2010年10月
2010年10月21日
マッチ30周年
今日もいい天気ではなかった。
仕事帰りに突然、Cさんからの電話。
その後、ちょいとお酒を飲み、その勢いで僕の家に・・・(笑)。
そのまま、お泊り~(こんなことは過去にもない)。
若い頃はよく職場の仲間など、頻繁に泊っていたこともあるが(僕の住処は溜まり場だった)、ここ最近人が泊るなんてないわけで・・・。
Cさん、家庭もあるのでとりあえず連絡をし、そのまま泊ることになったんだけどね。
まぁ、そんなときもある(笑)。
ということで、BLOGも翌日書いているわけ。
パースの話題はスルーするとして(すいません)、
さてさて、今日の写真。
いや~、見に行ったわけではない(苦笑)。
職場の仕事で、よく中野サンプラザのそばを通ることがあり、正面でカメラを向けている人たちがいっぱいいたので、ちょっと覗いてみたら・・・。
ほほぉ~。
マッチも芸能活動30年か・・・。
いつまでたっても若いっ!
最近は歌手活動よりもカーレースに力を入れているようだが、アイドル時代は寝ることさえできなかったんじゃないかな。
ライブに来るのはすっかり年老いた女の子(笑)なのかな?
2010年10月20日
ハバネロ
今日は休日だったので、またまたいつもの温泉へ~。
ここの温泉、毎日いろんなイベントをやってるんだけど、水曜日がやっかいなんだよね。
楽しみにしている食事処でビンゴ大会。
しかも13時半から始まるのがやっかい!
何故って?
昼食時間というのは基本的に12時ぐらいでしょ?
その時間って当然、昼食目的で利用者も多いので、いつも時間をずらして食事をするようにしてるんだけど、ね。
つまりこの時間にいつもの数倍の人で賑わっていて、その上イベントをやってると落ち着いて食事もできない。
まぁ、仕方ないのだが・・・。
それにしてもビンゴ大会の商品もかなりいいものが揃ってる(笑)。
ビンゴカードは一枚300円。
商品は有名なお酒類からおもちゃ、日用雑貨などなど。
でも一番人気はそういうものより、ご招待券のようだ。
つまり、入館無料券ってやつ(笑)。
おぢいちゃん、おばあちゃんも多いが、やはりこういうイベントに集まるのはおばさんたちだ。
僕はその隙間に相席で座らせてもらってビールを飲みながら、そのイベントを見学~。
参加はしていない。
約1時間のイベントでご満悦の方たちを眺めながらね。
その後、僕もほろ酔い気分で仮眠室~。
夜はいつもより早く帰って来て、またビール♪。
ちょっと飲み過ぎかな。
明日から週末にかけては忙しい。
そろそろ寝なきゃね。
もうすぐハロウィン!
というわけ、じゃないけど・・・。
今日は特にアップする写真がなかったので、この間行ってきた喫茶店Cにあったので、ちょっと写真を。
ハバネロ!
見ているだけで、舌がピリピリしてきたぁ。
2010年10月19日
BBQでランチ
BBQでランチ
(2006年1月オーストラリアパース野郎二人旅編)
夏が大好きな僕にとって、日本(主に関東のことを差すのだが)の夏とは違うパースは言葉ではなかなか表現できないのが悔しい。
気温30度は当たり前のように越えても、木陰に入れば涼しい風が通り過ぎるような・・・、
汗をかいてもベタベタせずにいつの間にか乾いているような・・・、
そんな気候なのである。
同僚のTも、オージー仲間と徐々にふれあい、楽しんでいる様子。
僕も砂浜に寝転び、日焼けを楽しみながら、友人たちと昔話に花が咲く。
楽しい時間はどこに行ってもあっという間に過ぎていく。
日中の短い時間をビーチで楽しんだ後、友人Aの家に立ち寄ることにしたのだが、ナント彼の家はこのビーチのすぐそばにあるという。
うひゃ、なんと羨ましいことだろう。
10数年前にもコテスロに住む友人Dのところに2泊ほどさせてもらったことがあるのだが、僕ももしパースに住むのならコテスロ辺りに住んでみたいと思ったほど、好きな町である(もちろんフリーマントルも候補であるが)。
豪邸にお住まいのようで(笑)。
日本じゃ、こんな家、どうあがいても買えないな(涙)。
あ、もちろんパースでも買えないか(苦)。
外観を見ているだけで溜め息なのに・・・、
広い廊下(って表現わかるかな?)の奥には僕の住まい全体の広さほどのリビングルーム。
いや、それよりも広いかも。
ちょっと桁が違うね。
そして、中庭で昼食。
もちろん、この国でのパーティはBBQパーティである。
BBQとなれば、男の仕事?
