのだが、やっぱり直接見る方が何倍も何十倍も美しい。
これを見るだけでも一見の価値がある(気がする)。
【イルミネーションは冬がお似合い】
最後にもう一枚。
【キティちゃんも幸せだろう】
この後、帰宅してから荷物が多すぎて、僕の部屋は大わらわになったのは言うまでもない。
あぁ、年を越せるのだろうか。
・・・
2009年12月31日の日記
今年もあっという間に通り過ぎてしまいましたね。
皆さんにとってはどんな年でしたか?
素晴らしい年でしたか?
いい出会いありましたか?
夢は実現できましたか?
たとえそうでなくても、諦めずに前に進んでいきたいものですね。
BLOGを書き続けてきて5年と45日。
ちっとも進歩していない僕ではありますが、2010年は途中でリタイアすることなく継続していく予定です。
とはいえ、実は・・・。
このドリコムさんが・・・。
来年1月いっぱいをもって楽天さんに吸収されるらしく、今僕の心の中はパニック状態なのです。
同じ条件のスキンを探さなければ継続が不可能かも・・・。
しかもいくつかの質問をドリコムさんにしても返答のない状態です。
まぁ、希薄な時代ですから仕方ないんですけどね。
BLOGの引っ越しを余儀なくされている状態で、2010年にやらなければならないことがすでにひとつ増えてます。
前向きに、前向きに!!
頑張ろうと思っています。
[1年前の今日のブログを見る]
[2年前の今日のブログを見る]
[3年前の今日のブログを見る]
[4年前の今日のブログを見る]
[5年前の今日のブログを見る]
2009年12月30日
福の神っているかも
福の神っているかも
(2009年12月27日茨城県大洗海岸・買い物編)
さて、少ない時間の中でおさかなクンGET二回戦へと市場に戻ることに~。
この茨城県大洗にある市場で、一番の目的のお店は森田水産さん。
ここに来ると欲しいもののほとんどは手に入る。
相変わらず凄い活気である。
【森田水産は奥まで人でびっしり!】
ついついあれもこれも欲しくなってしまうのだが、すでに紅鮭をGETしていたので、残りは小物をまとめて買うことにした。
大体、僕という人間はお酒の肴のようなものや珍味好きなんだよ。
で、こんなものを・・・。
【珍味三兄弟???】
左から梅くらげ・数の子わさび・紅葉漬だが、見た目よりも量は少ない。
一人暮らしの僕にはこういう量のほうが、効率がいい。
右側の紅葉漬は紅鮭を麹で漬けてあり、若い頃からの大好物なのだが、北海道ではもっと多い量の麹で押してあり、記憶ではキュウリのようなものも一緒に押されていたと思う。
最近口にしていなかった梅くらげ(右)。
なっつかしいって思ってついついこれも購入。
お勧めの逸品である。
【塩辛もGET】
イカの塩辛はまだ冷蔵庫に2瓶あるので、今回は買わずに・・・。
かつおの塩辛とまぐろの酒盗を。
こういうのが好きな人はやっぱりノンベエだと思うんだけど、どうだろう?
まぐろなどの大きな魚の柵も手ごろな値段で売られていて、さらにそれは500円引きだったりして、グラッとくるんだよね。
だけどやっぱり大きすぎるし、今回はそういう魚はPASSすることにしたんだけど、このおさかな市場で一番ほしかったのは質素に干物系。
市場の狭い通りに天日干しされた干物が並んでいるのを何度も見て、
“やっぱり買っていこう!”
【この絵が購入意欲をそそられるわけで】
安い干物で充分なのだが、これらもやっぱり普段スーパーではなかなかお目にかかれないので、このチャンスとばかりに・・・!
金目鯛2枚(500円×2)、鯖のみりん干し(400円×2)、ついでにしらす(500円)を買うことにした。
なぜ露骨に値段まで書いたかというと・・・(笑)。
算数のお勉強ね。
ここで購入した合計金額は2300円。
で、ここからが問題。
僕は10300円を渡したのだが、おつりはいくらでしょうか?
答えは、そう8000円です。
【みりん干し】
ところが、ここのお姉さんは、僕にお釣りを2度も確認しながら、
「はぁ~い、おつり9000円です。ど~もありがとうございましたぁ。」
って・・・。
はて?
聞き間違いかな?
って、いつもなら釣銭など確認もしないで財布に入れてしまう僕なのだが、歩きながらこそこそっと数えてみると、やっぱり1000円札が9枚ある。
何だか申し訳なかったんだけど、大きな声で9000円ですって言われちゃったんで、これは福の神じゃぁああってありがたく頂いたことはヒミツです。
【おなかがペコペコ】
うひゃ~。
せっかく福の神からのおぼし召しもあったのでおいしいものを食べようかなぁって(笑)。
これ三色丼と呼ばれているものだが、どうしても三色でとどまっていない気がする。
それよりもワサビの量が半端ではなく、どれがメインなのか(もしかしたらワサビがメインかも)わからないほど。
最後におまけ~
【重ねられた酢ダコ】
もうすぐお正月。
どの市場の店頭にもこうやって酢ダコがゴソッと立ち並んでいるのを見て、あぁ~もうすぐお正月なんだなぁって感じた一瞬。
僕はあまり好みではないので、写真を撮って満足・・・だな。
・・・
2009年12月30日の日記
もう、年末だね~。
体調を崩した僕もようやく普通の生活に戻ってきたわけで、部屋の掃除をちょっとだけして、あとはのんびりと暮している。
他には特にやることもないから、のんびりなんだけどね。
年末年始のテレビ番組を見て、何だかちょっとがっかりだって思うのは僕だけかな?
いや、がっかりっていうのは、単純に面白い番組がないってこと。
のんびりしたお正月を乗り越えるために必要な余暇の一つとしてお正月特番の番組を期待していたんだけど、どれも似たり寄ったり。
あるTV局なんか、以前の連ドラの再放送で番組を埋め合わせているっていう感じだし、ね。
まぁ、僕の要望としては昔やっていた『ネイチャリングスペシャル』のような番組が1本でもあればいいのだけど・・・。
せいぜい『古代文明ミステリー たけしの新・世界七不思議(1月1日21時~テレビ東京)』と『ミステリーロマン 古代エジプト(1月2日10時15分~NHK)』ぐらいかな。
いや、エジプトが特に好きだというわけではなく、これぐらいしかないんだよ。
あ、もちろん箱根駅伝ははずせないけどね。
最近は低迷している我が母校の駅伝も前回(85回)はなかなかの成績を残していたのだが、バカな部員の不祥事などもあってどうなることか。
実力はここ数年の中ではいいほうだと思っているんだけどね。
楽しみ~。
[1年前の今日のブログを見る]
[2年前の今日のブログを見る]
[3年前の今日のブログを見る]
[4年前の今日のブログを見る]
[5年前の今日のブログを見る]
2009年12月29日
紅鮭ゲット!
紅鮭ゲット!
(2009年12月27日茨城県大洗海岸・買い物編)
大洗は事あるごとによく出向く場所でもあるが、その最大の目的は市場での買い出し(よくBLOGでも書いている)。
実はこんな僕でも魚好きだったり、スーパーなどではなかなか手に入らないアラなど、安いものを買ってきてはチョコチョコっと酒の肴を作ったりするもの嫌いではない。
まぁ、比較的安めにできている人間なわけだ。
それにしても大洗のおさかな市場は大混雑。
【いつにも増して人出が多い】
人込みをかき分けて、目的のものを物色。
結局、喫茶店Cのマスターには希望通り新巻鮭を送ってやることにした。
今年もいろいろとお世話になった方である。
金額もピンからキリまであって、安いのはたったの1500円(うひゃぁ~、この大きさでこの値段?)。
でも、せっかくのお正月。
せめて、中以上のレベルにと奮発してやったんだけど、ちゃんと切ることできるのかなぁ。
【新巻鮭~】
僕は以前自分に買ったこともあるんだけど、さばくのに一苦労した経験があるので、それ以来買ったことはない。
と、と、ところが、ちょうどあるお店の前を通り過ぎようとしたときに、
「最後の一本だよ。」
「ん?」
「この一本、訳有りなんだけど、どう?」
「はて?」
もちろん、その言葉・・・僕に向けて言っているんだよ。
すると、
「実は、これ・・・もう店じまいだから売ってしまおうと思って、さばいたんだよ。この木箱もつけて3000円でどう?」
おおおお!
