2010年10月
2010年10月11日
2010年10月08日
K子の送別会
今日は久し振りに世田谷で仕事~。
ってことは、久し振りに喫茶店Cにも足を運んだわけで。
マスターとも数ヶ月振りに話をしたわけだ。
もちろん今年の夏には何度かメールをもらっていて、
『そろそろ箱根でも行かないか?』
とのお誘い。
僕としては箱根も小田原も行きたいのだが、とにかく今は心身ともにゆとりがないので、まだ約束をするわけにはいかず、言葉を濁してあるだけに留めている。
夜は来週パース(オーストラリア)にワーホリで一年間旅立つK子の送別会。
偶然にも昨日パースの友人Sからのメールも届き、そのことも伝えておいてあげた。
K子はパースに行ったら、一ヶ月ほどホームステイをすることが決まっている。
その滞在先もようやく連絡があったらしく・・・。
そこはパース市街から北に15kmほど行ったダンクレイグ(DUNCRAIG)という町だ。
僕も興味があったのでネットで調べてみると、なんとその町の方面にはほとんど行ったことがない(とほほほ)。
パースを中心に電車が4本通っているのだが、北方向の電車には乗ったこともない(クラークソン線)。
道路としては国道一号線を北上するだけの単純な道のようだが、過去の旅行ではせいぜいモンキーマイアに車で行ったときに通っただけの位置かと思われる。
地図を見る限りではクラークソン線のグリーンウッド駅から1km程度かな。
海岸としてはソレントビーチまで2km程度かと想像できるが、もちろん僕にとっては未開の土地(笑)。
ソレントビーチはボートハーバーなどもあって、きっときれいな風景が目の前に現れるはずだ。
そういえば、K子から先日の屋久島の写真がメールで送られてきていた。
ちょっとご紹介~。
ここはいなか浜。
屋久島はとにかく自然の宝庫で、海もかなりきれい。
僕自身も若い頃に3回ほど屋久島まで行っているのだが、海中も美しく、熱帯魚がいっぱい泳いでいて感動した。
その時代にはデジカメもなく、今の時代が羨ましい。
縄文杉を見に行く途中にど~んと立っているのがウィルソン株。
これはかなり迫力がある。
このウィルソン株の中は空洞になっていて(朽ち果てて)、そこから見上げるとこんな風景が見えるんだけど、
よ~く見て~。
写真を横にしたらハート❤の形に見えるでしょ。
恋愛成就のスポットのようだよ。
樹齢数千年と言われる縄文杉。
僕もこの杉を拝みに行ったけれど、当時はこの杉に触ることもできた。
今は保護されているため、近くまで寄れないらしいね。
そして、最後に・・・。
これが、問題の翁杉(おきなすぎ)。
一人はK子で、もう一人はこのツアーで知り合った女性らしいが・・・、
そんなことより(笑)、この写真を撮って数時間後に、この翁杉が倒れたのだという。
もちろん、その翌日(かな?)新聞やテレビでもニュースで取り上げられていたね。
かなり貴重な写真である。
ん?
もしかしたらK子が乗った重みで倒れたのかって?