どこの家でもグリルに向かうのは男である(笑)。
しかもまだ日中だというのにこの量を食べるの?
僕なんか、肉だけでいいかもしれないし、せいぜいソーセージ1本ついていれば満腹になるよ。
ダイナミックな国だね。
このグリル、うちのベランダにも置きたいところだがクレーム来るだろうな、きっと。
いい匂いで・・・(笑)。
昼間からビールを飲み、大勢でのパーティ。
本当に感謝している。
友人Aとも久し振りの再会だったが、この先、再び会えるチャンスがあるのかどうか・・・。
名残惜しみながらも、僕らはここを後にしなければならない。
帰り路~。
コテスロ駅のそば。
目の前に踏切があるのだが・・・。
オーストラリアの交通ルールで日本のルールと違うものをひとつ紹介しよう。
日本では踏切で一時停止をするのがルールだが、オーストラリアでは一時停止をしてはいけない。
もちろん信号が点滅しているときに停止すればいいだけなのだ。
僕もこの国で何度か車を運転したが、踏切近くになると減速して、そのまま停止しようとする気持ちが癖になっていたのだが、そのたびに、
『あ、止まってはいけないんだ。』
って心に言い聞かせていた(笑)。
この日は再び悪夢が・・・(ちと大袈裟かな)。
以前の旅行のときもそうだったし、この間のフリーマントルから帰るときもそうだったが、フリーマントル線が動いていない。
どうしてなのだろう。
時間によって電車は動かないのだろうか?
僕の中での疑問が沸々と沸くのだが、未だに解明できないでいる。
結局、バスに乗って途中駅まで移動することになる。
時間に余裕があるからいいようなものの、なければ大変なことになっているわけで・・・。
バスの移動はそれなりに景色が違って楽しいのだが、こんな日にアクシデントのために交通手段が変わるとちょっとドギマギしてしまう僕である。
まぁ、何とかパースシティまで戻ってこれたので一安心だけどね。
雨こそ降らないが、ちょっと肌寒く、いつ雨が降ってもおかしくないような天気。
なかなか天気のいい日が続かない。
秋雨前線ってやつかな。
ちょっと身体も疲れ気味。
明日はゆっくり休むとしよう。
2010年10月18日
久し振りの再会
久し振りの再会
コテスロビーチを離れ、海岸線沿いの一段高くなった歩道を歩いているときに撮った写真が上。
写真の左手には駐車場、そして車道になっている。
歩道にはごみ箱なども置かれているから、悪さをしない限りはごみをその辺に捨てる人もいない。
本当に人間に優しい国である。
写真の先に見える白い砂浜部分辺りに友人Sはいるはずだ。
あ、はるか遠くに見えるのはフリーマントルだろう。
そう、コテスロビーチはフリーマントルから車で10分もかからないんじゃないかな。
遠くで、何やら音が近づいてくるのが感じられる。
空を見上げると・・・、
小型の飛行機が・・・。
あれ?
その後ろには・・・、UFO戦隊か(んな、はずはない)。
それとも、銀河鉄道999か(だ~か~ら~、んな、はずはないっていうの)。
口をポッカリと開けながら、空を見ていると・・・、
こんなのを引きずって空を飛んでいた。
いやぁ~、広告も新聞やチラシだけではないんだね~(笑)。
何だか、青空も広告にしちゃうオーストラリアが楽しくさえ感じられる。
写真はビーチから見た町の建物だが、この辺りは景色がいいのでマンションなどをセカンドハウスとして持っている人々が多いようだ。
当然普段は空き家になっているケースが多いのが、ちょっと羨ましくもあり、もったいなくもあり・・・。
先に見えたビーチに近づき、砂浜を歩いていると、向こうから手を振っている人間が・・・。
お~。
いたいた。
結構コテスロビーチ寄りにいてくれたので、見つけるのも大変ではなかった。
海水浴客もコテスロビーチに比べるとそれほど多くはない。
ちょっとした隠れポイントかも、ね。
しかも、サプライズ。
友人Sにとっては大学(西オーストラリア州立大学出身)時代の後輩であり、僕にとっても一年間一緒に仕事をやってきた仲間のAがいる。
友人Sもそうだが、Aも奥さんは日本人(笑)。
いつの間に???
