2010年06月
2010年06月30日
第一章~いとこ会(其の一)
第一章~いとこ会(其の一)
(2010年6月北海道にて、いとこ会+プチ観光編)
僕の部屋では若手(?)の従兄弟たちが集まり、すでに宴会状態だったのだが、会場に進められ、廊下に出る。
しばっち家のいとこ会ってどんないきさつがあったのか、実は僕はあまりわかっていない。
記憶では、すでにいとこ会としては10年ほど前から行っていることは知っていた。
関東に住んでいる人たちにとっては一大行事でもある。
当然旅費もかかるし、休暇の問題もある。
「関東に住んでいる連中は、東京でいとこ会をやればいい。」
という話も出ていたが、それは実現していない。
祖父母(僕にとっての)は12人の子供を育てた。
大正、昭和の大変な時期に、である。
それでも、その時代のしばっち家は子供たちの声で毎日が騒がしかったに違いない。
そして、その子供たちが大人になり、僕らの世代がこの世に生を受けることになる。
祖父母が生きていた頃は毎年夏休みになると大勢の親戚が集まってきていた。
今思うと決して広くはない部屋のどこに、どのように寝ていたのか、不思議でたまらない。
祖母が他界したのは僕が小学4年生、祖父が他界したのは高校3年生のときである。
僕が社会人になった頃(すでに関東に住んでいた)から、親戚は少しずつ祖父母の実家から遠ざかっていたように思う。
あるとき、誰かが、
「おじいちゃんやおばあちゃんが生きていた頃はみんなが集まって楽しかったね~。」
「あの頃のようにみんなが集まるなんてことは、この先なくなるんだろうか。」
「最近はみんなが集まるのっていうのは誰かが死んだ時だもんね。」
「そういう席でしか集まらなくなったっていうのも悲しいね。」
みんな同じなんだ。
みんな僕が子供のときのように笑顔で集まりたいんだ。
そんな思いを実現に導いていったのは、年上グループの従兄たちだった。
もちろん『いとこ会』だからといって、それに当てはまらない人物の参加を拒否しているわけではない。
祖父母の血を受け継いでいるもの、その家族であれば誰でも参加できる。
ただ、時期的に僕にはいろんな負担があったのも事実だし、どうしても素直にその中に入っていけなかったのも事実だった。
それは僕だけではなかったと思う。
今回のいとこ会に初参加するのは僕を含め4人。
参加者は総勢38名であり、その中には僕にとっておじやおば、いとこの奥さんや旦那さん、その子供もいる。
しばっち家だけで僕にはいとこと呼ばれる人間が40人以上もいて(全員生きていれば)、年長と年少の差は40歳ほど離れている。
親の兄弟でさえ12人で、最年長と最年少では25歳の差はあるわけで。
最年少から見た最年長のいとこは、充分におぢさんやおばさんだったりして、未だに僕との関係がわからないような人がうようよいるんだよね。
さて、今年のいとこ会は・・・というと、
昨年、2人のおば(僕にとって)が亡くなり、『いとこ会兼偲ぶ会』として行うことになり、それによってさらに大勢の人が参加してくれることになったようである。
2人のおばも去年のいとこ会には参加していたようで、それを考えると心が痛い。
徐々にいとこたちも会場に集まり、賑やかになりつつある。
ご覧の通り、いとことはいえ、僕も含め(あはっ)、もう充分におぢさんやおばさんたちである。
そして、当たり前だが、彼らはデジタル機器には大変に弱く、デジカメやビデオを撮影するのは僕ら下っ端の仕事にもなる(苦笑)。
まぁ、こういうことで僕も親孝行ができるわけだ。
さて、今回の幹事役、兼司会者の登場~。
K太さんである。
もう立派なおじいちゃん、いやおじさん、あ・・・。
従兄なんで・・・。
まぁ、受け狙いを頑張ってるわけで。