紅鮭だぁ。
しかも本来なら5000円のもの。
何よりも1本丸ごとではなく、全部切り身にしてある。
しかもそれを真空パックで6組に分けてあるわけ。
もう、僕のために最後の1箱を残してくれていたのじゃないかって思うほど。
つい、それも購入。
【紅鮭を抱えて記念写真(自分で自分を写してみた、笑)】
手荷物も多くなり、一度駐車場に戻り、一回戦終了。
あ、この紅鮭・・・。
見る?
うん(自分で質問して自分で答える)。
【これならいいでしょ!!】
そう、中身はこうなっていたわけ。
何となく2000円も安くしてくれてお得感もあるのだが、これを一人で食べるには至難の業。
いやいや、半分は友人(この1年間、お世話になりました)にプレゼントしたんだよ、結局。
おいしいものを食べて、幸せに年を越してもらいたいもの。
さてさて、二回戦はこれまたお得なお話~(続きは明日ね)。
・・・
2009年月日の日記
昨日一日ぐったりと寝ていたので、ずいぶん体が楽になった。
実は昨日はまったく食事を取ってなく、口にしたのはわずかな水だけ。
もちろんまだ頭痛が残っているので、あまり動きたくない。
寝ている以外はテレビを眺めているか、ときどきPCを覗き込んでいるだけ。
それ以外には何の楽しみもなく過ぎていく~。
せっかくの休み、何してるんだろう(とほほほ)。
[1年前の今日のブログを見る]
[2年前の今日のブログを見る]
[3年前の今日のブログを見る]
[4年前の今日のブログを見る]
[5年前の今日のブログを見る]
2009年12月28日
久しぶりの病人生活
今日はCHO氏と夕方に会う約束をしていたのに・・・。
実は夕べ、家に戻ってから何だか体の調子がおかしくて、頭痛がしていた。
頭痛はよくある方だし、26日の仕事納めの日は職場の大掃除で普段使わない筋肉を嫌というほど使っていて、筋肉痛も残っていたのは事実。
そういうことであまり気にしていなかったんだけど。
で、いつものようにビールをクィッて飲んでみたら・・・。
「まずっ。」
おいしくない。
しかもいくつかのお惣菜までが、まずい。
何だか口にするもの全てがまずい。
背筋がゾクッとしていたが、それもそれほど気にしてはいなかった。
まぁ、ここ数日不規則な生活と心身共に疲労がたまっているのもわかっていたので、それが理由かなぁなんて思って、早々と寝ることにしたのだが。
朝からひどい頭痛。
熱もある。
部屋の中を歩くたびに頭がズキンズキンとする。
まさか・・・。
新型インフルエンザかなぁ。
日中は何度も寝たり起きたり・・・。
結局ひどくなっていくのがわかったので、CHO氏には『ごめんねメール』を送って、今日は部屋で寝ていることにした。
多少は良くなってきているようにも思うのだが、明日もひどくならないように部屋でじっと我慢してようっと。
とはいえ、気力だけはめっちゃある。
睡魔に襲われて横になるのだが、30分もすれば目が覚める。
頭が痛くて目が覚めるわけ(とほほほ)。
横たわりながら中途半端なBLOGを書いて時間をつぶす。
とにかく歩くだけで頭が割れそうになるので病院にも行けそうにない。
これ以上悪くなるようなら、明日は何としても病院に行った方がいいかなって思ってるのだが、できることならこのまま治ってほしいものだ。
せっかくのんびり休暇が始まったばかりだというのに。
しかもこの休暇で、多分人に会うことがないようなヒッキー生活になるのだが、唯一楽しみにしていた日だったのに・・・。
忙しくて時間の取れないCHO氏にわがままばかり言って・・・、お詫びしなきゃぁあああ。
とほほほ。
実は夕べ、家に戻ってから何だか体の調子がおかしくて、頭痛がしていた。
頭痛はよくある方だし、26日の仕事納めの日は職場の大掃除で普段使わない筋肉を嫌というほど使っていて、筋肉痛も残っていたのは事実。
そういうことであまり気にしていなかったんだけど。
で、いつものようにビールをクィッて飲んでみたら・・・。
「まずっ。」
おいしくない。
しかもいくつかのお惣菜までが、まずい。
何だか口にするもの全てがまずい。
背筋がゾクッとしていたが、それもそれほど気にしてはいなかった。
まぁ、ここ数日不規則な生活と心身共に疲労がたまっているのもわかっていたので、それが理由かなぁなんて思って、早々と寝ることにしたのだが。
朝からひどい頭痛。
熱もある。
部屋の中を歩くたびに頭がズキンズキンとする。
まさか・・・。
新型インフルエンザかなぁ。
日中は何度も寝たり起きたり・・・。
結局ひどくなっていくのがわかったので、CHO氏には『ごめんねメール』を送って、今日は部屋で寝ていることにした。
多少は良くなってきているようにも思うのだが、明日もひどくならないように部屋でじっと我慢してようっと。
とはいえ、気力だけはめっちゃある。
睡魔に襲われて横になるのだが、30分もすれば目が覚める。
頭が痛くて目が覚めるわけ(とほほほ)。
横たわりながら中途半端なBLOGを書いて時間をつぶす。
とにかく歩くだけで頭が割れそうになるので病院にも行けそうにない。
これ以上悪くなるようなら、明日は何としても病院に行った方がいいかなって思ってるのだが、できることならこのまま治ってほしいものだ。
せっかくのんびり休暇が始まったばかりだというのに。
しかもこの休暇で、多分人に会うことがないようなヒッキー生活になるのだが、唯一楽しみにしていた日だったのに・・・。
忙しくて時間の取れないCHO氏にわがままばかり言って・・・、お詫びしなきゃぁあああ。
とほほほ。
[1年前の今日のブログを見る]
[2年前の今日のブログを見る]
[3年前の今日のブログを見る]
[4年前の今日のブログを見る]
[5年前の今日のブログを見る]
2009年12月27日
ちょっと大洗まで
ちょっと大洗まで
(2009年12月27日茨城県大洗海岸・買い物編)
今日は叔父の生活を観察がてら、茨城県の大洗まで買い出しに出かけることにした。
先日、叔母が亡くなり、北海道やその他の地方から駈けつけてきた親類のほとんどは葬儀の翌日に帰って行った(ちなみに僕は葬儀の夜)。
叔父の弟2人(北海道在住)は28日まで残るということで、どんな生活(おっさん3人で)をしているのかを見学に行くことに!!
