2010年03月
2010年03月21日
バインズの最後の朝
バインズの最後の朝
青空の下に奇岩の広がるピナクルスの夢でも見ていたのだろうか。
いやいや、その風景を夢見ていただけに、思いだけが先行していたのかもしれない。
そういえば・・・、
昨日はほとんどご飯を食べていなかった気がする。
ツアー中はランチ付きだったが、残念なことに車中でのお弁当(夕方に食べたんだっけなぁ)。
本来であれば奇岩に座って(笑)青空の下で食べるお弁当だったに違いない(そんなことはないか、苦笑)。
しかし、強い風と雨の中でお弁当を広げるなんてできなかったし、夏とは思えないほどの寒さで長時間外に出ることですらためらってしまう環境だったので、車中で膝の上にお弁当を置きながら口に押し込むしかなかった。
ベランダの窓を開けると今日も低い雲が空一面を覆っている。
夕べは星も出ていたのに・・・。
その上、昨日よりも寒い気がする。
この寒さ・・・、以前、冬に来たときよりもさらに寒く感じる。
今は夏・・・。
僕はお湯を沸かして、コーヒーをすすることにした。
この窓から眺める景色とも今日でお別れである。
寒い朝ではあるが、このひとときを味わえるのは今度はいつになるかわからない。
ベランダの椅子に座り、コーヒーを飲みながら新鮮な空気をいっぱい吸える幸せを感じていたかったのである。
相変わらず雲の多い寒い朝。
お昼過ぎに友人Sがパース市内に仕事に行くのと同時に僕らも移動することになっていたので、午前中はスワンバレーまでドライブに行くことにしていた。
目覚めたときからお腹は空いていたのだが、ホテルで朝食を摂らず、スワンバレーのどこかのレストランで食べようということで、シャワーを浴び、スーツケースを整理。
あくまでもワイナリー巡りではなく、本当に時間潰しである(笑)。
チェックアウトをして、荷物はカウンターに預けておき、いざ出発。
上の写真は友人Tをモデル(はて?)に写した写真。
日本では車社会とはいえ、買い物に行くにしても電車やバスでも充分だったり、近所にもコンビニやスーパーなどが数件あるが、この国はそうでもない。
もしバインズに住むとしたら車は必需品である。
バスも通っているのかもしれないが、見た試しがない。
さてさて、どこに行くか・・・なんて、あてのないドライブ。
バインズのロゴも緑の葉がメインでやっぱりシンプルに自然をイメージしている。
ロゴってシンプルで人の目に焼きつくようなものが一番印象に残るね。
2010年3月21日の日記
世の中3連休の中日。
昨夜から降りだした雨と強い風は深夜も続いていたようで、まだ陽の昇らない早朝、風の音で目が覚めた。
強風というよりは烈風。
恐ろしい音が響いている。
遠くでは大きな物音がするが、多分外に置いてあるゴミ箱(自販機などの横に置いてある)ようなものが転がっている音がして、寝られない。
しばらく目を閉じていると携帯電話の音。
iコンシェルからの通知のようだ。
眠い目をこすりながら、携帯電話を覗いてみると、電車が・・・。
この烈風のせいで案の定、止まっているとの通知。
はて?