それは全然知らされていなかった(涙)。
久し振りの再会に握手を交わし、奥さんとも挨拶をする。
幸せそうだ。
周りを走り回っているのは友人Sの息子J君とAの息子のC君。
同い年だと思ったら1歳の差があるという。
J君はどちらかというと小粒なわけだ(笑)。
T子(友人Sの奥さん)とJ君。
実はT子とも部署は違ったが、同じ職場の仲間(後輩)であり、僕にとっては友人Sより長い付き合い。
まぁ、何というか・・・、
僕の存在って愛のキューピットってやつかな(っぷ、笑)。
人様の恋愛を成就させるのはお得意なんだけどね(とほほほ)。
ということで、友人Sは社内恋愛ってことだ。
J君はとにかく走り回る元気な子だ。
どこにでも行ってしまうので、みんな大声で叫ぶ始末(どこの家庭でも一緒だろう)。
日中は穏やかな天気の関東だが、夜はそれなりに涼しささえ感じるようになってきた。
やっぱり間違いなく秋は近づいているようだ。
帰宅後、PCのメールを開くと、早速K子からメールが届いていた。
っていうか、ちょっと早いんでないかい(と、ここで北海道弁か)。
まだ、パースに行ってから一週間は経っていない。
メールの全文は以下の通り。
しばっちさんへ
Perth5日目、K子です。
話したいことがありすぎて、何を伝えればよいか…??
しばっちさんの言っていたとおり、Perthは素敵な街ですね。
私も、ここが大好きになりました。
まだ、あまり観光ということはしてませんが、昨日、KingsParkに行って来ました。
広くて、綺麗で、景色が良くて、みんなのんびりしていて…とにかく最高でした!
今は、Joondalup線のWarwickという駅から、バスで15分位のところ(Duncaig)に住んでます。
しばっちさんの言ってたとおりの場所でした。
広くて、近くに公園があって、とても環境の良いところです。
ポーリーンというおばちゃんの家にお世話になっています。
英語はまだまだ上手く話せませんが、困ることはあまりありません。
今日は用意がなくて送れませんが、次回、写真を送ります。
また、近況報告しますね!
ではでは、See You!
無事に到着し、上手に生活している様子が伺える。
ちょっと一安心。
だが、おばあちゃん・・・?
・・・だけなのかな?
誰とどうやってキングスパークに行ったのだろう?
まるで我が子のように心配する僕だが(笑)、困っている様子はない。
もともとポジティブなK子のこと。
持ち前の明るさで動いていることだろう。
次回の写真が楽しみだ。
2010年10月17日
青空の下を歩こう
青空の下を歩こう
(2006年1月オーストラリアパース野郎二人旅編)
上の写真もコテスロビーチの写真だ。
この日は久し振りに天気も回復し、気温が上昇。
それでも日本(関東を基準としているけどね)の夏と違って空気は乾燥している。
敢えて言うなら、北海道の夏に近いかもしれないが、日中の気温だと40度を軽く超える日も少なくない。
それだけに紫外線も強く、帽子やサングラスは必需品でもあるが。
実はこの日はコテスロビーチでちょっとしたイベントをやっていたので、僕らはしばらくそのイベントを眺めていた。
砂浜に寝そべって見ていてもよかったのだが、あまりの暑さに芝生に移動しての観戦。
芝生がちょっとひんやりしていて気持ちいい。
ハトも芝生で観戦(笑)、中には眠りこけている人もいる。
さて、何を観戦していたかというと・・・。
わかるかなぁ~?
あ、いや、サーフィンではないよ。
これだけじゃわかりづらいかな。
実はこの日、ライフガードの対抗戦があったようで、各チームが遠泳を競ったり、救助のデモンストレーションがあったり、かなり白熱した戦いが繰り広げられていたのだ。
驚いたことに女性だけのチームも・・・。
こんなのはなかなか日本では見られない。
写真の右奥に大勢の人が泳いでいるのが見えるかな?