まぁ、叔母が生前、白いご飯とみそ汁だけはしっかり作れるように教育をしていただろうから・・・問題はないだろうが(苦笑)。
ところが、どっこい。
さすがにしばっち家だ。
息子(僕にとっての従弟)の嫁さんがしっかり料理は準備していてくれたので、僕も一安心。
まぁ、叔父の心配は今のところなさそうである(今のところは、ね)。
明日になれば、とりあえず息子夫婦も戻ってきて、正月を越すことになるという。
さて、僕は・・・というと・・・。
【めんたいパークから見る太平洋】
上の写真、めんたいパークから写したものだが、これはサイバーショットWX―1のお遊びでスイングという撮影方法。
180度以上写せる、いわゆるパノラマ写真ってわけ(ちと自慢ね)。
滅多に使えそうにない機能だけど、広大な場所ではちょっと楽しいかもね。
その後、大洗のめんたいパークとおさかな市場に立ち寄り、ちょっと買い物~。
めんたいパークでの目的はもちろんかねふくのおいしい明太子。
【めんたいパーク】
って言いたいのだが、どちらかというと明太子よりも普通のたらこ目的。
かねふくの明太子は僕の口にはどうも甘くてちょっと上品すぎる(おいしいんだけどね)。
もともと北海道育ちの僕は塩辛い方が好みということと、たらこで育ったので愛着があるわけ。
かねふくに限らず、明太子派かたらこ派かと聞かれたら声を大にして、
たらこ派
って答えるだろう。
【こんなのが置かれていた(笑)】
それにしてもここも人が多い。
しかも試食コーナーには長蛇の列。
一口大に切られた明太子とお寿司(軍艦巻き)が食べられるようで、この試食コーナー老若男女わんさか並んでいる。
あっという間に試食用のお皿が空になる。
すごっ
しかも自動販売機の飲み物は無料。
凄いね~。
とりあえず、目的のたらこといわし明太(前回は手羽明太を買ったので)を購入し、お店を出ることにした。
【よ、よ、よだれが~】
大洗海岸沿いにはいくつかの市場が点在する。
途中、マグロの解体ショーとかイベントのやっている市場もあったが、あまり時間がないので素通りすることに。
また、本当は先に買い物をしてから叔父の家に行き、手土産でも渡そうと思ったのだが、彼らは魚介類の本場、北海道の人間だから、あまり嬉しい手土産でもなさそうなので・・・無駄なことはしないほうが身のため。
それにしてもさすがに年末間近。
目的の市場の手前ですでに渋滞。
いくら人が多く来るとはいえ、普段なら駐車場までは結構スムーズに行くのだが・・・。
いつもの市場とはちょっと違う。
簡単に入れる駐車場もなかなか入れず、かなりの時間ロス。
その上、人・人・人。
これじゃ、買い物なんてできないぞ~(って不安が)。
・・・
2009年12月27日の日記
実は、このBLOG中途半端で終わらせているのだが(まぁ、いつものこと)、家に戻ってきてからどうも食欲がない。
食欲がないというよりは、食べたものの味がわからない。
おいしくない。
何よりも好きなビールもちっともおいしくない。
何となく背筋がゾクッとするし、目の奥が痛い。
頭痛のような、肩こりのような、いや背筋痛のような・・・。
嫌な予感がする。
でも、まさかね。
[1年前の今日のブログを見る]
[2年前の今日のブログを見る]
[3年前の今日のブログを見る]
[4年前の今日のブログを見る]
[5年前の今日のブログを見る]
2009年12月26日
出会いと別れの一年
今日は仕事納め。
ちょっと早い気もするが・・・。
本来であれば、明日が仕事納めだったのだが、27日から職場の工事が入るために2カ月ほど前に急遽スケジュールを変更することに。
おかげで仕事のやりくりが大変だったのだが・・・(プライベートで休んでいたこともあり)。
何とかかんとかやりとげ、この日に出勤したスタッフのうち、飲むのが好きな(笑)4人でミニ忘年会をすることにした。
明日は今年最後の忘年会をやるのだが(僕が休んでいる間に急遽決まったらしい)、僕は私用で不参加。
で、イタリアン好きの僕がお気に入りの笹塚にある『iL CHIANTI』へ行くことに。
僕としては『CHIANTI-QUATTRO SHELL CRAB』に行きたかったんだけど、店内は満席(また振られてしまった)。
やっぱり予約が必要なのかなぁ。
それで、今回もまた『iL CHIANTI CAFE』へ。
もちろん食事もおいしいし、雰囲気もいいので僕の大好きなレストランの一つなのだが、ここは比較的店内が暗く、今までだと写真を撮っても満足のいくものはなかなか撮ることができなかった。
ここで、新しく購入したカメラ(サイバーショットWX-1)が活躍するわけで・・・(わぁ~い)。
ぜひおいしい料理を堪能してくだされ(カメラテクニックがない僕のようなド素人でもこれだけ写せるってことだな、笑)。
あ、僕は決してソニーさんの広告塔でも何でもありません。
ミニ忘年会の内容は差ほどないので、ちょっと余談がてらこんなことを書いてみることに。
ここ数年、僕はあまり人と接することをしなくなりつつあった。
仕事上では嫌でも人と接するのであるが、それは別。
プライベートでは余程のことがなければ、極力接しないような状態を作っていた(気がする)。
多分こういった気持になったのは今始まった問題ではない。
昔、最も信頼していた仕事上の人間に裏切られたことが引き金となっているのは言うまでもない。
今では仕事上で知り合った人間は仕事上だけの付き合いという割り切り方をしている。
人との出会いは誰よりも大事にしてるつもりの僕である。
そして、相手を信用することで生まれる信頼関係も・・・。
だけど、やっぱりいるんだよね。
偽善者って(まぁ、過去の話はどうでもいいが)。
でも、いつまでも壁を作っていてはいけないってことも充分わかっている。
もしかしたら僕だって気づかぬうちにそうしていたかもしれないしね。
1度や2度、人に裏切られたって、それは人生勉強だと思えばいい。
何年もかけて達した結論である。
今年の1月に中学時代の同級生Y子から手紙が来た。
その手紙には同窓生の住所録と同窓会の写真が入っていた。
恩師も全員出席しての同窓会だった。
僕は正直驚いた。
中学を卒業してからすでに○×年も経っているのに、こんなに大勢の人間が同窓会に参加していたことに。
恩師もずいぶん歳を取り、老けていたが、全員お元気そうで懐かしさが込み上げてきた。
確かに若かったときには僕も何度も参加していたし、むしろどちらかというと幹事をやらされていたことの方が多かったんだけどね。
そして参加した仲間にも驚いた。
まだ若かった頃はクラス会などというものに参加の興味を示さなかった人間までが参加していて・・・(時の流れが変えていくのだろうか)。
だけど、同窓会に参加したくてもできない人間が2人もいたのを知ったのは住所録の中に書かれていた『逝去』の文字を見たときである。
元気なうちだから再会できる喜びをかみしめることができるってことをそのときに感じ取ったわけで・・・自分の人生をちょっと後悔した一年であった。
そして、先日の叔母の死。
これにも辛い別れがあったが、叔父たちや従兄弟たちとの久しぶりの再会があった。
もちろん小さいながらも人との出会いというのはあった。
今までどこかでこれ以上、人とは出会わないようにしようと抑制する自分がいた。
でも、そういう気持ちも最近は薄れてきている。
人との出会い・・・。
その出会いがあるから人生は楽しいんじゃないかって。
そう、若い頃に一番大切にしていたこと。
まだまだ、いろんな出会いを探してみるのもいいのかもしれないね。
僕自身、未だに多趣味で一度興味を持つとしばらくそれに興じることが多い。
今、もっとも楽しいと思うのはやっぱり旅行。
自分の知らない世界を見る楽しさってドキドキするわけで、新しい世界を自分の目で見たときにはそれがピークになっていく。
旅行がメインではない。
普段の生活から飛び出し、リフレッシュできる環境が心の支えっていうことかな。