今日も地下鉄で行くしかないか。
いつもは朝6時半に家を出るのだが、今日はとりあえず6時に出ることに。
駅員に尋ねると、まだ復旧の見通しが立っていないとのことで、しぶしぶ地下鉄に乗ることに。
僕の住んでいる街には地下鉄が通っているのでいいが、隣町はそうはいかない。
埼玉高速鉄道から、南北線、丸ノ内線に乗り換えての出勤。
ちょっと遠回りではあるが、台風などでJRが動かないときにはこのルートが最も安全である。
と、と、ところが、通常7時には出勤しているはずの警備の人間が来ていない(ごらぁぁあああ)。
朝からドタバタの一日が始まったのはいうまでもない。
2010年03月20日
崎陽軒の横浜カレー
あっという間に週末。
そういえば、今日から3連休の方も多いに違いない。
そんなときは僕にとっては忙しい時間となるわけで・・・。
とにかく睡眠不足にならないように乗り越えるしかない。
さてさて、何度かブログに書いているK三叔父だが、以前『乖離性動脈瘤(かいりせいどうみゃくりゅう)』で入院した際に、お見舞いにと・・・崎陽軒の中華粥(レトルト)を持って行ったことがあるのだが、どうもそれがかなりお気に入りで、以前手紙で要求してきたことがあり、ようやくネット販売で購入することにした。
崎陽軒の中華粥は、鯛粥・蟹粥・帆立粥・フカヒレ粥の4種類あって、それぞれ10箱ずつ買い、ついでに自分のためにも買ったのが、
横浜カレー。
これは僕の分だから、と思い4箱にとどめておいた(笑)。
別にレトルトカレーが食べたいわけではなかったのだが、K三叔父のためだけにネットで購入するのはもったいないと思い(笑)、お遊びで買ってみたものだ。
合計17,000円也(ちょっと高かったかな?)。
でもね、K三叔父の奥さんであるM子叔母が亡くなった(去年の12月)ときに僕は今までほとんど何もしてあげてなく、いつもそればかりを悔んでいたわけで、これからは少しでも恩返ししてあげたくてね。
大学時代からずっとお世話になっていた人たちである。
当時、故郷の北海道になかなか帰れない僕に、
「お正月はうちに来てね。」
と毎年M子叔母は手紙をくれて、それに甘えていた僕である。
M子叔母が亡くなった今、K三叔父が元気なうちにできることは、できるだけやっておかなきゃ。
実はK三叔父以外にもまだまだ元気な伯母や叔父も多く、近いうちにこの崎陽軒の中華粥を送ってあげようと思っているところ。
乖離性動脈瘤という病気は塩分を控えなければいけないようで、病院からは1日の摂取量5g以下と言われているらしい。
で、崎陽軒のご案内係りの人に電話をして聞いてみたら、
鯛粥が1.0g、蟹粥と帆立粥が1.2g、フカヒレ粥が1.5gということでちょっと一安心。
コンビニなどでも売られているお粥はそれよりちょっとお高めなので、少しは体にいいかな?
お粥以外にも送りたいものがあったので、直接K三叔父に配達してもらうのを避け、一度僕のところまで配達をしてもらって、梱包をしなおしたのだが、空間があったので、この横浜カレーも一箱入れてやることにした(笑)。
K三叔父・・・、カレーは食べるかな?
2010年03月19日
マグロ、万歳!
大西洋クロマグロ問題が取り沙汰されていたが、とりあえずクロマグロ禁輸に対して賛成20票、反対68票、棄権30票と否決された。
もしかしたらこの先、僕らの口にはマグロが入らなくなるかもしれないという危機感もあったが、なんと反対票が賛成票の3倍以上で否決され、とりあえず一安心。
でもね、僕の口に入っているマグロってどこのマグロだろう。
たとえ、大西洋クロマグロでなくても、マグロ自体が食べられなくなるなんて考えられないよね。
・・・ということで、僕も思わずマグロのお刺身で乾杯。
いやぁ、トロじゃなくてもマグロはやっぱりおいしい。
最近はお刺身じゃなくて、アボガドと混ぜて食べるのがマイブームなんだけど、今日は純粋にお刺身で口にしてみた。
これだけでも十分ビールのおつまみになってくれるしね。
これからもおいしいマグロを食べられますように。
2010年03月18日
続・引っ越し作業
少しずつ春の気配が感じられるこの頃。