で、彼の司会でいよいよいとこ会が始まったわけだ。
2010年6月30日の日記
今日も梅雨空の一日、と思っていたら午後から青空~。
それにしても朝からワールドカップの話題で盛り上がっている日本大陸。
滅多にサッカーなど見ない僕もリアルタイムで見てしまったが、PKで負けはしたが本当によく頑張ったと思う。
多くの人たちのブログもサッカーの話題が溢れているので、あえてここでは何も書かないが。
未来の少年たちに大きな影響を与えてくれたこと、そして低迷している日本を盛り上げてくれたことに違いない。
また4年後、大きな夢を与えてほしいものだね。
今日で6月もおしまい。
2010年も上半期がおしまいってことだ。
歳を取ると時間が早くて、追いつくのも大変なのだが。
それより大変なのは、今日から8連勤だということ(目の前のことを追うだけでいっぱいな僕なのだ)。
休む暇なし。
まだまだ体力が回復していないようで、ずっと疲労感が残っているのが、ちょっと心配。
2010年06月29日
第一章~再会(其の二)
第一章~再会(其の二)
(2010年6月北海道にて、いとこ会+プチ観光編)
エレベーターを降り、廊下に出ると部屋割りされた宿泊者の名前が入り口に貼ってある。
僕らの部屋は、ナント関東組(笑)。
幹事役のK太さんの心遣いか・・・。
ひとまず部屋に入り、腰を下ろす。
朝から慌ただしく移動してきた僕らはみんなどっと疲れが出たのか、動こうとしない。
僕は急に空腹感を覚え、朝から食事をしていないことに気づき、電車で食べそびれたお弁当を食べることに。
「しゅんち、お前が正解かも。」
とM志が言う。
「ん?」
「俺、電車の中で食べた心地がしなかったよ。慌てて食べて、早くみんなに席を譲ってやらなきゃって思ってたからね。」
「あははは。」
「俺なんか、隣のおっさんが嫌な気持ちだろうなって思って早く席を断ちたかったし。」
「慌てて食べたから、味がわからなかったよ。」
と、それぞれが僕の食べているお弁当を横目に口を差し出す。
まぁまぁ・・・、と言いながら、ゆっくり食べる僕である。
いとこ会の開場時間は夕方5時。
ということで、僕らはまず疲れを取るために温泉へGO!
どうも、他のいとこ連中はおしゃべりに夢中のようで、廊下を歩くだけで笑い声が聞こえてきていた。
僕らはとにかく疲れていたので、まずは温泉で身体をゆったりと休めたかった。
まだ陽が高いので浴場内も明るい。
日帰り温泉のようにいろんなタイプの浴槽があるわけではない。
メインのお風呂はこのひとつ。
そして、その横に水風呂がある。
ということは、僕が望むのは~。
これこれ。
サウナだね。
どうもしばっち家の特徴を一言で言うと、
『カラスの行水』タイプが多いってこと。
全てが全てではないが、確かにサッと入って、サッと出ていく奴、あっ・・・、方が多いようだ。
僕も実は『カラスの行水』派なのだが。
それは自宅の狭いお風呂の場合。
大きなお風呂になると別だ。
サウナと水風呂を2度ほど繰り返し、お風呂から上がった。
しっかり汗を流して、ガブガブビールを飲めるようにね(ふふふふ)。
さっぱりした身体で部屋に戻ると、僕より5歳年下の従弟のS吾がやってきて、すでに僕の部屋は宴会状態(笑)。
写真右側が1歳年上の従兄のY志、その奥にいるのがS吾である。
で、メインはこのビール。
わ~い、北海道限定・・・だって。
「お~い、そろそろ宴会場に集合だよ~。」
廊下から叫び声が聞こえてきた。
2010年6月29日の日記
大雨洪水注意報の出ていた埼玉県中南部。
この注意報を聞いたのは職場でのこと。
職場は都内だが、それほど雨が降っているわけではないのに。
相変わらず湿り気たっぷりの空気。
湿度が96%って・・・、どういうことぉ~?