だから、わざわざ遠方でなくてもいいわけで・・・。
最近目にすることのない近所の田畑でもいいし、緑の多い公園でもいい。
そこに自分を変える何かがあれば・・・。
もちろん旅行以外にも音楽鑑賞やらスポーツ観戦(主に野球)なども変わらない。
2009年に一番良く聞いたアーティストは、
やっぱり
1:葉加瀬太郎
2:押尾コータロー
3:ゴンチチ
かなぁ。
葉加瀬太郎のアルバムは聴けば聴くほど(僕の経験した)多くの情景が浮かんでくる。
ここ数年はボーカルの声が邪魔になってしまうので、ヒーリングミュージックを聴くことが多い。
特に最近の歌ときたら、やっぱり使い捨てっていうか・・・音が鳴ってればそれでいいみたいな曲が多くて、心に残らないんだよね~。
全てが全てとは言わないが・・・。
歳と言われればそれまでなんだけど、昔の歌にはどこか人を引き付けるものがいっぱいあったんだけどなぁ(ぼそっ)。
最近はなくなったとは言わないけれど、少なくなったよね~。
ふと思う。
今の子供たちが10年経って、20年経ったときに懐かしい歌として残っているものがあるのだろうか・・・ってね。
まぁ、音楽の好みは人ぞれぞれだからね~。
ところで野球観戦と言えば、一度も行くことができなかった。
これは仕事の都合が多くを占めていて、僕の休日の中心はどうしても休館日である月曜日。
この時点でライブがないわけ(セリーグは月曜に試合がほとんどない)。
その上、今の職場が午後出勤で終了が21時30分だから、仕事帰りというわけにもいかない。
友人から何度もチケットをゲットしたよと連絡があっても断ってばかりだった。
実は僕にとってストレス解消に一番いいのが野球観戦だったんだけど、それだけに今年はストレスが抜けなかったのかもしれない(汗)。
もちろん他にもカメラやPC(主にBLOG中心かな)、それからクロスワードパズルや温泉も趣味と言えるかな。
これからも自分の趣味になるような楽しいものを探し出してみたいものである。
ちょっと早い気もするが・・・。
本来であれば、明日が仕事納めだったのだが、27日から職場の工事が入るために2カ月ほど前に急遽スケジュールを変更することに。
おかげで仕事のやりくりが大変だったのだが・・・(プライベートで休んでいたこともあり)。
何とかかんとかやりとげ、この日に出勤したスタッフのうち、飲むのが好きな(笑)4人でミニ忘年会をすることにした。
明日は今年最後の忘年会をやるのだが(僕が休んでいる間に急遽決まったらしい)、僕は私用で不参加。
【今回もiL CHIANTIはCAFEで!】
で、イタリアン好きの僕がお気に入りの笹塚にある『iL CHIANTI』へ行くことに。
僕としては『CHIANTI-QUATTRO SHELL CRAB』に行きたかったんだけど、店内は満席(また振られてしまった)。
やっぱり予約が必要なのかなぁ。
それで、今回もまた『iL CHIANTI CAFE』へ。
もちろん食事もおいしいし、雰囲気もいいので僕の大好きなレストランの一つなのだが、ここは比較的店内が暗く、今までだと写真を撮っても満足のいくものはなかなか撮ることができなかった。
ここで、新しく購入したカメラ(サイバーショットWX-1)が活躍するわけで・・・(わぁ~い)。
ぜひおいしい料理を堪能してくだされ(カメラテクニックがない僕のようなド素人でもこれだけ写せるってことだな、笑)。
あ、僕は決してソニーさんの広告塔でも何でもありません。
【まずはかんぱぁ~い!(お疲れ様ぁ)】
ミニ忘年会の内容は差ほどないので、ちょっと余談がてらこんなことを書いてみることに。
ここ数年、僕はあまり人と接することをしなくなりつつあった。
仕事上では嫌でも人と接するのであるが、それは別。
プライベートでは余程のことがなければ、極力接しないような状態を作っていた(気がする)。
多分こういった気持になったのは今始まった問題ではない。
昔、最も信頼していた仕事上の人間に裏切られたことが引き金となっているのは言うまでもない。
今では仕事上で知り合った人間は仕事上だけの付き合いという割り切り方をしている。
【アボガドとサーモンのブルスケッタ】
人との出会いは誰よりも大事にしてるつもりの僕である。
そして、相手を信用することで生まれる信頼関係も・・・。
だけど、やっぱりいるんだよね。
偽善者って(まぁ、過去の話はどうでもいいが)。
でも、いつまでも壁を作っていてはいけないってことも充分わかっている。
もしかしたら僕だって気づかぬうちにそうしていたかもしれないしね。
1度や2度、人に裏切られたって、それは人生勉強だと思えばいい。
何年もかけて達した結論である。
【牛肉の(あぁ、名前が思い出せません)】
今年の1月に中学時代の同級生Y子から手紙が来た。
その手紙には同窓生の住所録と同窓会の写真が入っていた。
恩師も全員出席しての同窓会だった。
僕は正直驚いた。
中学を卒業してからすでに○×年も経っているのに、こんなに大勢の人間が同窓会に参加していたことに。
恩師もずいぶん歳を取り、老けていたが、全員お元気そうで懐かしさが込み上げてきた。
確かに若かったときには僕も何度も参加していたし、むしろどちらかというと幹事をやらされていたことの方が多かったんだけどね。
【チーズの盛り合わせ(4種類あるのがわかる?)】
そして参加した仲間にも驚いた。
まだ若かった頃はクラス会などというものに参加の興味を示さなかった人間までが参加していて・・・(時の流れが変えていくのだろうか)。
だけど、同窓会に参加したくてもできない人間が2人もいたのを知ったのは住所録の中に書かれていた『逝去』の文字を見たときである。
元気なうちだから再会できる喜びをかみしめることができるってことをそのときに感じ取ったわけで・・・自分の人生をちょっと後悔した一年であった。
そして、先日の叔母の死。
これにも辛い別れがあったが、叔父たちや従兄弟たちとの久しぶりの再会があった。
もちろん小さいながらも人との出会いというのはあった。
今までどこかでこれ以上、人とは出会わないようにしようと抑制する自分がいた。
でも、そういう気持ちも最近は薄れてきている。
人との出会い・・・。
その出会いがあるから人生は楽しいんじゃないかって。
そう、若い頃に一番大切にしていたこと。
まだまだ、いろんな出会いを探してみるのもいいのかもしれないね。
【ムール貝のガーリックソース(僕の大好物)】
僕自身、未だに多趣味で一度興味を持つとしばらくそれに興じることが多い。
今、もっとも楽しいと思うのはやっぱり旅行。
自分の知らない世界を見る楽しさってドキドキするわけで、新しい世界を自分の目で見たときにはそれがピークになっていく。
旅行がメインではない。
普段の生活から飛び出し、リフレッシュできる環境が心の支えっていうことかな。
だから、わざわざ遠方でなくてもいいわけで・・・。
最近目にすることのない近所の田畑でもいいし、緑の多い公園でもいい。
そこに自分を変える何かがあれば・・・。
【ピッツァ】
もちろん旅行以外にも音楽鑑賞やらスポーツ観戦(主に野球)なども変わらない。
2009年に一番良く聞いたアーティストは、
やっぱり
1:葉加瀬太郎
2:押尾コータロー
3:ゴンチチ
かなぁ。
葉加瀬太郎のアルバムは聴けば聴くほど(僕の経験した)多くの情景が浮かんでくる。
ここ数年はボーカルの声が邪魔になってしまうので、ヒーリングミュージックを聴くことが多い。
特に最近の歌ときたら、やっぱり使い捨てっていうか・・・音が鳴ってればそれでいいみたいな曲が多くて、心に残らないんだよね~。
全てが全てとは言わないが・・・。
歳と言われればそれまでなんだけど、昔の歌にはどこか人を引き付けるものがいっぱいあったんだけどなぁ(ぼそっ)。
最近はなくなったとは言わないけれど、少なくなったよね~。
ふと思う。