電車の中から見る景色も、どこか淡いピンクの風景が目に飛び込んでくる。
なかなか空がすっきりしないのが難点だが、やっぱり春はやってくるんだなぁ~(しみじみ)。
2月15日をもって、ドリコムからライブドアにブログを引っ越ししたのだが、実はそれ以前の数日分の記事の引っ越しができていなかった。
ドリコムからのメールで、3月いっぱいで閲覧もできなくなるようで、残った記事の引っ越し作業。
ただでさえ時間がないのに、コツコツと作業を繰り返さなければならないジレンマ。
それでも日に5日分の記事を引っ越しさせ、何とか今日で終了(一安心)するに至った。
まぁ、過去の記事を見るなんて自分ぐらいだけど、ね。
僕のブログなんて大した記事はないが、あくまでも自分の人生の足跡。
できることならきちんとした形で残しておきたいもの。
しかしながら、ドリコムで積み上げてきた僕なりのブログのスタイルはライブドアではできないこともあったり、何よりも絵文字までは引越できず、現段階では絵文字部分に「×」マークがついたり、と不具合も残ったままではある。
まぁ、もしご興味があったら過去の記事をチラッと覗いてくれればご理解できると思うのだけど。
今、一番の問題はカテゴリー。
引っ越しの際、カテゴリーまでは思ったような状態にはなっていない(今の段階ではバラバラの状態)。
これもコツコツと並び替えていくしかない。
5年分のカテゴリーを一日ずつチェックするしかないようで、いつになったら完成するのか気の遠くなるような作業だ。
とはいえ、今はその気になれない。
旅行記などの多い僕のブログをより読み返しやすいようにできるのかどうか、ちょっと不安ではある。
住み心地のいいライブドアブログになりますように。
さて今日は日中はそれほど寒くなく、春らしい天気だったが、夜はゾクッとするぐらい寒かった。
こういう時期はコートを着るべきか否か、本当に迷ってしまう。
JR中野駅前の樹木にもいっぱい蕾がついていて、明日にでも花が開くのでは、と思うほど。
もちろんすでに咲いている樹もあるんだけどね。
春の色で目を楽しませてくれるこの季節も一瞬である。
その一瞬をしっかり目に焼き付けておきたいものだ。
2010年03月17日
グリコ味???
グリコ味???
ってどんな味???
と思って、買ったランチパック(以前ね)。
このランチパックもいろんな種類があって、あまり口にはしないけれどピーナッツ味なんていうのはかなり定番だよね。
でも、グリコ味っていう味にちょっと吹き出してしまって、これってやっぱり受け狙いかなぁ~と、ついついその戦略にハマったようなものだけど。
たかが菓子パンでここまで引きつけられることなんて、そんなにないこと。
まぁ、僕のような人間がついつい手にしてしまうんだろうなぁ。
で、裏を見てククッと笑ってしまった。
やっぱりグリコのキャラメルにはおもちゃが入っていたからね~。
このパンもパクッと食べたらおもちゃが入っているなんて思った人もいるかもね。
味?
定番のグリコのキャラメル味ってところかな。
2010年03月16日
青空のピナクルスを夢見て
青空のピナクルスを夢見て
ピナクルスの夏は僕にとってはちょっと不完全燃焼で終わろうとしている。
いや『ちょっと』ではない。
『かなり』のほうが正しい。
青空のピナクルス。
真っ赤に染まるピナクルス。
満天の星に包まれるピナクルス。
そんな風景を目にしたかった。
できることなら、空を覆っているこの雲を一息で振りはらってしまいたいと何度も思った。
だが、その願いも虚しく時間は過ぎていく。
ピナクルスもずいぶんと暗くなり、最後にもう一度外に出て記念写真(笑)。
実はこの岩、ピナクルスの中で最も背の高い岩だということで、今まで拒否していた記念写真を撮ってもらうことにした。
あたりは真っ暗で、バスのライトを照らしてもらっての記念写真である。
岩の高さは5mぐらいだろうか。
僕のジーパンを見てもわかるように風がかなり強く、その上ウィンドブレーカーを着ていないと寒いほどの気候なのだ。
2006年の夏はいったいこの後どうなっていくのだろう?