職場はエアコンが点いているから快適だったけど、外で働いている人は熱中症などに充分気をつけてほしいね。
2010年06月28日
第一章~再会(其の一)
第一章~再会(其の一)
(2010年6月北海道にて、いとこ会+プチ観光編)
関東からやってきた僕らと小樽築港で落ち合ったY久叔父夫婦の6人は隣駅の南小樽で下車し、改札口に向かうと、その先に待っていたのは、千歳に住むH樹、札幌に住むM人ら総勢6人。
H樹は僕より4歳年上の従兄、M人は僕と同年代の従弟で、この二人は兄弟関係である。
今回のいとこ会では二人とも奥さんを連れてきている。
彼らの父親のT夫叔父とすでに一足先に北海道にやってきていたK三叔父もいる(二人とも奥さんには先立たれている)。
M人とは同学年でありながら高校を卒業してから滅多に会うことがなくなった。
親戚に不幸があっても、お互いにすれ違って顔を合わすこともなかった。
「ひっさしぶりだなぁ~。」
の挨拶。
僕も歳を取った分、M人もそうだ。
小学生の頃はよく一緒に遊んだものだ。
H樹とは半年前にも顔を合わせている。
T夫叔父は僕の耳元で、
「この間はありがとう。」
と、他の従兄弟たちに聞こえないように声をかけてきた。
茨城に住むK三叔父に送っていた中華粥を、T夫叔父にも送ってあげていたからだ。
僕は他の従兄弟に気づかれないように、うんうんと小声でうなずいただけにしておいた。
短い再会の挨拶を交わし、荷物を車に乗せ終え、南小樽駅を出発することになった。
僕にとっても懐かしい風景が広がる。
車は国道5号線を西に走る。
国道5号線は高校時代に毎日通った道である。
時代はどんどん進み、車線が拡張され、新しくバイパスができたりしているところもあるが、基本的にはやはり昔の思い出が蘇る風景が続く。
今回のいとこ会の会場(ホテル)は小樽市の隣町、さらに西にある余市町のホテル。
街中を通り、視界に日本海が広がってくる。
南小樽から余市までの移動は約1時間。
親戚ならではの懐かしい会話が飛び交う。
僕も気がつけば、カメラを手に持つこともなく、叔父たちの話で車窓を流れる風景を写すことすら忘れていた。
いとこ会が行われるホテルに到着したのは午後3時。
集合時間ぴったりである。
ほとんどの人たちはチェックインしていて、すでに割り当てられた部屋に入っているようだった。
エレベーター前でも懐かしい面々に会う。
「久し振り~。」
「元気だったの?」
「よく来たね~。」
と、まるで同窓会気分である。
エレベーターのドアが目の前で開いても、なかなか先に進めない(苦笑)。
「まぁ、まぁ、まずは部屋でゆっくりしてなさいよ。」
この言葉で僕らも何とかエレベーターに乗れたんだけどね。
ふと気づいたら、今日の北海道旅行記に載せる写真がない。
唯一載せてあるのはホテルの窓から見える余市の景色。
とはいえ、その辺の田舎の風景である。
で、ちょっと物足りないので、今日のお酒のお供~。
それにしても今日の関東はすごい湿度。
外に長くいられないほどである。
ミストサウナの中にいるような感じ。
今日は午前中は寝ていたが、午後に温泉で汗を流す。
露天風呂にいても(もちろんスッポンポンでありながら)ムシムシするぐらいで、気持ちよいとはいえない。
こうなったらサウナで汗を流すのが一番だ。
干からびた状態になるまでサウナで汗を流す。
夕方は雨が降っていたが、その後も涼しいわけではない。
これからはこういう日が続くのだろうね~。
2010年06月27日
豆乳ドーナツ
朝からはっきりしない関東の天気。
雨が降っていないようで、たまに身体に雨が当たる。
傘を差すほどでもないが、気づくと雨がボタボタと。
まぁ、降ったり止んだりの天気。
かなり忙しい一日だったので、日中は外を覗く余裕さえなかったからどんな天気になっていたかはわからない。
多分、降ったり止んだりの繰り返しだったと思うが。
差し入れ~。
グルメなW君が買ってきてくれたドーナツ。
小粒な豆乳ドーナツだ。
まぁ、口のデカイ人なら一口で食べられるような大きさだな。
で、お皿に乗せてみましたぁ。
あまりにもぴったりのサイズだったので。
一人で笑い転げてました。
夜まで不快感たっぷりの天候で、ずっと外にいた人は体調を崩してしまったんじゃないかな。
明日はゆっくり眠っていよう。
2010年06月26日
北の大地でまずは・・・
北の大地でまずは・・・
(2010年6月北海道にて、いとこ会+プチ観光編)
千歳空港に降り立ったはいいが、時間がほとんどない。
本来、僕らの計画では空港でレンタカーを借りて、そこから車で移動しようと思っていたのだが、世話好きな叔父たちの計画で(笑)、10数分後に発車する電車に乗り込まなければならなかった。
慌てながらも落ち着いて(汗)エレベーターでホームに移動。
すると、駅弁がホームで売られているのが視界に入ってきた。
M志が、
「弁当買おうよ。」
と、空腹感あらわにみんなに同意を求める。
やったね~。
せっかく北海道に来たのだから、どうせ食べるなら、と選んだのが・・・、いくらのお弁当。
うひゃあ~。
やっぱりいくらは北海道産が一番だ!