今の子供たちが10年経って、20年経ったときに懐かしい歌として残っているものがあるのだろうか・・・ってね。
まぁ、音楽の好みは人ぞれぞれだからね~。
【ピッツァにはかかせない(僕の好みはグリーン)】
ところで野球観戦と言えば、一度も行くことができなかった。
これは仕事の都合が多くを占めていて、僕の休日の中心はどうしても休館日である月曜日。
この時点でライブがないわけ(セリーグは月曜に試合がほとんどない)。
その上、今の職場が午後出勤で終了が21時30分だから、仕事帰りというわけにもいかない。
友人から何度もチケットをゲットしたよと連絡があっても断ってばかりだった。
実は僕にとってストレス解消に一番いいのが野球観戦だったんだけど、それだけに今年はストレスが抜けなかったのかもしれない(汗)。
もちろん他にもカメラやPC(主にBLOG中心かな)、それからクロスワードパズルや温泉も趣味と言えるかな。
これからも自分の趣味になるような楽しいものを探し出してみたいものである。
[1年前の今日のブログを見る]
[2年前の今日のブログを見る]
[3年前の今日のブログを見る]
[4年前の今日のブログを見る]
[5年前の今日のブログを見る]
2009年12月25日
いとこ会・・・かぁ~
MERRY X’MAS
今年も華やかなクリスマスシーズンになったが、僕は・・・というと・・・。
もちろん仕事
新宿駅内でケーキなどを買って、出勤(苦笑)。
まぁ、仕事をしている仲間に、ちょっとだけでもクリスマスを味わってもらえたらと思ってね。
帰り道カップルがすれ違う。
片手に持っている紙袋、そしてその中にはリボンが結んであれば、やっぱり素敵な夜を味わっているのだろう。
う・ら・や・ま・し・い
ってほどの歳でもないか(笑)。
さて、ちょっと昨日の話の続き。
僕の大好きな叔母が亡くなり、一通りの儀式を終わらせ、その夜、僕はひとり自宅に帰ることになっていた。
北海道からやってきた叔父たちや従兄弟たちで仕事の都合で帰った人も多かったが、ホテルに1泊して帰る人たちは、その夜は会食(というよりも宴会だよなぁ)を。
もちろん僕も途中まで会食に同席。
僕にとっては10年ぶり以上に会う従兄弟も少なくないが、それぞれがそういう思いを持っていることと思う。
【まずはかんぱぁ~い】
最初に宴会部長(実際には・・・とある社長業を営んでいる)のMお兄ちゃんが挨拶をし、K三お兄ちゃんが乾杯の音頭。
今日のメンバーで僕と同年代は3人。
それ以外はとりあえず、年上のおっさん・・・、いやお兄さんたち。
【僕も慌ててかんぱぁ~い(時すでに遅し)】
乾杯をしてものの10分で、他の従兄は日本酒に進んでいる。
いやぁ、しばっち家って本当に飲兵衛の血筋なんだわぁ。
まず、飲まない人はいないってことが凄すぎるよね。
そんな血筋に生まれた僕だから当たり前のように飲むのだが、それでも僕はビール党。
日本酒なんて飲んだら、そのまま腰砕けになってしまうわけで。
【ローストビーフ】
「ところで、来年の6月・・・。」
と従兄のN行お兄さんが僕に声をかける。
「6月19日でしょ。」
耳にタコができるほど、何度も聞いている言葉である。
北海道に住む従兄弟たちと久しぶりに再会して以来、多くの従兄弟からその言葉を聞かされていた。
「来年の6月19日はY町のホテルで、いとこ会をやるから、必ず参加するように。」
と・・・。
「あ、はぁ~。」
【鶏肉とジャガイモのにんにく炒め】
このいとこ会はすでに10年も行っているらしく、参加者のほとんどは北海道に住む従兄弟である。
関東に住む従兄弟で、僕より若い連中はもちろんなかなか参加するチャンスがない。
仕事だって詰まっているし、なんといっても北海道はやっぱり遠いわけで・・・。
しかも、しばっち家独特の性質(全てが几帳面)っていうのか、この会の予約を1年前にしておくらしく、欠席の言い訳が効かないわけ。
中には夫婦で参加したり、子供たちを連れてきたりもするから、かなりの大人数になるのは必至。
うひゃ~。
「来年はやっぱり参加しないといけないかなぁ。」
と、僕ら下っ端はちょっと困惑気味。
【かなり出来上がってる】
遠い昔、まだ祖父母が生きていた頃といえば、そんなことをしなくても毎年夏や冬には大勢の親類が顔を出すのが当たり前だった。
祖父母が亡くなってから、親類が疎遠にならないように手を尽くしてきたのも伯父たちや年齢の高い従兄たちである。
中にはしばっち家の家系図を細部に渡って調査し、作りあげた人もいて、その完成図(凄いページ数だった)を全しばっち家に郵送されてきていた。
もちろん、僕ら下っ端であろうが平等にそうしていたようである。
【煮込み】
また、別の人間は祖父母の若い頃の写真やら親兄弟の幼い頃の写真まで探し出し、それを冊子にした者もいる。
自分が小さかった頃でさえ恥ずかしいのに、自分の親が小さかった頃の写真を見て気恥ずかしさを覚えたものである。
古き良き時代というけれど、その冊子を見て、恥ずかしさよりも懐かしさが溢れてきて、
「あ~、やっぱり僕はしばっち家の人間として生まれてきてよかったなぁ。」
って思ったものである。
【串カツ】
楽しい会食が半分ぐらい過ぎた頃、宴会部長のMお兄ちゃんが突然マイクを持ち出し、何やら叫んでいる。
なんだぁ~?!
また、始まったのかぁ~。
カラオケだよ、カラオケ。
飲むと必ずカラオケになるしばっち家。
葬儀が終わったばかりの今日だというのに・・・。
少しは自嘲するっていう気持ちがないのか。
しかもおぢさん連中だから当たり前のように演歌主体だし。
僕もカラオケなんてここ数年やったことがないから、断っていたのに。
長従兄からの業務命令(苦)が下されると断れない。
【ティッシュで蝶ネクタイ(実は彼は社長業を営んでいる)】
叔母が生きていた頃、遊びに行くと大晦日は必ずカラオケになる。
叔父の決して上手くはない歌に付き合わされ、その息子たちも僕も愛の手を入れる。
そんな姿を見て、叔母はいつも幸せを噛みしめていたに違いない。
だから僕は叔母のために・・・、叔母のためだけに・・・、歌うことにした。
【デザート】
楽しい時間もあっという間に過ぎ、僕はそろそろ帰らなければならない時間に追い込まれていた。
見送られたら、泣き出しそうになるので、その場で軽く挨拶をすると、誰もが、
「わかっているだろうね~。」
「来年のいとこ会は6月19日だぞ~。」
「たまには北海道に来いよ~。」
「元気でなぁ。」
【愛すべき人たち(左からM志、K三、Y志、K叔父、H樹、S子】
ひとりひとりの声が耳に突き刺さるのを感じながら、その場を離れることにした。
ホテル前には1歳年上のY志(亡くなった叔母の息子)だけが見送ってくれることに。
「ありがとう。」
「うん。」
僕らにはそれ以上の言葉はいらなかった。
「仕方ないね、来年はお互い何とか考えよう・・・か。」
「うん。じゃ、また連絡するからね。」
上野行きの特急電車に乗ってから、この数日間のことを振り返っていた。
ちょうど2週間前にお見舞いに行ったときには弱々しいながらも笑顔で話してくれた叔母。
そして、あれからわずか2週間の間に体調が崩れていって、僕は本当に最後に元気な叔母を見ることができた幸せモンだと思った。
いとこの中でも数少ない女性のH子お姉さんは、
「私は今回どうしてもお見舞いに行ってやれなかった。だって、おばちゃんの顔を見たら絶対泣いてしまうと思ったから・・・。」
と言っていた。
K叔父の喪主の挨拶で言った言葉。
「M子(叔母の名前)が10月に病院で検査をしたときに、長くて半年の命と宣告されました。
このことはM子も聞いていましたが、家に戻ってから『お医者さんが半年の命と言ったということは、長くても3カ月でしょうね。』と言ってきました。
延命処置をどうするかと尋ねられたときに、きっぱりと『私は過去に2度死んでいるので、もうそういうことはしないでください。充分満足の人生でした。』と断りました。