で、左方面から手前に泳いでタイムを競っているようだった。
しばらく、その競技を見て、移動を開始する。
実は友人Sとの待ち合わせはこのビーチから1kmほど離れた場所だったのだが、僕にとっては初めての場所。
大勢の海水浴客から見つけ出せるのか・・・、ちょっと不安だったが、それはそれで楽しい。
冒険気分だよね。
コテスロビーチから離れるとすぐに比較的岩場の多い海岸がある。
景色の変化は僕にとっても嬉しいこと。
こんな看板を見つけるのもおもしろいものなのだ。
それにしても空が青い。
海風がいい。
南半球の夏がたまらない。
岩場の多い海岸にはさすがにほとんど海水浴客はいない。
この岩場の先は再び砂浜になるが、思ったほど人が多くはない・・・ようだ。
危ないよ!
これらの看板が統一されている(色にしてもデザインにしても)ので、景観が見苦しくないのも日本と違っていい。
犬だって立ち入り禁止の地域があるんだよ。
もちろん釣りだけじゃなく、魚を銛(もり)で獲るのもダメ、水上バイクもダメ~。
青空の下をさらに歩いて行くことにする。
日曜日、ちょっと雲の多い一日だった。
今日は久し振りに中国人のG君が来たので、仕事帰りにちょっと飲んで帰ることに。
結局、深夜12時を過ぎての帰宅になってしまったのだが、仕事でへとへとになっていてもビールがうまい。
もう秋真っ只中なはずなのに、寒さを感じない数日。
いや、むしろ日中は汗ばんでしまうほどだから、やっぱり今年はどこかが違う気がする。
普段なら明日が休みだったりするのだが、今週は火曜日まで仕事が続く。
体力温存しておかなきゃ、ね(いつまでも若いと思うな!)。
ということで、そろそろおやすみ~。
2010年10月16日
青空のコテスロビーチ
青空のコテスロビーチ
コテスロビーチは雲ひとつない青空。
これぞパースの夏。
パース駅からフリーマントル線に乗り、20分程度でコテスロ駅に到着する。
さらに駅を降りてから歩くこと約15分程度でビーチに到着。
日本の感覚だとちょっと遠くも感じるのだが、きれいな住宅街や広い公園などを眺めながら歩いているので、それほど遠くも感じない。
インド洋からの海風が気持ちいい。
コテスロビーチの中央に立つ淡いクリーム色の建物はシンボルともなっているインディアナティーハウス(カフェレストラン)。
この建物はポスターやカレンダーなどにもなっていて、この地域の目印でもある。
青い空に妙にマッチしている建物でもある。
上の部分はカフェレストランだが、下の部分にはロッカールームやトイレもあり(たしか無料)着替えなどができる。
日本で言うところの海の家ってところか(笑、でも無料!→強調)。
ちょっと感覚が違うか・・・。
あれれれ。
『TEA HOUSE』のHの字が・・・ない(笑)。
僕は過去の旅行で何度かこのカフェでお茶したことがある。
日本の海水浴場だといろんなところで商売根性を出し、ジュースなどの販売をしていたり、海の幸を売っていたりしているが、この辺りを見渡してもそれらしきものはない。
遠くに小さな小屋でハンバーガーを販売しているところがあったのを記憶しているが、まぁ、そんな程度である。
もちろん自動販売機だって見かけない。
喉が渇いて、インディアナティーハウスでコーヒーを飲んだことがある程度なんだけどね。
その店内から見える景色も美しい。
ちょっと砂浜を歩いてみようか。
冬場は閑散としているビーチも夏場は多くの人で賑わう。
この海、数年前にサメが現れたことがあり、何人かの命を失ったことがあると聞いている。
僕も昔はこの海で何回か泳いだことがあるのだが、見た目より深いんだよね。
海に入ってから2~3メートルでガクッと深くなっているのだ。
ビーチの先に見える岸壁は釣りのポイントでもある。
ビーチバレー。
こういうところも日本にはなかなかないんじゃないかな。
僕が知る限りでは日本のようにペットボトルやゴミなどはほとんど落ちてないし、ガラスの破片などのような危険物も落ちていない。
こういうところがいい。
日本人よ、見習おう!