っていうか、そんなことより時間が・・・。
何とか時間には間に合ったのだが、電車の中は思った以上に人が多く、座るところがない。
これじゃ、弁当も食べられない(笑)。
数日前に北海道小樽市に住むY久叔父から葉書きが来ていた。
『電車は最前列に乗り、できれば右側に座るといい。海岸線がきれいです。』
と。
海岸線が見えるのは進行方向右側だというのは、元地元民の僕でもわかるのだが、左側の座席も全て埋め尽くされているわけで、景色を楽しむとかそういうレベルではない。
僕を覗いてみんな空腹なのだ。
まぁ、僕は普段朝飯も食べないし、昼飯だって忘れることがあるからそれほど空腹感はない(笑)。
札幌に着いてようやく座席が一か所空いたので、一人が座って弁当を口にする。
入れ替わりでまた一人。
隣に座っていたおっさんはイライラしていたにちがいない。
あれれれ?
この弁当、
よ~く見ると、
佐藤水産ではないかい(・・・と、ここで北海道弁が出たかどうかは別として)?
ほら!
僕が北海道を発つちょっと前にブログでコメントしてくれたももさんからの情報の・・・。
やったぁ~。
幸先調子がいいかもよ。
ももさぁ~ん、初めて口にするお弁当が佐藤水産だったなんて、これはかなりラッキーなことで。
心の中で叫んだのは事実である。
と、と、ところが・・・。
僕以外の3人が食べ終わったところで、小樽築港駅に到着。
ここでY久叔父と奥さんのN美叔母と合流。
Y久叔父とは半年前に葬儀の場で会っているが、N美叔母とはかなり会っていない。
相変わらず美しい叔母である(ヨイショしすぎかも)。
「変わらないですね~。」
というと、
「こんなに髪の毛が白くなっちゃって。」
と。
でも髪の毛以外は本当に変わっていない。
Y久叔父の子供(僕にとってはいとこにあたる)は、残念ながら仕事などの都合で不参加なのは残念である。
彼ら(姉と弟)はいとこでもあり、高校の後輩でもある。
高校を卒業してからもほとんど会うチャンスがなかったので、密かに楽しみにしていたのだが。
久し振りの再会で電車の中ではすでに盛り上がっていたが、次の停車駅の南小樽で降りなければならず、僕はお弁当を食べる機会を失っていた。
輝くいくらと鮭の乗った『鮭いくら弁当』がこの中身なのだ。
結局、僕が口にしたのはホテルに着いてから、だが。
さすがに佐藤水産!北海道の星!
いらない物を乗せて、どこかのお弁当のようにいくらの数を減らすことなんてしない。
しかもお弁当のギリギリまで大きな鮭が乗っている。
ご飯の上に錦糸卵が薄くちりばめられているだけなので、いやらしい味がしない。
純粋にいくらや鮭の味を楽しめる。
もっとアップでどうぞ~。
がははは。
ごちそうさまでしたぁぁああ。
2010年6月26日の日記
週末となれば忙しい。
朝から晩までびっしり仕事ではあったが、まだまだ仕事モードに戻りきれていない。
そろそろそんな甘い考えも捨てなければいけないのはわかっているのだが、やっぱり体力がついてこないような気がする。
日中もチラリと雨が降ったり止んだりしていたが、夜は雨の量もすこしばかり多くなってきたように思う。
明日一日頑張れば、あさっては休みだ。
それまでには何とか仕事モードに切り替えなければね。
2010年06月25日
序章(3)~北海道へ
序章(3)~北海道へ
(2010年6月北海道にて、いとこ会+プチ観光編)
いよいよ飛行機に搭乗。
急遽、いとこ会に参加することになったM博は当日にエアチケットを購入したために座席は別の場所になってしまったが、
「まぁ、空席がそばにあったら呼びにいってやるよ。」
と言って我々3人は別の通路に。
と、と、ところが、さすが北海道行き。
いざ機内に入ってみるとほとんど満席状態。
まぁ、みんな朝が早かったから飛行機が飛んでしまえば、眠りこけるだろう。
窓側の席を確保し、カメラを窓に向ける。
僕の楽しみの一つは離陸直前の関東の景色を写すこと。
数枚の写真を収めていると、いよいよ機体が動き出し、滑走路へ。
ところが・・・。
僕がデジカメを窓の外に向けていると、キャビンアテンダントが優しい声で、
「カメラはご遠慮ください。」
と・・・。
えええええ?