そう、ピナクルスのツアーはここでおしまい。
ピナクルスからパースまで、戻ってくる途中でもかなり強い雨が降ってくる瞬間もあったのだが、ホテルに到着する頃には雨も上がり、空には星が見えてきていた。
僕にとってはかなり中途半端な思いも残ったが、きっとこれはもう一度ピナクルスにチャレンジさせる意図があってのことだと思うことにした。
事実、僕は2007年にパースに行ったときに青空のピナクルスに巡り合っている。
たった一日ではあったが、一緒に楽しんだツアーの仲間たちと握手をして別れた。
その後はもちろん再会することはない(と思っていたが、偶然パースシティで出くわした、笑)。
ずっと遠い昔(笑)、2004年7月に放映されたクイズ番組『世界ふしぎ発見』。
当時、パースの特集などがあるとパソコンに録画しておいて、パースが恋しくなるとよく見ているのだが、このときは西オーストラリア州の奇岩特集で、ピナクルスも含まれていた。
その一部を静止画で~。
遠くに見えるのはインド洋。
この地域だけが風化されてできた自然の芸術なのである。
こんな青空を夢見て来たのに、初ピナクルスはまるで冬のような気候だった。
やっぱり青空の似合う風景である。
太陽の日差しが強そうな風景。
砂漠の中にニョキッと出ている岩のように見える。
奇岩の上に流れるように大きな雲が乗るのも壮大な景色だ。
いつかこんな風景を見ることができたらいいなぁ。
満天の星の下のピナクルス。
今回のサンセットツアーで、もし晴れていたらこういう風景を見ることができたのだろうなぁ。
僕が望んでいたピナクルスの風景はテレビの中でしか見ていないが、そのうち・・・、いつの日か・・・。
パース旅行3日目は朝から雨が降り続き、それでもせっかくの時間を有効に使おうと、隣町のショッピングセンターで買い物をし、お昼にカバシャム動物園からスタートするピナクルスのサンセットツアーに参加して一日が終わった。
終日雨模様だったが、それでも充分西オーストラリアを見ることができたのでは、と思っている。
もちろん、雨の風景は僕にとっては計算違いだったが。
この日は帰宅時間も遅く、途中のドライブインで軽く夕食を済ませてしまったので、ホテルに戻ってからしばらくしてベッドに潜り込むことになる。
いつか、青空のピナクルスに再会できる日を夢見て・・・。
2010年3月16日の日記
今日の関東は決していい天気の一日ではなかったが、気温だけは高く、ジャケットを脱ぎたくなるような一日だった。
これからは徐々に暖かくなっていくのか、とワクワクしてしまうが、どうもそうではないらしい。
それでも今まで殺風景だった場所にも淡いピンクの花が咲きだしたりしていて春を感じさせる。
今年は桜の開花も早いようで、僕にとっては写真を撮るチャンスを失ってしまうのでは、と心配である。
2010年03月15日
ピナクルスに陽が落ちる
ピナクルスに陽が落ちる
エミュに限らず、野生動物を見ると結構興奮気味になるが、奇岩しかないような場所のどこかにエミュやカンガルーが住んでいるのかと思うと、無性に探したくなる。
その後、車内に戻り、ピナクルスの幾つかのおもしろい形をした奇岩を説明してもらいながら移動するのだが、僕は奇岩よりもついつい動物を探すことに夢中になっていたようだ。
ガイドさんは、
「あ、またあそこで時間をつぶしていいなぁ。」
と、遠くに見えるツアーバスを指差しながら(写真上)、言っている。
どうもツアーガイドの仲間のバスらしい。
向こうはもちをん英語でのツアー。
バスは動く気配もない。
この日はあいにくの天気だったからか、ツアーバスもほとんどなければ、マイカーなども全くすれ違うこともなかった。
まぁ、日本のように観光地ともなると人でごった返すよりは大自然を満喫できて嬉しいものだ。
一台のバスを横目に、さらにピナクルスの奥へと進む。
僕らのバスは日本人を対象としたツアーバスだったので、やはり記念写真は残しておきたいらしい(笑)。
小雨ではあるものの、車の外に出るとインド洋からの強い風が吹いていて歩くのも結構大変である。
風景のいい場所で、記念撮影。
こんな岩と一緒に写真を撮っても楽しいのかどうかわからないが、思い出には残しておきたいものである。
こうやって写真を見ると、奇岩の大きさがわかるね。
この奇岩、見るだけではモロイものなのか、硬いものなのか、わからない。
ついついそばに行って奇岩に触れ、叩いてみる(誰もが)。
かといって、すぐに崩れてしまうような硬さではない。
間違いなく立派な石だ。
その石の中に幾筋も縦に線が入っているものもあるが、よく見るとそれは木の根の化石だ。