もちろん、砂浜で焚火をしたり、BBQなどをするようなこともない。
砂浜からちょっと離れた場所に、当たり前のようにBBQができるような場所が設置されているからね。
友人Sとの約束の時間より早めに着いていたので、しばらくビーチに座って日焼けを楽しむことにした。
仕事中に携帯電話が鳴る。
登録名を見るとY君からだ。
Y君とは若い頃に一緒に仕事をやっていた仲間の一人。
普段は携帯に出ないのだが、思わず取ると・・・。
「お久しぶりです。お元気ですか?」
と、懐かしい声。
最近はあまり連絡を取っていなかったのだが、昔はよく遊んだ。
春、夏、秋はキャンプに、冬はもちろんスキーに・・・。
Y君の両親とも仲良くさせていただき、彼が仕事から帰っていないのに、僕が出向くと、お父さんがお酒を用意して一緒に飲むほど。
本人がいないのに盛り上がってしまう家族だった(笑)。
「どうしたの?」
と尋ねると、
「あ、いや・・・。今、昔の仲間と飲んでるんですよ。」
はて?
昔の仲間?
「あ、ちょっと変わりますね。」
と携帯が回される。
H君、A君、M君・・・(笑)。
いやはや、確かにみんな昔の仲間だ。
「そろそろ来年あたり、昔のようにみんなで旅行にでも行こうかと思ってね。」
ということで連絡をくれたらしい。
しかも日程まで決まっているという。
僕は日程を聞くのを拒否した。
それは後でのお楽しみにさせてくれ、って。
いやぁ~、本当に驚きだよ。
本当に若い頃はみんなよく集まって遊びに出かけたよなぁ~。
スキーがらみが多かったので長野県や新潟県が中心だったが、少なくても1年に4~5回。
しかも短い旅行でも1泊はするし、休みが共通すれば3、4泊なんていうのも当たり前だった。
年末、年始もいつも一緒だったっけ。
最近は僕の方が休みが合わずに欠席していたが、そろそろ参加した方がいいかな。
懐かしさのあまり、仕事を忘れそうになってしまったが、また、近いうちに連絡をくれるそうなので楽しみに待ってるとしようか、な。
2010年10月15日
青空が戻ってきた(パース旅行記2006再開)
K子がパースにワーホリに行くタイミングで、僕もようやく重い腰を上げようと計画をしていたのが、パース旅行記の再開である。
記憶が曖昧になりつつも写真を眺めているとそれなりに呼び戻ってくるものだ(まだまだ大丈夫だな、この頭・・・、笑)。
もちろんこのパース旅行記は2006年1月に行ったときのもの。
このときは職場の同僚Tを連れての野郎2人旅である。
最後にパース旅行記をアップしたのは6月15日だから、かれこれ4か月も間があいている(笑)。
それでも夏の間、結構記事の続編をどうしようか悩んではいたのだ。
K子がパースに行くという話を聞いたときに、閃く。
「このタイミングしかない(笑)。」
ということで、再び2006年の旅行記を再開。
しかぁ~し!!!
実はこの旅行記も残すところあと一日分程度なのだ。
まぁ、中途半端な終わり方をしてしまうと先に進めないので、ご興味のある方は写真だけでも堪能していただければ・・・と思っている。
2006年1月のパース旅行記の今まで
1日目 成田空港出発~機内
2日目 パース到着~バインズリゾートホテル~パースシティ探索(天気は快晴)
3日目 スワンバレー探索~友人S宅でウエルカムパーティ(天気は晴れ)
4日目 カバシャム動物園~ピナクルスツアー(天気は雨、風も強し)
5日目 スワンバレー探索~サヴィルパークスィーツに移動~パースシティ探索(天気は曇り)
6日目 ロットネスト島~フリーマントル探索(天気は曇りのち晴れ)
青空が戻ってきた
パースで遊べる時間も残りわずか。
今日の夜には再び寒い日本に帰ることになるのだ。
パースの夏はほとんど雨も降らず、毎日ギラギラと太陽が照りつけるのだが、昨日までの数日間は考えられないような気候。
冷たい雨だったり、雲の多い日々。
本来だったら同僚Tの希望通り、海辺での時間を多く取るつもりだったのだが、思惑通りには行かない。