そう、離陸、着陸時のときにはデジカメも使用してはいけないというのだ。
なぬ~?
シートに挟み込まれている注意事項の欄を読んでみたら、携帯電話はもちろんだが、オーディオ機器、デジカメ、ゲーム機器など、電子機器は全ての利用は禁止となっていた。
これっていつからぁ~?
国際線では一度も注意されたことがないのに~(ぶつぶつ)。
この写真はもちろん水平飛行になってから、である。
梅雨空の関東を飛び立った瞬間はそれほど厚い雲に覆われていたわけではない。
下界の風景が見え、何度も(デジカメで)写しちゃえ!って思ったのだが、小さな心臓の持ち主(はて?)なもので、電源をONにすることができなかったんだよなぁ。
まぁ、帰りもあるからね(笑)。
上空でも数枚の写真を写したが、徐々に睡眠モードに。
すでに隣では従兄弟たちが眠りに入っていた。
目が覚める頃には北海道上空。
眼下に久し振りにみる千歳周辺の広い森が見えてきた。
時間にすれば、わずか1時間半で北海道である。
うん!
北海道は青空だぁぁ~。
この飛行機に乗ってきましたぁ。
若い頃には1年に5~6回帰省した時期もある。
大学受験のときなどはわずか一ヶ月の間に数往復ってことも。
年々、帰省するのも減ってきたし、飛行機を使わず、車やフェリーというときもあった。
やっぱり北海道は遠いんだよなぁ(しみじみ)。
荷物を受け取って、ゲートを出る。
空港でお弁当を買うような時間がない。
そう、北海道に住む叔父たちの決めてくれた電車に乗らなければならないわけで。
これがまたしんどいんだよ(がははは)。
2010年6月25日の日記
やっぱり暑い一日だったが、どうも梅雨の時期とは違うような気がする。
6月の気候がこういうときって、梅雨が長引き(7月になってから雨が降り続き)、梅雨明け宣言をするのが7月の終わり頃。
というか、梅雨明けが曖昧なときが多かった気がするんだよなぁ。
そんなときの夏は短くて。
もちろんそうならないことを祈っているのだが。
夕方、K三叔父に電話をした。
「おお~、元気か?ちゃんと社会復帰できたか?」
って(苦笑)。
僕が励ます前に励まされたりしているんですがぁ。
まぁ、元気そうな声で安心したけどね。
「今日、写真をCDに取り込んで郵送したよ。」
ってことが言いたくてね。
速達で送ったので、明日手元に届くとは思うのだが、あまり根を詰めて小冊子の制作をしないように、とアドバイスはしたが・・・。
彼のことだ。
のんびりやるわけがない(苦笑)。
身体だって、その辺の同年代のおぢいちゃんとは違うが、息子たち以上に甥っ子の僕の方が心配しているんだからね。
無理しないで~。
わかってくれよぉ~。
2010年06月24日
序章(2)~北海道へ
序章(2)~北海道へ
(2010年6月北海道にて、いとこ会+プチ観光編)
モノレールを降り、改札口を出ると奥にエスカレーターがある。
周りをきょろきょろ。
「まだ来てないか。」
約束の待ち合わせ時間よりも1時間ほど早いから当たり前だが、一応周りを見渡してみる。
その後、出発ロビー(2F)に移動する。
実は僕はまだエアチケットを手にしていない。
エアチケットの購入はK三叔父(茨城県H市在住)にお任せし、そのチケットは今は従弟のM志(埼玉県富士見市在住、K三叔父の二男)の手にある。
そのため、荷物を預けることもできずにいるのだが(苦笑)。
昔と違ってキャスターが付いているので、楽チンではある。
外の天気も気になり、一度ロビーから外に出てみる。