『ただ心配なのはこれから私がいなくなったら、ご飯を作ってやれなくなること』というM子の特訓を受けて、何とか今では白いご飯とみそ汁は作れるようになりました。」
この言葉がずっと頭の中にこびりついて離れず、考えているうちに涙がにじみ出てしまう自分がいた。
台所に立った叔父を見たことはない。
いや、台所に男の人を立たせたことがないような家庭である。
叔父は本当にこれから立つことができるのだろうか(息子2人は東京と埼玉にいるわけだし)。
昔から線の細い叔父である。
それが歳と共にさらに小さくなったのも伺える。
今、僕ができることはやっぱりたまには顔を出してあげること。
若い頃にずいぶんお世話になったんだから、これからはちょっとでも叔母の代わりになってあげられること。
あとで、ああしておけばよかったって後悔したくないもの。
また、近いうちに顔を出すことにしよう。
叔母の死で、再会した大勢のいとこ連中。
最近ではこういうことでもなければ、だんだんと顔を合わせなくなってきているのも事実である。
やっぱり(自分も周りも)老いていく前に、小さくてもいから一歩前に歩いてみるのもいいかもしれないな。
叔母は僕にまたひとつ勇気を与えてくれたのかもしれない。
6月19日、北海道に行ってみるとするか・・・。
[1年前の今日のブログを見る]
[2年前の今日のブログを見る]
[3年前の今日のブログを見る]
[4年前の今日のブログを見る]
[5年前の今日のブログを見る]
2009年12月24日
思い出ぽろり
朝、一番遅く目覚めたのは僕だった。
もうすでに他の人は部屋にいない。
ちょっと焦るが、時計を見たらまだ7時にもなっていない。
従兄とはいえ、みんな充分におぢさんだから朝が早いのか(苦笑)。
今日は叔母の葬儀の日である。
地方によっては儀式の方法もいろいろあるようで、ここでは、朝の9時から親族だけによるお葬式で、その後霊園(火葬場)に移動。
遺骨になってから再び葬儀会場に戻ってきて13時から告別式となるのだ。
ちょっと順番が違う気もするのだが・・・これも地域によるものだろう。
しかも、斎場では一度もお線香をあげていない(これも今までのそれとは違う)。
地域によってしきたりがいろいろ違うのもわかるが、時代によっても昔とはずいぶん変わっているのも感じられる。
実はここの霊園には50代で亡くなったT叔父も眠っている。
もともとT叔父は心臓が丈夫な人ではなかった。
しばっち家の中で心臓が悪かった人はT叔父だけ(他の人は心臓に毛が生えているひとがほとんどかと思われる)。
T叔父がまだ元気だった頃、僕が遊びに行くと必ずダウンするまで一緒にお酒を飲まされ、
「お前はまだまだひよっこだなぁ。」
って言うのが口癖だった。
すると北海道から来た連中(親族の多くは北海道なもんで)は、
「T叔父に会いに行くべ~(北海道弁丸出し)。」
「んだ、んだ!(そうだ、そうだ)。」
と、大勢でT叔父の墓前に行くことに。
っていうか、この人数で突然会いに行ったら、ゆっくり寝ているT叔父も驚いてしまうだろっ(爆)。
「ひっさしぶりだなぁ~。」
「ごめんね~、驚いた?」
「みんなで会いに来たよ~。」
霊園に響くしばっち家の声。
T叔父のお墓の周りはドンチャン騒ぎ。
僕も久しぶりに来たお墓。
みんなが引き上げてから、
「ご無沙汰してます。あれだけ大勢で来てビックリだね。」
と手を合わせてきた。
T叔父のときもそうだったが、今回の叔母も穏やかな気候で、その上、青空が広がっている日。
“何だかあのとき(T叔父のとき)と似てるなぁ。”
ふと遠い昔の思い出がよぎる。
午後は告別式がしめやかに行われる。
儀式終了後に、一組のご夫婦が僕のところに近寄ってきて、
「ご無沙汰してます。」
と声をかけてきた。
H君ご夫妻だ。
「Hです。覚えてらっしゃいますか?」
「もちろん、入場されたときにすぐに気付きました。」
「家内です。」
と伴侶を紹介されたときに、
「はじめまして。」
と、下向き加減に僕。
「・・・、いやいや、初めてじゃないよ。ほら、昔一緒に麻雀したんだけど。」
「あははは、そういえば・・・。」
「今度、おやっさん(叔父)とまた麻雀したいものですね。」
まだ、20代の頃は正月となれば、高校時代の部活仲間(従弟や彼らはサッカー部で活躍していた)が叔母の家に集まり、酒を飲んで、麻雀やボーリングに興じるのが恒例の行事。
僕とH君は従弟を通して親しくなった一人。
しばし、若かりし頃の想いにふけながら、再会の約束をして別れることにしたのだが、このH君の仲人も亡くなった叔母と叔父である。
みんな叔母が大好きだった。
全ての儀式を終え、一度叔母の家に戻り、数名の親族は仕事の都合もあり、この場で別れることになった。
北海道江別市に住む従兄のK二も帰る時間だ。
K二は僕の大好きな従兄の一人。
小学生の頃は、夏休みになるとK二の家で過ごすことがしばしば。
僕がまだ子供で、リュックサックを担いで一人で汽車に乗り、言われた駅で降りると迎えに来てくれたのもK二。
あの頃は全てが冒険だった。
K二と僕は10歳の年の差があり、すでに大人と子供だったが、僕を引き連れて、いつも遊びに連れて行ってくれた。
暑い日は海へ、忙しいときは近くの公園へ。
お風呂に入るときも寝るときも必ずK二と一緒だったほど、可愛がってくれていた。
「Kちゃん、なかなか連絡できなくてゴメンね。」
唯一『ちゃん付け』で呼ぶ年上の従兄である。
「今度、北海道で会おう。ところで・・・夕べ、俺の頭に冷たいタオルを乗せたのは誰だろう。」
「・・・。」
実はK二は前日から38℃代の高熱を出していたのだ。
「もしかして、お前か・・・。」
「あははは、ばれた?」
今まで長い間会えなかった代償である。
「Kちゃん、元気でね。」
「来年、北海道に来い。北海道に来たら、俺のところに来い。」
「うん。」
そのときの僕は10歳の小学生に戻っていた気がして、思わず涙が出そうになってしまった。
もうすでに他の人は部屋にいない。
ちょっと焦るが、時計を見たらまだ7時にもなっていない。
従兄とはいえ、みんな充分におぢさんだから朝が早いのか(苦笑)。
今日は叔母の葬儀の日である。
【葬儀前の時間】
地方によっては儀式の方法もいろいろあるようで、ここでは、朝の9時から親族だけによるお葬式で、その後霊園(火葬場)に移動。
遺骨になってから再び葬儀会場に戻ってきて13時から告別式となるのだ。
ちょっと順番が違う気もするのだが・・・これも地域によるものだろう。
しかも、斎場では一度もお線香をあげていない(これも今までのそれとは違う)。
地域によってしきたりがいろいろ違うのもわかるが、時代によっても昔とはずいぶん変わっているのも感じられる。
実はここの霊園には50代で亡くなったT叔父も眠っている。
もともとT叔父は心臓が丈夫な人ではなかった。
しばっち家の中で心臓が悪かった人はT叔父だけ(他の人は心臓に毛が生えているひとがほとんどかと思われる)。
T叔父がまだ元気だった頃、僕が遊びに行くと必ずダウンするまで一緒にお酒を飲まされ、
「お前はまだまだひよっこだなぁ。」
って言うのが口癖だった。
すると北海道から来た連中(親族の多くは北海道なもんで)は、
「T叔父に会いに行くべ~(北海道弁丸出し)。」
「んだ、んだ!(そうだ、そうだ)。」
と、大勢でT叔父の墓前に行くことに。
っていうか、この人数で突然会いに行ったら、ゆっくり寝ているT叔父も驚いてしまうだろっ(爆)。
「ひっさしぶりだなぁ~。」
「ごめんね~、驚いた?」
「みんなで会いに来たよ~。」
霊園に響くしばっち家の声。
T叔父のお墓の周りはドンチャン騒ぎ。
僕も久しぶりに来たお墓。
【T叔父の墓前で】
みんなが引き上げてから、
「ご無沙汰してます。あれだけ大勢で来てビックリだね。」
と手を合わせてきた。
T叔父のときもそうだったが、今回の叔母も穏やかな気候で、その上、青空が広がっている日。