ところが一転、パースを発つ今日になってようやく夏らしい気候に戻ってくれたわけだ。
朝、部屋の電話が鳴る。
「ハロー。」
友人Sからだ。
「今日、家族でビーチに行くんだけど、よかったら向こうで待ち合わせをしようよ。」
僕はすかさずオーケーの言葉。
昨日はロットネスト島で海を楽しんだが、決していい気候ではなかったので、これでようやくTにも面目が立つってわけだ。
シャワーを浴びて、とりあえずチェックアウトはしたが、荷物は夕方までホテルに預かってもらうことに。
この写真はバラックストリートから見上げた青空。
クリスマスシーズンが過ぎてもタウンホールはクリスマスリースで飾られている。
日本とは違い、1月になってもクリスマスのディスプレイはしばらく飾られているのがいいね。
で、僕が今回の旅行で最もお気に入りの写真が、これ。
ちょうど反対側のビルのガラスに映るタウンホールを写してみたものだ。
このときの青空がパース!って感じだったんだよね~(一人で感動していた)。
さらにパース駅に向かって進みながらも、僕は空を見上げること数回、真っ青な空にひとり感動を覚えていた。
これがパース駅の正面。
パース駅は大きな樹木に囲まれていて、ちょっと遠くから見ると、どこに駅があるのか見落としてしまいそうになる。
見た目はそれほど大きく感じない。
ここからフリーマントル線に乗り、途中駅のコステロ駅まで行くことになる。
ようやく重い腰をあげてのパース旅行記2006年の残り分。
とはいえ、ほとんど最終日の内容のみが残っているだけなので、ボリュームには欠けるかもしれない。
それでも中途半端になっていたものなので、けじめをつける意味でも書き残し分を完結に向けて頑張ろうと思う。
そして、僕自身のテンションを上げていくうちに、きっとK子からのパース情報が流れてくるものと思っている。
楽しみ~♪
2010年10月14日
K子との最後の飲み会(2)
K子は夕べ日本を経ち、今日がパース第一日目となる。
多分早朝パース空港に到着し、入国手続きに苦労し(笑)、担当者と合流し、その後、右も左もわからず、ホームステイ先に向かったことだろう。
もしかしたら担当者の計らいでパースシティを観光・・・なんてことがあったかもしれないな。
初めて見る国の、初めて起きる出来事の数々。
期待と不安が入り混じった状態で、半ば興奮気味だろう。
英語と直接向き合いながら、意味が通じず、心細くもなる。
だけど、そのときの気持ちをいつまでも忘れないでいてもらいたい。
ワーホリが決まってから彼女とはパースの町の話もよくした。
僕が旅行者として苦労したのは電車の切符の買い方。
そして、日本とはちょっと違うルール(これはお得なルールだが)。
【どんどん食べなよ!と勧める】
日本での切符の購入方法はお金を入れてから行き先の料金ボタンを押すが、パース(オーストラリア)は先に料金ボタンなどを押してからお金を入れる。
しかも紙幣は入れられなかったような気がするし、両替機もなかったかも。
そしてほとんどは無人駅である。
人で賑わうパース駅でさえ、時間によっては無人駅になる。
今じゃ日本は時代の先端(?)を行くタッチパネル方式だから、そういうことでさえちょっと戸惑うんじゃないだろうか。
そしてお得なルールとは切符を購入した時間から2時間はその料金の範囲内で何度乗り降りしてもいいのだ。
例えばパース駅をスタートして2時間以内にパース駅に戻ってくれば、片道分で往復できるというわけだ(笑)。
ただし、キセルが見つかると膨大な罰金が待っている。
【K子の好物、ゲソの唐揚げ】
彼女の仕事の希望は女性には珍しく(はて?)ピッキング作業だという。
都会の生活よりも自然の好きな彼女にはお似合いの仕事かもしれない。
「日本を離れたらしばらくはおいしい料理も食べられないかもよ。」
と言うと、開口一番、
「私、ゲソの唐揚げが好きなんです。」
がははは。
どうぞ、どうぞ!