外に出てみると、目の前の景色は成田空港と大きく変わらず、昔の羽田空港の雰囲気は全くない。
実はこの10年の間だけでも、成田空港を利用している回数は羽田空港よりはるかに多い(って?)。
時代は動いているんだなぁ~。
朝、家を出るときはそうでもなかったが、やっぱり時間が経つにつれ、気温も湿度も高くなっているように感じる。
一服し終え、再びロビーに入ると、携帯電話が鳴る。
従兄のY志(東京都調布市在住、K三叔父の長男)からだ。
「今、(モノレールの)改札口を出たところ。」
「もう、上にいるよ。目の前のエスカレーターに乗って2階ね。」
電話を切り終えると、M志から“有楽町を過ぎたところ”とメールが。
M博(茨城県H市在住、故T治叔父の長男)に電話をすると、
「もう空港内にいるよ。今、朝飯食ってる。」
このヤロ~(怒)、そうならそうって連絡してくれればいいのに。
結局、4人が揃ったのは9時半過ぎで、予定時刻よりも30分早い(笑)。
僕が早めに来たのは、見晴らし台に行ってちょっと写真を撮りたかったのだが、それも断念(涙)。
ようやくエアチケットを手に入れ、荷物を預けるも、かなりの人が並んでいて、ここでも時間を費やすことになる。
特にお盆やお正月でもないのに、思っていた以上に人が多く感じる。
多くの人たちは観光なのだろうか。
普段朝食を摂らない僕だが、空弁を見るとちょっと空腹感を覚えた。
しかもこんなところにも花畑牧場が(笑)。
すごいね~、繁盛してるね~。
店頭に並んでいる空弁を見ると、全部食べたくなるほど魅力がある。
空弁を買うか、買うまいか、悩んだ結果・・・、どうせ食べるなら北海道でもいいんじゃないかということで買わなかったのだが、これは後々いい結果になるわけで。
さて、そろそろ搭乗時間である。
札幌行き、61便が僕らを北海道まで連れて行ってくれる。
空席待ちでチケットを取ったM博(写真左)が乗れるってことは、飛行機もかなり空きがあるのかと思ったが、そうでもないのかな。
M博って、小さいときから腕組みが好きというか、癖なんだよね(苦笑)。
ちなみに写真右がM志である。
2010年6月24日の日記
さぁ~、いよいよ今日から社会復帰。
それにしても関東は梅雨の合間などと言われているが、合間どころか梅雨らしい天気には感じない。
今日も日中は強い日差しで、汗がしたたり落ちるほど(ちょっとだけ湿度は低かったかも)。
その暑さに負けず、職場へと入っていく。
いつもと変わらぬ空間。
いつもと変わらぬ匂い。
いつもと変わらぬ雰囲気。
僕だけが取り残されたような気持ちがあるのだが、その思いを振り払って仕事に取りかかる。
とはいえ、今日はリハビリのようなものだったなぁ(ぼそっ)。
2010年06月23日
序章(1)~北海道へ
序章(1)~北海道へ
(2010年6月北海道にて、いとこ会+プチ観光編)
予定より一時間早く家を出て羽田空港に向かうことは数日前から決めていたことである。
羽田空港で慌てたくなかったことと、空港の見晴らし台にでも出て写真でも写してみようかと思っていたのだ。
北海道に帰省するのも久し振りであるが、羽田空港も久し振りである。
数年前に近くまで行ったことはあるが、空港内を歩くこともなかった。
モノレールはJR山手線の浜松町駅で降り、乗り換える。
モノレール乗り場のホームに上がって行くと人が溢れんばかりに並んでいる。
のんびり行くとするか。
一本遅らせ、次のモノレールに乗ることに。
あれれ。
空港快速?