ふふふ、そうかもね。
2010年10月07日
歳を取るのが早いと痛感
ようやく秋らしい日が続いている(というか、それでも汗ばむ)。
やっぱり青空はいい、ね。
2~3日に一度、PCのメールチェックをするのだが、久し振りにパース(西オーストラリア)に住む友人Sからメールが届いていた。
彼とは2007年以来だから、かれこれ3年も会っていない。
その間に僕のPCの調子が悪くなり、保存しておいたメールアドレスさえ見ることができず、半ば諦めていたのだが・・・。
ある日、携帯電話の電話帳をいじっていたら・・・、
友人Sのメールアドレスが残っていたので、そのアドレスにテスト送信してみることにした。
実は長い年月の間にお互いメールアドレスを数回変えていたので、あまり期待できるものではなかった。
数日後に返信メールが。
「あぁぁ~、届いたんだ。」
と、ちょっと一安心。
数日後に今度は自分のPCから送ってみたのだが、その返事がなかなか来ない(汗)。
まぁ、忙しい身だから、気長に待つとするか・・・なんて思っていたんだけど、実は心中穏やかではなかった。
何故なら、職場のスタッフのT君が11月にパース旅行を考えていたり(実際には来年の2月に変更)、K子が10月13日にワーホリでパースに行くことが決まっていて、それらのことについて相談したかったからだ。
K子はすでに最初の1カ月の滞在先は決まっている。
友人Sのメール内容は・・・というと、家族が増えた・・・(はて?)と。
最後に彼と家族に会ったのは2007年である。
その年に第二子が生まれ、喜んでいたのに・・・。
ナント第三子まで(笑)。
しかも3人とも男児である。
結婚して数年子供に恵まれず、友人Sのお母さんのPさんは半ば諦め気味だったのを僕は忘れていない(もちろん、彼らの前で話していたことではなく、僕だけに言っていた言葉である)。
そして、そのメールに添付されていた写真が、これだ!!!
写真左からL君(二男・3歳)、J君(長男・7歳)、K君(三男・2歳)。
もちろん一番良く知っているのは長男のJ君だが、こ、こ、こんなに大きくなっている~。
二男のL君は2007年に生まれたばかりのときにご対面しているが、その後に生まれた三男のK君は初お目見えだ。
うひゃぁ~。
この写真は2006年のときのもので、J君3歳。
まだ下の2人は生まれていなかった時代である。
僕の手を引っ張って庭で遊んでいるときのものだが、このときからすでに日本語と英語を分けて話している。
もちろん僕には日本語でしゃべっていた(脱帽)。
これはJ君1歳の2004年の写真。
初めてのご対面で、お土産に甚平とアンパンマングッズを持って行ってあげた。
この年に渡豪したのは6月で南半球のオーストラリアは冬。
それなのに甚平って笑える。
今度遊びに行くときには3人分のお土産かぁ~(苦)。
こうやって写真を眺めてみると、子供の成長は早いね。
というか、僕が老いていくのも早いってことだよね(涙)。
時の流れの速さを痛感している僕である。
2010年10月06日
ON泉でOFF呂
今日は仕事はOFF・・・ということで、ちょっと早めにいつもの温泉に。
最近はいろいろと忙しく、ストレスも溜まっているのがよくわかる。
温泉で汗を流しても、いつものサラッとした汗ではない。
何となくネットリしているような・・・言葉では言い表せられないが、これがストレスで溜まった分泌物なのか、と思うようなもの。
2回ほどサウナで汗(というよりも分泌物)を流し、身体をゴシゴシ洗う。
その後はもちろん定番の・・・。
ビール~♪
昼間に飲むビールは何故か旨い!!!
最近口にしていなかったこのお食事処のポテトフライもラーメンも久し振りに食べることができた。
その辺の居酒屋やラーメン屋で食べるものよりおいしい。
温泉目的というよりはポテトフライ目的、ラーメン目的と言っても過言ではない。
あ、今密かにハマっているのが携帯ゲームの怪盗ロワイヤル(笑)。
テレビのCM見ていて始めちゃったんだけど、結構電車の中でやってる人を見かける。
若い人より、ゲーム世代の3~40代の人に人気があるみたい。
ムカつくんだよね~、あれって。
エスカレートするのを押さえるのが大変。
まぁ、暇つぶし程度に遊んでるわけ。
満腹になった後は仮眠室で昼寝をして、夕方再びサウナに入るといつものようなサラッとした汗。
少しはストレス解消できたかな?