“何だかあのとき(T叔父のとき)と似てるなぁ。”
ふと遠い昔の思い出がよぎる。
午後は告別式がしめやかに行われる。
儀式終了後に、一組のご夫婦が僕のところに近寄ってきて、
「ご無沙汰してます。」
と声をかけてきた。
H君ご夫妻だ。
「Hです。覚えてらっしゃいますか?」
「もちろん、入場されたときにすぐに気付きました。」
「家内です。」
と伴侶を紹介されたときに、
「はじめまして。」
と、下向き加減に僕。
「・・・、いやいや、初めてじゃないよ。ほら、昔一緒に麻雀したんだけど。」
「あははは、そういえば・・・。」
「今度、おやっさん(叔父)とまた麻雀したいものですね。」
【こちらを向いているのは全て従兄(右端のみ従弟)】
まだ、20代の頃は正月となれば、高校時代の部活仲間(従弟や彼らはサッカー部で活躍していた)が叔母の家に集まり、酒を飲んで、麻雀やボーリングに興じるのが恒例の行事。
僕とH君は従弟を通して親しくなった一人。
しばし、若かりし頃の想いにふけながら、再会の約束をして別れることにしたのだが、このH君の仲人も亡くなった叔母と叔父である。
みんな叔母が大好きだった。
全ての儀式を終え、一度叔母の家に戻り、数名の親族は仕事の都合もあり、この場で別れることになった。
北海道江別市に住む従兄のK二も帰る時間だ。
K二は僕の大好きな従兄の一人。
小学生の頃は、夏休みになるとK二の家で過ごすことがしばしば。
僕がまだ子供で、リュックサックを担いで一人で汽車に乗り、言われた駅で降りると迎えに来てくれたのもK二。
あの頃は全てが冒険だった。
K二と僕は10歳の年の差があり、すでに大人と子供だったが、僕を引き連れて、いつも遊びに連れて行ってくれた。
暑い日は海へ、忙しいときは近くの公園へ。
お風呂に入るときも寝るときも必ずK二と一緒だったほど、可愛がってくれていた。
「Kちゃん、なかなか連絡できなくてゴメンね。」
唯一『ちゃん付け』で呼ぶ年上の従兄である。
「今度、北海道で会おう。ところで・・・夕べ、俺の頭に冷たいタオルを乗せたのは誰だろう。」
「・・・。」
【左からY叔父・K二(従兄)・E叔父・N行(従兄)】
実はK二は前日から38℃代の高熱を出していたのだ。
「もしかして、お前か・・・。」
「あははは、ばれた?」
今まで長い間会えなかった代償である。
「Kちゃん、元気でね。」
「来年、北海道に来い。北海道に来たら、俺のところに来い。」
「うん。」
そのときの僕は10歳の小学生に戻っていた気がして、思わず涙が出そうになってしまった。
[1年前の今日のブログを見る]
[2年前の今日のブログを見る]
[3年前の今日のブログを見る]
[4年前の今日のブログを見る]
[5年前の今日のブログを見る]
2009年12月23日
久しぶりのご対面
穏やかな冬晴れの日・・・。
12月初旬に久しぶりに再会した叔母と再び会うことになったが、叔母はすでに息を引き取っていて、
「また会おうね。」
の言葉と胸のあたりで小さく手を振って別れたときの笑顔がどうしても頭から離れない。
お昼頃に叔母の家に着いた時には大勢の親族がすでに集まっていて、僕の顔を見るなり、
「おぉぉ~。」
の声。
見る人すべてがおぢさんばかりで、記憶にないような人も(苦笑)。
うひゃぁああ。
“この人、誰?”
と思う人が多く、頭の中が混乱している。
叔母が奥の部屋で眠っていたので、まずは声をかけてくることに。
しばっち家に嫁いで、彼女はきっと幸せな人生を送ったものと僕は思っている。
あのときの笑顔のまま。
ただ違うのは声をかけてもそれ以上は笑ってくれない。
僕は、
「今まで本当にありがとう。」
の言葉をかけてやるのが精いっぱいだった。
さて、しばっち家の従兄弟連中は・・・というと、大勢居過ぎて本当にわからない。
しかも男系で、女性陣は数えるほどなのだ。
その上、みんな同じ顔に見える。
髪の毛がすっかり白くなってしまった人も少なくない。
この大勢の従兄弟の中でも僕はどちらかというと下っ端。
小さい頃から、Kお兄ちゃん、Hお兄ちゃんと、呼ぶときにはほとんど『お兄ちゃん』と付けないと、すぐに親に叱られていたからだ。
中には伯父・叔父なのか、従兄弟なのかわからないぐらい年齢の離れている人(従兄弟で)もいる。
もちろん従姉妹の旦那だとさらにわからない(苦笑)。
そして、叔母が亡くなったというのに、はじけ飛んでいる面々。
我が家はそんな血筋なのだ。
納棺を済ませ、斎場(葬儀会場)に移動する間も足腰の弱っている伯父(叔父)をお世話するのは僕らの役目。
親の男兄弟は6人で、全員当たり前だが『しばっち家』である(姉妹も6人いるから、凄過ぎだよね~)。
もう誰が見ても、おじいちゃん・おばあちゃんなわけだ。
この兄弟姉妹(僕にとってのおじ・おば)、異常に仲がいい。
そういうところは、僕の自慢でもある。
そんなわけで、その子供(もちろん僕の従兄弟などにあたる)である僕らも異常に仲がいいわけで・・・。
親族の派閥なんていうのは全くない。
10年ぶりに会う人もいる。
いや、それ以上の人も・・・。
それでも幼い頃には可愛がってもらった従兄連中。
こういうときでなければ孝行はできないわけで・・・。
お通夜の席でも、叔母の生前に携わった人々が大勢駈けつけてくれ、叔母の人柄が伺える。
もちろん、僕の知っている顔も数名(従兄弟の友人でもあり)いたが、誰もがみんな若い頃から叔母にお世話になった連中だろう。
H君も、M君も、K君も、結婚する際の仲人は全てこの叔父・叔母夫婦だったのだ。
その上、この叔父・叔母が仲人を引き受けた20数組のカップルは一組として離婚していないというのも凄い。
お通夜というのは、読んで字のごとく夜通しで行うもので、昔は親族の誰かが必ずそばにいて、お線香などを絶やさないでいたものだが、最近ではずいぶん簡素化されている。
もともとは時間に間に合わないような遠方から駆けつけた人々のためにいつでもお参りできるようにするものだというのがお通夜だが、最近では儀式が終わるとそのまま式場を閉鎖してしまうところもある(実際にここはそうだった)。
お通夜の儀式が終了し、その後は親族での会食。
これが、また大騒ぎなわけで・・・。
僕もかなり従兄たちに叩かれたわけ。
「あのね~。」
「お前ね~。」
と、まぁ、連絡をしないことが多くなってきているのは事実だけど・・・。
従兄だって、連絡くれないじゃん(と心でブツブツ)。
それでもみんな兄弟のような連中であり、やさしい連中なのである。
「おじさんたちもおばさんたちももう年寄りなんだからさぁ、俺たちが・・・。」
と、誰かが口にする。
「そんなの、充分知っているよ。」
と、話を押さえるのは、また別の従兄弟(笑)。
僕も、心の中で(あくまでも心の中に止めておいてある)、
「だから、おじさんの手を引いているでしょ。荷物だって僕が持ってるんだよ~、全部!」
と、アピールしたいが、そこは我慢(笑)。
そう、親の時代はもう過ぎたんだよってことをそろそろみんな自覚し出しているわけ。
この夜、布団を敷いてあげ、おじや年上の従兄たちを全て寝かせて、ようやく僕らの年代が羽を伸ばす。
亡くなった叔母の息子2人と、僕らより年下の従弟3人と僕の計6人が大きな顔をして酒の飲み交わす。
部屋の中はまるでおぢさんたちの修学旅行状態である。
ぼくらがその隙間に寝たのは深夜2時ごろである(かなり飲んでいたので多分そのぐらいの時間だろうと・・・思われる)。
12月初旬に久しぶりに再会した叔母と再び会うことになったが、叔母はすでに息を引き取っていて、
「また会おうね。」
の言葉と胸のあたりで小さく手を振って別れたときの笑顔がどうしても頭から離れない。
お昼頃に叔母の家に着いた時には大勢の親族がすでに集まっていて、僕の顔を見るなり、
「おぉぉ~。」
の声。
見る人すべてがおぢさんばかりで、記憶にないような人も(苦笑)。
うひゃぁああ。
“この人、誰?”