以前、僕が使っていたときには全てが各駅に止まっていたはず。
しかも、それ以外に区間快速などもできている。
僕は何年利用していなかったのだろう。
空港快速は浜松町を出発すると、次の駅が羽田空港第1ビル。
二駅めが羽田空港第2ビル(終点)であり、所要時間はわずか16分。
快適になったものだ。
話はさかのぼるが、前夜に従弟のM志(埼玉県F市在住)と電話で話したときに、従弟のM博(茨城県H市在住)も来るという情報が入ってきた。
M博は従弟の中でも下から2番目(男の中では最年少)で、僕とも10歳ぐらい離れている。
今ではしばっち家で最も長身ですくすくと育ったが、彼が小さい頃はよく僕の膝に乗っていたものだ。
「えええっ?」
「あいつチケットは当日の空席待ちってこと?」
「そうみたいだよ。」
当日券だと片道3万円弱、往復で6万円弱となるわけで、僕らの約3倍の金額になる(笑)。
もちろん、空きがなければ同じ飛行機には乗れないわけで。
「まぁ、そうなったら昔のように僕の膝に乗せて行くか(爆)。」
当初は3人で出発する予定だったが、急遽4人となることをそこで知らされることになる。
僕としてもM博には参加してもらいたかったので、それはそれで嬉しいことである。
モノレールはビルの谷間を超え、京浜運河を進む。
途中、新幹線が見えたりもするが、空港そばに近づくにつれ、飛行機の離着陸の風景も目にする。
写真はモノレール運行中に写したもので、ピントもかなり曖昧。
空は相変わらず雲で覆われているが、雨は上がっているようだ。
あっという間に羽田空港第1ビル(主にJAL利用)に到着し、そこからわずか2~3分で羽田空港第2ビル(主にANA、ADO利用)となる。
僕はANAでの移動だったので第2ビルで降りるのだが、さっきドアの上の停車駅をしっかり写せなかったと思い、再び・・・、
駅を降りてから写したものが上の写真である。
さて、あとは3人の従兄弟を待つだけとなり、改札口へ向かうことに。
2010年6月23日の日記
今日は一日、予備日~(笑)。
僕の場合、世間が休みのときには忙しいということもあり、5月のGWの休日分をこの時期に移動させてもらったようなものだが、やはり歳のせいか・・・、帰省した後もしんどい。
体力回復にはまだまだ数日かかるだろう、な。
頭の切り替えも必要で、早く仕事モードに戻らなければならない。
K三叔父(茨城県H市在住)から電話が入る。
「おっ、無事に戻ってきたか?」
「うん。いろいろありがとう。楽しませてもらったよ。」
「よかった、よかった。」
叔父から僕に電話をすることは滅多にないのに電話をしてくるのには裏がある(笑)。
それを察知して、素早く僕の方から話を切り出す。
「写した写真、早めに送るからね。」
叔父は、「慌てなくてもいいよ。」とは言うが、魂胆は十分わかっている。
K三叔父は昔からパソコンをいじったり、文字を書いたりするのが好きな人である。
事あるごとに、しばっち家の歴史を紐解き、それらを小冊子にして親族に送ったりするのが楽しみのようだ。
若い頃は仕事人間だった彼も、引退してからは自分の足跡を残しながら多くの親族に対して平等に小冊子を送り続けている。
今回はいとこ会をテーマに楽しみながら作成するだろう。
一刻も早くデータをおくってやらなきゃ(笑)。
2010年06月22日
ただいまぁぁああ~
ただいまぁぁあああ~。
無事に北海道から帰ってきました。
・・・が、疲れました。
北海道滞在中は、ブログを止めることなく、自動配信できるようにしておいたんだけどね(笑)。
まぁ、ブログのアップの確認は携帯で。
便利な世の中になったね~。
さて、早速北海道帰省の旅行記を書いていこうと思うのだが、まだまだ帰宅して数時間。
頭の中で整理できないことがいっぱい。
とりあえず写真をPCに取り込むだけは取り込んだのだが、3泊4日で約800枚の写真(苦笑)。
自分としてはもっと多くの写真を写したつもりでいたのだが、今回は一人ではなかったし・・・、飲んでる時間も多かった。
いとこ会というメイン行事で写した写真もかなりあったので、多くの写真をアップできない(絵的に無駄なものが多い、汗)かもしれない。
まぁ、北海道(主に小樽)にご興味のある方は、少しは参考になるかもね(苦笑)。
帰省する数週間前から仕事もアタフタしていたので、なかなか思うように頭の中で何を持っていけばいいのか整理がつかず、結局前日になって慌てて、
ここまで準備を進め、残りは出発当日の早朝に(笑)。
で、北海道に帰省するにあたってお土産を何にするか悩んでいたのだが、今年はおじ・おばに崎陽軒の中華粥を送ってあげていたので、崎陽軒つながりといえば、やっぱりシウマイ(笑)。