【もちろん僕はポテトフライで】
魚民のポテトフライもおいしいっ。
僕は大勢の人と一緒に飲んだりするのがあまり好きではない。
どちらかというと、いろんな話をしっかりできる相手と向き合うのがいい。
大勢で飲んでも多くの情報を聞けなかったり、興味のある話をうわべ面だけで話すのが苦手なのだ。
たとえ興味がなくてもどうせ会話をするのなら身のあるものにしたいと思うわけ。
K子のワーホリの話は続く。
彼女はできることならパースには半年あまり、それ以外を他の地域で暮らしてみたいとも言う。
最終的にはラウンド(オーストラリア大陸を一周)したいらしい。
もちろんパースがお気に入りになったらその期間も延びることだろう。
僕としては一年間しっかりパースに居ついてもらいたい、と願っているのだが。
【煮込みも食べられなくなるよ】
彼女はホームステイ先で何かをしてあげたい、って言うのだが、その内容の根源は日本食のようだ。
「おにぎりを作ってあげようかな?って思ってるんです。」
それもよし。
「手巻き寿司でパーティっていうのは、どう?」
「そういえば友人Sは日本の焼きそばを『おいしい』って言ってたよ。BBQコンロは各家庭に一台はあるはずだからね。」
「すき焼きは?天ぷらは?」
と、僕の方が要求している(がははは)。
【こういうものを食べてたから、ついつい和食の話題で盛り上がる】
パースの話題で盛り上がって気づくとお開きの時間。
まだまだ言い足りないことがあったが、あとは現地で慌てないこと・・・と付け加え、お互い別れることにした。
出発当日の夕方、電話を入れて、
「気をつけて、そして大いにエンジョイしてきてね。」
「はい。頑張ってきます。」
あ、そういえば、まだ言い足りなかったことを思い出した。
パースはハエがうるさいよ。
ああああ~、これが一番大切なことだったかも・・・。
2010年10月13日
K子との最後の飲み会(1)
今頃、K子は飛行機の中。
いよいよ彼女は異国の地で1年間を過ごすことになる。
日本を経つ数十分前にメールが届いた(残念ながら僕は仕事中でメールを見たのは、すでに彼女は日本を離れた時間だと思われる)。
「日本を出発する最後にしばっちさんにメールを送ります。いろいろお世話になりました。ありがとうございます。元気で行ってまいります。」
との文面と写真が・・・。
この写真を見たら、僕までちょっとドキドキしてしまい、あらためてK子の意志の強さを感じさせられた。
先週の金曜日、10月8日は世田谷で仕事を終えてから、K子のパース(オーストラリア)行きを祝って、再びお別れ会を・・・(いつも飲むときはお別れ会って言いながら誘う、笑)。
とは言っても、本当のお別れ会は翌日の9日にあったのだが、僕は多忙のため欠席。
ちょうど彼女の住まいが世田谷なのでタイミングもよく、千歳船橋駅(小田急線)のそばの居酒屋魚民で~♪
【まずはかんぱぁ~い♪】
K子の実家は茨城県。
大学を卒業して以来、東京で一人暮らしをしている。
僕が世田谷で勤務していた頃からの付き合いだから、かれこれ4~5年になる。
今回、パース行きを決行した最大の理由は、僕のパース狂じみた会話を聞いているうちに行きたくなったとのこと(責任重大だ)。
多分、彼女はもともとワーホリをしようとしていたのだろう。
ただ、その目的地をどこにするのか、相当に悩んでいたようだ。
ワーホリとは、最長1年間の期間ひとつの国に滞在できるビザ制度で、その間の滞在資金を補うために就労も認められる特別なルールなどがあり、異文化の中で交友関係を促進することなどを目的にしている制度である。
年齢にも制限があり、18歳から30歳まで。
だから、僕のようなおぢさんには当てはまらない(これが悔しいね)。
またどこの国でもワーホリができるわけではない。
ワーホリ制度が始まって、一番古くは1980年開始のオーストラリア(かな?)