夜、帰宅すると携帯に電話が・・・。
北海道に住むいとこのH樹ちゃんから、だ。
H樹ちゃんは僕より5歳年上のいとこで、この間の法要のときに来ていたT夫叔父の長男。
「親父、昨日帰って来たよ。わざわざ手土産持たせてくれてありがとう。」
6月のいとこ会で帰省し、最終日に千歳空港まで送ってくれたのがH樹ちゃん。
そのときにもらったもりもとのクッキーなどのお礼も兼ねてのものだった。
「うん、体調はどう?」
「船内で一度吐いたみたいだけど、まぁ、大丈夫じゃないかな?!」
「船酔い?」
T夫叔父はこちらに来るときには飛行機だったが、帰りは大洗港からフェリーで帰って行った。
フェリーは時間がかかるから大変じゃないの、と聞いたが、そういうことも含め、時間のある叔父にとっては楽しみの一つだという。
ところがH樹ちゃんからの返事は、
「船酔いではないみたい。ちょっと疲れが出たんじゃないかな。」
T夫叔父は数年前に癌の宣告も受けている。
悪い方に向かなきゃいいんだけど、ちょっと心配だ。
特に僕らが行った法要の前日、そしてその翌日もかなりお酒を飲んでいたと思うので、そのことも伝え、身体を休めるように付け加えて電話を切った。
叔父たちもいつまでも若いわけではない。
まだまだ元気なうちに会いに行ってあげなければ~。
2010年10月05日
法要も無事終了
10月だというのに25度もあった関東。
しかもムシムシするほど。
最近の日本は梅雨シーズンが夏を挟んで2度もあるようで・・・。
鬱陶しいね~。
爽やかな秋・・・、来ないのかな???
さてさて、茨城のM子叔母の一周忌の続き~(とはいってももうほとんど書いちゃったかな)。
まぁ、僕の場合、こういったこと(親族の集まり)があると、最近ではカメラマンにしか思われていないようで・・・(爆)。
しかもK三叔父は僕にこう言う。
「お前の撮った写真は食べ物ばかりだぁぁああ。」
そうは言っても・・・、
ほら、これを見てれば秋を感じるでしょうが(笑)!
ここ数年、プライベートではほとんど人間を被写体にしたものがないから、ついつい食べ物やら空を中心とした風景ばかり。
苦手なんだよね、人間を写すのも・・・写されるのも・・・。
右は北海道からやって来てくれたT夫叔父だが・・・、左は・・・、
その甥っ子(僕にとっては従兄にあたる)のSちゃん。
もうすっかり髪の毛も真っ白だ。
二人で並んでいても叔父と甥というよりも、兄弟にさえ見えてしまう。
つい数十年前までは大人と子供の関係だったんだけどね(笑)。
秋を感じるような食事を頂き、一通りの儀式も無事終了。
朝、合流した親戚の人たちは最寄りの駅で降り、再び別れることに。
「今度は来年のいとこ会かな、会えるのは・・・。」
僕は着替えの荷物などをK三叔父の家に置いてあったので、そこに戻ることに~。
翌日は日曜日で仕事を休むわけにはいかず、帰宅することになるのだが、K三叔父は残ってもらいたいようだ。
「(お酒を)飲んでから帰ってもいいんだぞ。」
「そんなことしたら、明日起きれなくなっちゃうから・・・。」
四姉妹・・・ではない(笑)。
M志(K三叔父の次男坊)の奥さんと3人の美女(と、書いておかなければあとで袋叩きにされるかも)。
左からT美、M子(M志の奥さん)、M幸、S美。
こっちは・・・、左からT夫叔父、M志(従弟)、僕、Y志(従弟)、K三叔父。
そして、昔からこうやって必ず写真を撮っていたのが、ここの家のしきたりなんだよなぁ。
いつもここにはM子叔母が笑顔で後ろに座っていたんだけどね。
叔母がいなくなり淋しくはあるが、いつまでも淋しがっていては前に進めない。
遺された僕らが笑顔で生活するのを、M子叔母は望んでいるはずである。
この後、僕は帰宅するのだが、残った面々はこの日も再び凛屋さんで飲むことにしているらしい(笑)。