本来、この奇岩の周りに樹木があり、それが風化してしまい、周りの土が残ったのが奇岩になっているわけで、これらの奇岩にはその名残が伺える。
「それではこのピナクルスにも幾つかの名前のついた岩があるので紹介しましょう。」
ガイドさんは、いろんな形の奇岩にはそれぞれユニークな名前がついていると説明してくれた。
それは動物だったり、日常生活で使う必需品だったり、多種多様である。
おもしろかったのは、『健康な奥歯』。
確かに奥歯に見えなくもない。
しかも、その岩の反対側に回ってみると、岩が欠けていて『虫歯』に見え、なかなかユニークだった。
また、『食パン』のような形の岩もあり、これも後方から見るとかじったパンのように見えて楽しい。
ちょっとした奇岩に名前がついているのも、どうもツアーガイド仲間での呼び名らしい。
本来、天気が良ければこのサンセットツアー、きっとこの時間帯には夕焼けが美しく、もうすぐ星が輝き出して感動するのだろう。
大自然の中で最も見てみたい空間だったのに・・・。
2010年3月15日の日記
もう、3月も中旬。
2月、3月とあまりいい天気が続いてこない。
今日も悪い天気ではないが、予報では夜から雨。
この時期、新旧交代の時期でもあり、アルバイトの新人研修やら書式の整理で毎日忙しい僕にはなかなか休日を取る余裕がないのだが、前日になってから僕に変わる人間が申し出て、休みをもらうことができた。
考えてもいなかったので、お昼まで睡眠不足解消のため、ベッドから抜け出さず、その後は温泉で体を休めることにした。
もちろん、温泉に行っても仮眠室でさらに3時間も寝てしまう。
こんなときは夜が怖い。
寝られなくなるんだよね~(笑)。
で、結局翌日もまた、睡眠不足になったりするわけ(爆)。
あ、そうそう・・・。
最近の僕の体重は60kgを行ったり来たりしている・・・と思っていたら、なんと今日の体重は58.7kg。
ちょっとやせ過ぎかもしれない。
年齢と共に干からびてきてしまいそう。
2010年03月14日
野生のエミュに興奮
野生のエミュに興奮
(2006年1月オーストラリアパース野郎二人旅編)
ガイドさんに簡単な説明を聞いた後に、もう一度車に乗り込み、ピナクルスの奇岩の中を移動することにした。
広大な範囲なので歩いて回るにはちょっと無理がある。
その上、悪天候。
はるか向こうに数多くの奇岩が見えるようになってきた。
同乗している人たちは、
「バスの中から眺めるだけでいい。」
との声、外に出る気配が感じられない。
この天気じゃ億劫になるのもわかるが、何のためにここまで来たのか、僕は心の中で、
「ピナクルスを感じたい。」
と、つぶやいていたのである。
ずいぶんと奇岩が目の前に見えるようになってきた。
ピナクルスは奇岩の間を車で走ることについてはそれほど問題ではない。
ただし、このあたり一帯はやはり砂漠化されていて、これ以上先に進むとしたら四輪駆動でなければ心配だということだ。
車の中で説明をしていたガイドさんが突然大声で、
「ああぁぁぁ、エミュが・・・、エミュがいますよ~。ほらっ!」
と右前方を指差し、車を停めてくれた。
みんなは体を乗り出し、覗きこむ。
野生のエミュを目の当たりにするのは僕にとってはめずらしいこと(カンガルーはよく目にしたが)。
僕は最後尾に座っていたのだが、窓に額を押しつけてエミュを探した。
「わぁ~、ほんとだぁ~。」
と声を上げる。
僕は、“今だ!!”と、ここぞとばかりに、
「すみませ~ん。車から降りて写真を撮りたいのですが~。」
と言うと、ガイドさんは、
「そうですね~。写真を写したい方は(車から)降りてもいいですよ。」
やったぁぁああ。
これがそのときの一枚である。
2羽いたエミュもこのときは1羽しか写せず、しかも奇岩の陰に隠れてしまうので、こちらも焦ってしまい、なかなかピントが合わない。
もう一枚(かなり焦っている)!!
かなり、遠い場所にいたエミュ。
このあと、中央の岩の後ろに隠れてしまい、さらに徐々に遠ざかっていく。
相手もなかなかのものである。
ピンボケの写真だが何とか写せただけでもいいとするか。
動物園などではエミュも見ることはできるが、野生の、しかもピナクルスを背景としたエミュに出くわして、周りの人たちも興奮気味であった。
注意事項を長々と文章で書かず、イラストで表すのは最近日本でも多く見かけるが、海外では結構当たり前。
特に公共の場での注意事項など、イラストで表現している方がより明確で分かりやすい利点がある。
これもそのひとつ。
「岩によじ登るな!」
と書かれるよりは、心に優しい気がするのは僕だけ???