それからニュージーランド・カナダ・韓国・フランス・ドイツ・イギリス・アイルランド・デンマーク・台湾と協定を結び、最近では香港(2010年)もワーホリができるようになった。
英語が苦手な人でも一年間その環境に入ると、結構ぺらぺら話せるようになるんだから本当に羨ましい。
もちろん努力も必要だけどね。
【オーストラリアに行ったら食べられなくなるよ、と勧めて】
僕自身、ワーホリの経験はないのだが、パースへは9回の渡豪で多くの経験も積んできたつもりでいる。
日本とのギャップも感じたし、語学力のなさにも痛感した。
ただ救われたのは、日本で一緒に仕事をしてきたオージーがいてくれたこと。
しかも彼らは一年間の滞在で(会社との契約)そこそこ日本語も上手になっていたし、僕の下手な発音を理解してくれていたから、言葉の不自由さはあまり感じていなかった。
それでも恐ろしいことに、
「お前は充分英語力があるんだから、ここからは一人で楽しんで来て。」
と僕を街中に残していなくなることもあった(笑)。
実際、ひとりでショッピングもしたが、あの頃はドキドキモンだった。
これは友人Sとの話だが、彼は結局日本に5年滞在していて、ほとんど一緒の部署にいたこともあり、悪い日本語もいっぱい覚えたし、僕自身も悪い英語を教わった(笑)。
【馬肉のユッケ~♪】
K子はオーストラリアのパースを選び、ワーホリ協会の紹介で、最初のホームステイ先の連絡を待っていた。
結構ギリギリまでホームステイ先が決まらなかったようだが、とりあえず決まったのが、パースから北に14~5kmほど行ったところにあるダンクレイグ(DUNCRAIG)という町だ。
パース駅を中心として電車は4つの路線に別れているのだが、僕がよく使った路線はミッドランド線とフリーマントル線。
ミッドランド線は当時一番仲の良かった友人Sがその方面に住んでいたこと、そしてフリーマントル線はよく観光に出かけていたからであり、それ以外の2線はほとんど使ったことがなかった。
そのため、K子の住むであろうダンクレイグという町はその沿線ではないために情報などほとんどなく、僕にとって皆無に等しいものと思われていた。
この話は数日前のブログにも書いたが、それに対していくつかのコメントを頂いている。
そして、そのコメントを読んでいるうちに・・・、
「あれれ?」
【お刺身の盛り合わせ~♪】
一度も行ったことがない・・・なんてことはないぞ。
僕が思いだしたのは今から16年前、初めてパースに行った1994年。
そのときはほとんど友人Sに連れられての車で移動だったので、右も左も、南も北もわからないままで終わってしまったのだが。
ダンクレイグから西に約2km移動するとソレントビーチというインド洋に面した海岸があり、そこにある水族館・・・、
うん、行った、行った~、行ったことがある~。
この情報は関西に在住のYokoさんのコメントに書かれてあったもの。
水族館の情報がなければ僕はすっかり忘れていたわけで、そこから思いだした幾つかの出来事。
K子がホームステイするダンクレイグという町の情報はすぐにメールで教えてあげることにした(飲み会の時点では僕もわかってなかったので)。
このブログをアップする時間にはすでに彼女も日本を離れ、機内の中にいる。
そして、明日の早朝にはパース空港に降り立ち、春の香り漂う空気をいっぱい吸っているに違いない。
2010年10月12日
八天堂のクリームパン、再び
世の中連休だった3日間はブログを書いている余裕もなく、家にいるのは寝ている間の6時間程度。
忙しいというか、時間が取れないというか、ブログなんてゆっくり書いていられない。
まぁ、そういう日もなければ、僕のような人間はパソコンにしか向かっていないように思われがちで(苦笑)。
それなりに忙しいこともあるってことを証明しておかなければ・・・ね(笑)。
数週間前に紹介した八天堂のクリームパン。
はなまるマーケットで2009年のおめざ第一位を獲得したスィーツ(っていうかパンだけどね)だが、最近は都内のあちこちで姿をみせているらしい。
品川駅構内のテーブル販売は年内やっているらしいが、僕が以前目にしたのは新宿駅構内。
そしてこの間は京王デパートでも・・・。
この話を職場でしていたら、高校生アルバイトのTちゃん、
「八天堂のクリームパン、私も大好きです。」
「えっ?食べたことあるの?」
「はい。そういえば、これって中野駅でも販売されてるんですよね?」
「はっ?」
八天堂のクリームパンを愛する人間の目が点に・・・。
そう、最近期間限定で中野駅でも売られていたとか。
ふむ、僕も週に何回か立ち寄る中央線中野駅だが・・・見ていない。
で、どうやって嗅ぎつけたかわからないが、職場のW君が京王デパートで10個ほど購入し、その内の半分を僕が買うことに(笑)。
もちろん、その日のスタッフと一緒に食べたのだが、やっぱりマイウ~。
その中のひとつは僕が自宅に持ち帰ったのだが、それが・・・、
鞄に入れてきたので、ちょっと潰れているのだが、このパンを見るのは初めて~(万歳)。
お味は・・・というと、いたって普通のクリームパンのようだ(見た目も)。
どこが生梅なんだろう~。
と思ったら、後でジワァ~ッと酸味が口に広がる。
ほほぉ~っ。
でもね、このクリームパン1個200円なんだけど、生梅は250円。
強気の販売だなぁ~。
僕のような一般庶民はなかなか手にできない値段だな。
まっ、たまに食べるからいいのだけどね。