*****
今日、仕事中に携帯電話にK三叔父から電話が。
無事T夫叔父も北海道に戻ったことと、その足で僕の実家にも行ってきたようで・・・、その話をしたかったようだ。
母も最近、年老いてきたせいか体調がすぐれない。
本人はいたって元気なのだが、それでもあちらこちらが痛むようで、ちょっと弱気になっているのも心配だ。
できることなら仕事を調整して、再び北海道に行かなければならないかな。
2010年10月04日
M子叔母の一周忌
早いものでM子叔母が亡くなり、あっという間に1年。
実際には去年の12月に亡くなったのだが、K三叔父の計らいで早めの一周忌となったわけだが。
12月ともなれば故郷の北海道は寒い雪の季節となり、親戚の多くは北海道に住んでいるため、はるばる関東まで来るのは大変だろうということで早期に一周忌を行うことにしたという。
北海道に住む親族で参加予定は2人の叔父だったが、参加できたのはT夫叔父ひとりとなってしまい、彼は年老いてもなお、旅行に出かけるのが好きな人である。
行きは飛行機で来たのだが、帰りはフェリーで帰るとか・・・。
「フェリーだと疲れるでしょうよ。」
と言うと、
「俺は昔からそういうことが好きなんだよ。」
そう言い切る叔父なのである。
青空に恵まれた一周忌の朝。
9月の関東は雨の日が多く、天気も心配していたが、この日の朝は快晴。
慌ただしく準備をし、いざ出発。
まずはお寺でしめやかに。
途中で関東に住む親族と合流。
しばっち家はもちろんだが、お寺の前では叔母方の親族も集まり出す。
四十九日のときは小雪がちらついた寒い日だったが、この日はちょっと汗ばむほどのいい天気に恵まれた。
この一年、叔母が亡くなったことで、叔母方の親族とも何度も顔を合わせていたので、ずいぶんと会話も軽くなったように思う。
一通りの儀式が終わり、霊園に向かうことに。
この霊園に叔母が眠っている。
そして、その隣にはしばっち家五男のT治叔父の墓もある。
T治叔父は50代の若さでこの世を去っている。
若い頃にK三叔父を頼って茨城県日立市に住みついたのだが、しばっち家ではめずらしく、もともと心臓に持病のある叔父で入院中に倒れ、亡くなっている。
僕らの世代は若い頃、このT治叔父を好きな人間が多かったと思う。
今でいうちょい悪親父系だったからかもしれない。
そういえば、僕が大学生の頃にT治叔父の家に遊びに行くと、一晩中お酒を飲まされ続け、へべれけになって倒れたあとに、
「まだまだ一人前じゃないな。」
と言われたものである。
僕がお酒が強くなったのは、T治叔父のせいだと思われる(なんてことはないが)。
慕っていた人が、この世を去る。
これほど悲しいことはない。
それは親族に限らず、人生の中で出会った人々にも言えること。
そして、いずれ自分もこの世を去る日が来るのだろうが、できることなら少しでも満足してこの世を去りたいものだ。
さて、一通りの儀式を終え、会食のための会場へ。
K三叔父の挨拶から始まる。
「妻M子はとにかく賑やかなことが好きな人でしたから、今日一日楽しく笑いながら妻M子の思い出話に花を咲かせてやってください。」
と。
そう、M子叔母は決して前には出てこないが、いつも男連中を盛り上げる人であった。
息子たちにはもちろんだが、その友人などはみんなM子叔母を慕って多くの人々が出入りしていたように思う。
K三叔父が参加者全員の紹介を始める。
M子叔母との関係を少しずつだが紹介する。
上の写真で立っているのは何を隠そう、しばっちである(モザイクを強くしてください、との要望があったとか、笑)。
食事は懐石料理風。
秋らしい食事が次々とテーブルを飾る。
M子叔母は秋の空のどこかで、満足しているに違いない。
みんな笑顔で楽しく暮らしているよ。
2010年10月03日
M子叔母の一周忌前夜
天気の良かった日中だが、夜は雲も広がり、帰宅時は雨。