と思う人が多く、頭の中が混乱している。
叔母が奥の部屋で眠っていたので、まずは声をかけてくることに。
しばっち家に嫁いで、彼女はきっと幸せな人生を送ったものと僕は思っている。
あのときの笑顔のまま。
ただ違うのは声をかけてもそれ以上は笑ってくれない。
僕は、
「今まで本当にありがとう。」
の言葉をかけてやるのが精いっぱいだった。
さて、しばっち家の従兄弟連中は・・・というと、大勢居過ぎて本当にわからない。
しかも男系で、女性陣は数えるほどなのだ。
その上、みんな同じ顔に見える。
髪の毛がすっかり白くなってしまった人も少なくない。
この大勢の従兄弟の中でも僕はどちらかというと下っ端。
小さい頃から、Kお兄ちゃん、Hお兄ちゃんと、呼ぶときにはほとんど『お兄ちゃん』と付けないと、すぐに親に叱られていたからだ。
中には伯父・叔父なのか、従兄弟なのかわからないぐらい年齢の離れている人(従兄弟で)もいる。
もちろん従姉妹の旦那だとさらにわからない(苦笑)。
そして、叔母が亡くなったというのに、はじけ飛んでいる面々。
我が家はそんな血筋なのだ。
【大好きな叔母だった】
納棺を済ませ、斎場(葬儀会場)に移動する間も足腰の弱っている伯父(叔父)をお世話するのは僕らの役目。
親の男兄弟は6人で、全員当たり前だが『しばっち家』である(姉妹も6人いるから、凄過ぎだよね~)。
もう誰が見ても、おじいちゃん・おばあちゃんなわけだ。
この兄弟姉妹(僕にとってのおじ・おば)、異常に仲がいい。
そういうところは、僕の自慢でもある。
そんなわけで、その子供(もちろん僕の従兄弟などにあたる)である僕らも異常に仲がいいわけで・・・。
親族の派閥なんていうのは全くない。
10年ぶりに会う人もいる。
いや、それ以上の人も・・・。
それでも幼い頃には可愛がってもらった従兄連中。
こういうときでなければ孝行はできないわけで・・・。
お通夜の席でも、叔母の生前に携わった人々が大勢駈けつけてくれ、叔母の人柄が伺える。
もちろん、僕の知っている顔も数名(従兄弟の友人でもあり)いたが、誰もがみんな若い頃から叔母にお世話になった連中だろう。
H君も、M君も、K君も、結婚する際の仲人は全てこの叔父・叔母夫婦だったのだ。
その上、この叔父・叔母が仲人を引き受けた20数組のカップルは一組として離婚していないというのも凄い。
お通夜というのは、読んで字のごとく夜通しで行うもので、昔は親族の誰かが必ずそばにいて、お線香などを絶やさないでいたものだが、最近ではずいぶん簡素化されている。
もともとは時間に間に合わないような遠方から駆けつけた人々のためにいつでもお参りできるようにするものだというのがお通夜だが、最近では儀式が終わるとそのまま式場を閉鎖してしまうところもある(実際にここはそうだった)。
【お通夜の儀式が終わって】
お通夜の儀式が終了し、その後は親族での会食。
これが、また大騒ぎなわけで・・・。
僕もかなり従兄たちに叩かれたわけ。
「あのね~。」
「お前ね~。」
と、まぁ、連絡をしないことが多くなってきているのは事実だけど・・・。
従兄だって、連絡くれないじゃん(と心でブツブツ)。
それでもみんな兄弟のような連中であり、やさしい連中なのである。
「おじさんたちもおばさんたちももう年寄りなんだからさぁ、俺たちが・・・。」
と、誰かが口にする。
「そんなの、充分知っているよ。」
と、話を押さえるのは、また別の従兄弟(笑)。
僕も、心の中で(あくまでも心の中に止めておいてある)、
【僕はカメラマンに徹することに(笑)】
「だから、おじさんの手を引いているでしょ。荷物だって僕が持ってるんだよ~、全部!」
と、アピールしたいが、そこは我慢(笑)。
そう、親の時代はもう過ぎたんだよってことをそろそろみんな自覚し出しているわけ。
【飲んだくれの従兄連中です】
この夜、布団を敷いてあげ、おじや年上の従兄たちを全て寝かせて、ようやく僕らの年代が羽を伸ばす。
亡くなった叔母の息子2人と、僕らより年下の従弟3人と僕の計6人が大きな顔をして酒の飲み交わす。
部屋の中はまるでおぢさんたちの修学旅行状態である。
ぼくらがその隙間に寝たのは深夜2時ごろである(かなり飲んでいたので多分そのぐらいの時間だろうと・・・思われる)。
[1年前の今日のブログを見る]
[2年前の今日のブログを見る]
[3年前の今日のブログを見る]
[4年前の今日のブログを見る]
[5年前の今日のブログを見る]
2009年12月22日
訃報
叔母が亡くなったと従兄弟から連絡があった。
つい先日、お見舞いに行ったときには、弱々しいながらも意識もあったし、笑顔で会話もしていたのだが・・・。
あれからまだ2週間しか経っていない。
毎日、目が覚めるたびに『元気でいるかな?』って思っていた。
『体が痛かったら、我慢しないで看護師さんを呼んでね。』
『辛かったら、辛いって言ってね。』
いつもいつも心の中で信号を送っていた。
2週間前はまだ元気だったから、年内の命とは聞いていたが、年を越しても元気でいるものだとばかり思っていた。
僕がお見舞いに行ったので、頑張ってベッドから起きていたのかもしれない。
僕だっていっぱいいろんな話をしてあげたかったけど、口にすればするほど、思い出が溢れてきて未練が残るんじゃないかなって。
現代医学っていうのはすごいんだね。
小さい頃からお世話になった方である。
大好きな叔母だった。
関東に住むようになってからはほとんど毎年といっていいほど、叔母の家で正月を迎えていた。
母のような存在の叔母だった。
叔母との最期の別れになるが、明日・あさっては『今までありがとう』の声を掛けに出かけてくる予定。
つい先日、お見舞いに行ったときには、弱々しいながらも意識もあったし、笑顔で会話もしていたのだが・・・。
あれからまだ2週間しか経っていない。
毎日、目が覚めるたびに『元気でいるかな?』って思っていた。
『体が痛かったら、我慢しないで看護師さんを呼んでね。』
『辛かったら、辛いって言ってね。』
いつもいつも心の中で信号を送っていた。
2週間前はまだ元気だったから、年内の命とは聞いていたが、年を越しても元気でいるものだとばかり思っていた。
僕がお見舞いに行ったので、頑張ってベッドから起きていたのかもしれない。
僕だっていっぱいいろんな話をしてあげたかったけど、口にすればするほど、思い出が溢れてきて未練が残るんじゃないかなって。
現代医学っていうのはすごいんだね。
小さい頃からお世話になった方である。
大好きな叔母だった。
関東に住むようになってからはほとんど毎年といっていいほど、叔母の家で正月を迎えていた。
母のような存在の叔母だった。
叔母との最期の別れになるが、明日・あさっては『今までありがとう』の声を掛けに出かけてくる予定。
[1年前の今日のブログを見る]
[2年前の今日のブログを見る]
[3年前の今日のブログを見る]
[4年前の今日のブログを見る]
[5年前の今日のブログを見る]