これも前日に、新宿小田急デパートのデパ地下で購入。
ただ、真空パックのシウマイはやっぱり味がちょっと落ちるので、普通のシウマイにしたのだが、定員さんには24時間以内に食べてもらいたいと。
・・・、まぁ何とかなるだろう。
いとこ会に集まる人たちにお土産で渡すとなると、とんでもない数が必要になる。
ひとり1個でも口にしてもらえればいいかな(あくまでも崎陽軒のまわし者ではない)と思ったのと、ケースに入れられるのにも限度があるので。
そして、何よりも予算が・・・(涙)。
ということで、
6パックに留めておいた。
もちろん出発ギリギリまで冷蔵庫に入れておき、家を出る前に保冷剤を隙間に挟んで出発することにした。
さて、出発当日の埼玉県の天気予報には雨マークがついていたが家を出る時間帯は雨も降らず、ホッと胸をなでおろしながら駅まで向かう。
久し振りの帰省、そして久し振りに会う親族の面々。
みんな元気でいるだろうか。
気持ちはすでに故郷に飛んでいるようだった。
2010年6月23日の日記
ももさんへ
北海道から無事戻ってきました。
わが故郷では楽しく過ごすことができましたが、やはり懐かしい空間でありました。
まぁ、どんなことがあったのか、どこに行ったのか・・・は、これからボチボチとブログで書いていこうと思ってますので、お楽しみにしていてください。
さてさて、ももさんからのコメントでいただいた幾つかのアドバイス。
本当にありがとうございました。
そして、お勧めされた佐藤水産のおにぎり。
実はこの帰省中にあれもやりたい、これもやりたいということはことごとく崩され(苦笑)、僕の思惑通りに物事を進めることはできませんでした。
とにかく、初日から全て実権を握っているのはK三叔父(がははは)やら北海道に住む人間たちで、こんなに僕の行動が制限されるとは思ってもみませんでした。
まるで特別ゲストのように、あっちからも、こっちからも、それぞれがいろんな事を言ってくるので(汗)。
まぁ、親孝行のつもりで、親を含め、おじ、おば、年上のいとこたちの大きなお世話を受け入れながらの窮屈な日々を送ることに。
で、結局は札幌に遊びにも行けずに終わってしまいました。
とってもいいアドバイスを頂いたのに~(涙)。
ところが北海道の女神は僕に笑顔を向けてくれたのです。
最終日に千歳空港に着いたのは出発時間ぎりぎりで、ショップで買い物をする時間すらありませんでした。
荷物をあずけ、搭乗ゲートの列に並んでも、何度もきょろきょろしながらお店を探してみたのですが、どうしても視界に入って来ません。
もう99、9%諦め、持ち物チェックを済ませ、中のロビーに入ってからすぐ横にあるお土産屋さん(お弁当屋さんかな)にチラッと目をやると・・・。
この看板が目に飛び込んできたのです。
もちろんダッシュで店内に飛び込み、ケースに並んでいるおにぎりを2個買いました。
人生って諦めたらだめですね(ちと大袈裟)。
成せば成る!!
久し振りの北海道でしたから、僕の周りの人間が「あ~だ、こ~だ」と手取り足取り、もう・・・僕はまるで子供扱い状態(実際はしっかりおぢさんで、苦)。
でもね、ももさんのアドバイスで頂いた佐藤水産という文字をいつも頭に入れていたおかげで他にも僕にとってはサプライズがあったんですよ。
それは、ブログの旅行記で書いてみようと思ってますので、お楽しみに~。
本当にありがとうございました。
しばっちより
2010年06月21日
静岡のおみや~
(只今、北海道に帰省中)
北海道に帰省して、早くも3日目。
もう、明日には関東に戻ることになる。
多分、僕のことだからお酒を浴びていることだろうが。
今日のおみやは静岡県に実家のあるM永くんからのもの。
彼は職場の中でも車にはうるさい人で、普段は静かなのに車を語ると口が止まらなくなる(笑)。
暴走族ってわけではないけどね(一応フォローしとかないと)。
で、彼の実家は静岡県。
今回は別の目的で出かけたらしいが、同じ県内だったということ。
いつも実家に帰ると買ってくるのが浜松名物うなぎパイ。
あれ、おいしいよね~(爆)。
でも、今回はめずらしく別のおみや~。
うわぁ~、定番のおまんじゅうだぁ。
しかも静岡=お茶だしね~。
早速開けて取り出してみることに。
しきりに何度も、
「今回はうなぎパイじゃなくて、安物でゴメン!」
と謝っていたが、そんなことはない。
おいしいおまんじゅうだったよぉ。
僕にとって静岡県は近県でありながらなじみの薄い県。
神奈川県や山梨県などには行くのだが、静岡県は富士山の脇を通る程度。
もう少し観光の勉強して、静岡県あたりを一周してみたい。
いつもいつも、おみやをありがとぉ~、M永くん。