傘を持っていなく、多少濡れたが、そうひどくはならずに帰宅。
もちろん日曜日は僕も忙しくはあったが、何とか乗り越えることができた。
4日前の9月29日から4連休で、前半の二日間は天気も悪かったのでグダグダと生活。
そして、後半の二日間は叔母の一周忌で茨城へと行くことに。
本来なら当日の朝でもいいのだが、茨城の叔父・叔母には若い頃から家族同然でお世話になっていたことと、その息子(僕にとってはいとこ)のうちの一人が当日でなければ帰省できないので、その代役も引き受けることに一役買ったわけだ。
K三叔父の住む茨城県は大甕駅というところで降りるのだが、この駅名日本でも有数の難しい漢字を使っている(読めないよ、普通は)。
大甕→おおみか
と読むのだ。
夕方5時に僕が到着し、全員集合。
とはいえ、主のK三叔父とその長男Y志、数日前から滞在しているT夫叔父(K三叔父のすぐ下の弟)と僕の4人である。
なんと男の園ってやつ(爆)。
色気のない屋根の下である。
ここ数日は年老いた叔父2人で生活していたので、ちょっと心配だったから、数回電話を入れてあげていた。
「2人で何食べてるの?」
「ちゃんと健康的に生活しているの?」
と。
本当はもう一人のY久叔父(末っ子)も来る予定だったが、体調を崩していて、今回はキャンセルすることになったのだが、それにしても80を超えた叔父がひとりで北海道から茨城に来るんだから大したもんだ。
ちなみにK三叔父は三男で86歳、T夫叔父は四男で84歳である。
この二人、普通のおぢさんではない(と僕は思っている)。
今日は外で食事を~♪
ということで、近所のお店だが、どうも最近K三叔父はこのお店を気に入ってるようだ(笑)。
まだ夕方6時にもなっていない時間だから、店内にはお客さんが入っていない。
近所にこんなお店があったなんて、僕も知らなかったが・・・それもそのはず。
まだM子叔母が生きていたときには、わざわざお店に来なくても満足できるだけお酒を飲ませてもらっていたからね(がははは)。
さ~て、まずは乾杯からだ。
ちょ、ちょ、ちょっと待って~。
とカメラの準備をしていたら、
「お前もカメラ好きだなぁ~。」
だって(っぷ)。
ということで、男4人でかんぱぁ~い。
僕以外は3人とも焼酎派なのだが、僕に付き合ってK三叔父は最初だけビールを~。
それにしてもこの叔父たち、奥さんを亡くしたのをいいことに(うるさいのがいない、とか言って)飲むんだわぁ~。
ちなみにT夫叔父の奥さんは6年前に他界している。
こっちの方が心配だよ。
K三叔父は去年乖離性動脈瘤で入院しているし、T夫叔父は癌の宣告も受けている(今すぐどうのこうのってことはないらしいが)。
まぁ、食事をしに来たんだけど(はて?)、男4人じゃ食事どころではない。
お刺身~♪
この方がしばっち家三男坊のK三叔父(86歳)である。
僕の亡き父(しばっち家次男坊)のすぐ下の弟に当たる。
多分一番優しいが、頑固者としても一番かも。
白エビの天ぷら~♪
この凛屋さん、比較的魚介類系がおいしいようだ。
この方がしばっち家四男坊(84歳)のT夫叔父である。
叔父の中では一番照れ屋で静かな人でもある。
しかも、今まであまり知らなかったが、好き嫌いも激しいようで生野菜系はほとんど口にしないし、魚類も見たことのない物は口にしない。
本人曰く、食わず嫌いだとは思うが・・・って(笑)。
僕の自慢はこの叔父たちを含め、しばっち家の血統には禿げている人がいないことと腰の曲がっている人がいないこと。
歩くのも僕より早いかも。
ちょっとだけ安心しているんだけどね(叔父たちのことも僕自身も)。
このお店でもホヤの塩辛~♪
いやいや、アップできない写真には焼き魚や何とか豆腐餅みたいなものやら、酒の肴が所狭しと並んでいるのだが、
食事どころではない。
飲むわ、飲むわ!