2010年3月14日の日記
寝不足気味の僕も日曜が過ぎると、ちょっと一安心。
今日も新人研修で、口も足もへとへと。
多分8時間は立ちっぱなし(というか、歩くことがほとんど)、しゃべりっぱなし。
明日は久し振りの休日。
絶対人とはしゃべらない環境で過ごしたい(笑)。
2010年03月13日
もうすぐ夢のピナクルス
もうすぐ夢のピナクルス
(2006年1月オーストラリアパース野郎二人旅編)
この旅行記は2006年1月に行った西オーストラリア州のパース市を中心とした地域を当時の手記をもとに書いたものです。
旅行当時の地域の情報や価格などは現代とは若干差があることをご理解ください。
T字路にあった道標の前で記念写真(というわけではないが)を撮って、残り44kmの道のりを右側に走っていく。
もうすぐピナクルスだ。
何度も訪れている西オーストラリアだが、ピナクルスに来るのは今回が初めてである。
過去の旅行でも何度かピナクルスに行こうという計画は持ち上がっていた。
ところが、ほとんどの旅行ではどうしても別の場所がメインだったりして、ピナクルスを通ることさえできずにいたわけだ。
友人Sにピナクルス行きを相談したが、そのときには、
「ピナクルスに行ったところで、石があるだけであとは何もないからつまらないよ。」
と軽くあしらわれたし、
「ピナクルスは他の場所からここだけ方向が違うから。」
と、なかなか行くチャンスがなかった。
それでも僕は諦めてはいなかった。
前回の旅行でもパースからモンキーマイアまで車で行くなら、途中で寄ることもできたのだろうが、やはり時間との勝負になってしまう。
それだけに今回は旅行前から意気込んでいたのだが、あいにくの天気。
この天気ではピナクルスの良さを堪能できないのはうすうす感じていたのである。
このツアーはサンセットツアーと呼ばれるものである。
真っ赤に染まる夕焼けの中の風景だけを想像していたのだが。
車の中で流れる景色を眺めながら、いや景色というよりも分厚い雲に覆われた空を見ながら、数年に一度の季節はずれの台風を恨む思いでいっぱいだった。
少しでも・・・、
ほんの少しでも青空が覗いてくれないだろうか。
そうこうしているうちにガイドさんから、
「まもなくピナクルスに到着します。」
との声がかかる。
「その先まで行くと、奇岩が見えてきますよ。」
緩やかな丘を登りきったはるか先に小さく奇岩が並んでいるのが見えた。
車内から見る雨は大粒のように感じたが、実際には傘がなければいられないというほどではなかった。
しかし、長時間表にいるのはちょっと大変。
駐車場に車を停め、休憩所になっている屋根のついた場所まで移動し、ピナクルスの歴史について簡単に説明を受けた。
ピナクルスの奇岩はもともとはそれが石なのではない。
この地域はその昔、樹木が群生していたところであった。
長い年月を重ね、その樹木の間に砂が蓄積されていく。
さまざまな気候を繰り返しているうちに樹木がその気候に適応できず、朽ち果ててしまい、その部分に穴があき、風化されていったものだという。
つまり、現在の奇岩の上の部分が昔は地面で、今、自分たちが立っているところが樹木の根の深い部分ということになるわけだ。
自然の脅威というのはすごいものだ。
人間の一生をかけてもその変化は見ることができないだろうが、地球単位で考えると自然というものは膨大な時間の流れによって変化していくのが感じられる。
上の写真のイラストが、その歴史を表しているのだが、わかるだろうか。
さて、雨でもせっかくたどり着いたピナクルス。
少しでも大自然に向き合うことにしよう。
2010年3月13日の日記
いよいよ、パース旅行記も再開。
まぁ、今までもそうだが他に書くことがなければ、過去のパース旅行を振り返り、旅行記をコツコツと書き重ねてきた。
旅行中に書き綴った日記やメモを中心に写真などを眺めていくうちに今でも鮮明に浮かんでくる多くの出来事。
そのほとんどは楽しいことだが、ときにはハプニングだったりすることもある。