写真を撮るのを忘れたものもいっぱいある(涙)。
あっという間にボトルも空に。
いい加減にしないと止まらなくなるので、この後は家に戻って飲み直すことになる(笑)。
2010年10月02日
串善にて
連休4日目も今日でおしまい。
とはいえ、昨日・今日(メインは今日)でM子叔母の法要だったので、ブログは前もって作成しておいた記事になってしまうが・・・。
実は明日は恐怖の日曜日(笑)なので、帰宅してからブログを描くのは困難と思い、あらかじめ作ることにしておいたわけ。
乏しい内容のものしかないんだけどね(とほほほ)。
この夏、あまりの暑さについつい飲み過ぎたビール。
最近では家で飲むのが主流だが、つい数年前までは家で飲むなんてことはほとんどなかった。
何となくおいしくなかったわけで。
外で飲むと飲みすぎるほどに飲むのも昔の話。
それにしても今年の夏はよく飲んだように思う(アル中になりませんように)。
ビール業界さんに一役買っていると思うよ、かなり。
職場を出て数分で駅に着くのだが、やはり駅前には多くの居酒屋があり、ついつい暖簾をくぐってしまうこと数回。
ここは駅から徒歩2分程度の串善さん。
提灯に誘われて~。
この夏も数回お世話になっている。
で、メニューの中心は串焼きってことになるんだけど、メニューを覗きこんで、
「おっ。」
と感動したのが、
ホヤの塩辛~♪
最近ではなかなかホヤを口にしていなかった気がする。
昔は岩手県出身のスタッフが帰省した際にお土産はホヤにして~、と何度もねだったことがある(いや、もちろんこちらからの要求だから料金は支払うわけで、笑)。
よく、ホヤを好きな奴は飲兵衛だというのも聞かされていたから、僕はやっぱり飲兵衛だと自覚している(納得済み)。
あれって独特な匂いや味がするので、嫌いな人も多いけど、僕は飲兵衛(強調)だからその匂いや味がたまらなく恋しくなるときがあるわけ。
本当はホヤ酢の方が好きなんだよ。
でも、新鮮でおいしいホヤ酢は関東ではなかなか口にできない。
これはウズラのベーコン巻。
ウズラの卵もおいしいのだが、何といってもその横に並んでいる緑色の物体。
串善さんの料理ではよく使われる。
このソースはバジルソース。
風味がいいんだよね。
他の串焼きなどを頼んでも、一緒に出てくる。
和食なのにちょっとイタリアンな気分を味わえるのも楽しい・・・かな。
夏野菜の代表のひとつ、ナス!
これは揚げだし豆腐のような料理。
夏に食べるナスは風情があるが、最近のナスは品種改良されていて、グチャグチャした食感を味わうことはほとんどなくなっている。
そういえば、昔・・・子供の頃、母親が作るナスの味噌汁が飲めなくて、泣いたことがあったっけ。
あの頃はナス嫌いだった僕も、今じゃ好物の一つ。
大人になったんだなぁ~(って、こんなところで自覚するなっちゅうの)。
焼鳥もおいしい。
最も好きなのはレバーかな。
しかもここはかなり半ナマ状態で、これがまたおいしいわけよ。
どうも僕は人様があまり口にしないような料理を好むようで・・・。
その内、見たこともないようなものでも咥えている写真がアップされるかもよ。
・・・んなことはない(とも言い切れない)。
どこの居酒屋に行っても、どこの串焼き屋に行っても、よく頼むのがポテトフライ。
もちろん、おいしいかどうかは初来店で決まるんだけど。
で、このブログをお読みの方(いるかなぁ?)にちょっと質問・・・。
多くのお店でポテトフライを頼むとケチャップが付いてくるんだけど、ポテトフライにはやっぱりケチャップは必要???
僕は必要としない派なんだけどね。
まぁ、せいぜいポテトフライが冷めてしまったときに先っちょにちょっとだけ付けることもあるが。
なければなくてOK。
当然この日もケチャップはそのままでお帰りになりましたぁ~。
という話。
ちゃんちゃん。