驚きと感動から始まった旅行も何度か訪ねるうちに僕の好奇心は更に深いところまで追求しようとしてしまう。
一度めは見て、聞いて、感じるだけなのだが、それに興味を持つとどうしてもその先を知りたくなる。
ついつい何度も訪ね、自分の納得する世界観を探さなければ気が済まないのは、僕の悪い癖かもしれない。
パースは僕にとって大きく人生を変えた場所と言っても過言ではない。
誰かに押し付けるわけではなく、僕の目を通して見てきたものを文章に変え、地球の一部にこんな世界があるというのを感じてくれたら、それだけで充分である。
当時は400万画素のカメラで(それでも僕にとっては大満足だったが)写した写真であり、今となっては画質が粗いものもあるが、なんちゃってカメラマンだと諦めて見てほしい。
さて、この年のパースは異常気象で夏にしては天気があまり芳しくない。
おかげで当初予定していた多くのことがなかなか達成できず、ちょっとイライラモード。
パースに住むオーストラリア人の友人Sとスケジュールを調整しながら過ごした旅行でもある。
また、この年はどうしても一緒にパースに行きたいとせがんできた職場の仲間Tと二人での旅行となったが、複数での旅行の苦手な僕も久し振りに会話をしながらの旅行となり、いろいろと大変だったが、それなりに楽しめたものと思っている。
雨の中でのカバシャム動物園から、いよいよ初めてじかに見るピナクルス。
世界でも有名な奇岩のある不思議な光景の地域。
ぜひ、楽しんでください。
2010年03月12日
30秒の出来事
笑い話でも何でもないんだけどね、
さっき、帰宅途中でスーパーに寄ろうと思い、駅から家とは反対側の道を歩き、横断歩道を渡っていたときの一瞬の出来事。
僕が横断歩道を渡っているときに、左折をしてきた車がゆっくりと徐行しながら横断歩道の前で止まったんだよね。
もちろん横断歩道を渡っていたのは僕以外にも2~3人いたんだけど、渡り終える頃に歩行者の信号が点滅し始めたわけ。
ここの横断歩道は比較的早い周期で青から赤に変わってしまうので、いつも厄介だと思っていたんだけど。
そのとき、ちょうど前方から女性が走ってきたんだよね。
点滅している信号を見て、かなり慌てていたとは思うんだけど、僕は特にその人を見ていたわけではないから気にも留めず歩いていたんだけどね。
で、その女性は普通に横断歩道を渡らずに、その横の縁石を飛び越えて渡ろうとジャンプしたんだ。
ところがその前足が縁石を越えずに、引っ掛かってしまったわけ。
かなりの勢いで走っていたのは事実。
その後、彼女はまるでフライングレシーブというか、ヘッドスライディングというか、宙を舞うように車道に飛び込んだんだよね。
ただね、手が前に出ていなかったんだよなぁ(顔面から落ちたように思うんだけど)。
いや、一瞬だったんだけど、縁石に引っ掛かる音で僕も振りかえったんだけど、宙に浮いている姿はしっかり見てしまってね。
ちょうど左折しようとして止まっていた車の50cmぐらい前に飛び込んだわけ。
まだ、僕の後方には横断歩道を渡っている人がいたから、車もしっかり止まっていたけど、後方に人がいなかったら、その車は徐行しながら動いていたと思うんだよ(ゾクッ)。
で、その彼女、ほんの数秒うつ伏せになっていたんだけど、顔を押さえながら起き上がり(後ろ姿しか見ていないが)、反対側の歩道まで走って行ってしまったんだけど・・・。
どう考えても顔は路面で摺っているはず。
かわいい顔(って、見えなかったんだけど)が、あの一瞬で・・・。
みんな振りむいてはいたけれど、とっさの出来事で誰も声もかけてあげられなかった。
慌てて縁石を飛び越えるようなことはしないようにしなきゃ。
特に僕のように心の中では若者に負けないって思っていても、体はもう充分に衰え始めているわけで、飛び越えたと思っていても、結果そうではないことが予測されるわけだからね。
明日は我が身!
ほんの30秒ほどの出来事だった。