2011年03月

2011年03月21日

堺町通りを歩く







堺町通りを歩く

(2011年2月7日~9日 冬の北海道、写真で綴る一人旅)



 小樽の街を歩いているうちにさっきまで降っていた雪が止み、青空が広がって来ていた。

 この天気が続いてくれればいいのに・・・、との思いはそれほど長く続いたわけではない。

 堺町通り・・・。

 もちろん僕が高校生の頃はこの通りで遊んだ記憶もないし、これだけ栄えていたわけではないと思う。

 いつの時代から変わっていったのだろう。






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【レンガ造りの建物】






 堺町通りの多くの建物は観光土産物屋のように思われる。

 北海道で手にしたい有名なお土産がここで充分手に入るだろう。

 もちろんレストランや居酒屋なども多く並んでいるようだ。







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【グラスアートスタジオ 彫蔵】






 そして驚くのはやはり建物なのだが、新しい建造物が並んでいるわけではない。

 もともと建っていたレンガや石の蔵をリニューアルしているのがわかる。

 こんなに多くの蔵がこの通りにあったなんて・・・。

 もちろん僕は目の保養だけで通り過ぎていくわけだが・・・、

 彫蔵というお店はオリジナルのアクセサリーやキーホルダーなどを作成してくれるようだ。






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【不老館】






 不老館・・・、この名前からくるイメージは・・・?

 やっぱり薬屋さん!

 かな。

 『七日食べたら鏡をごらん?』というキャッチで有名らしいが。

 実はこのお店、

 昆布専門店なんだって(驚)。






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【オルゴール堂 海鳴楼】






 小樽もある時期からオルゴールでも有名になっていった。

 街のあちらこちらにオルゴール専門店を見かける。

 僕はそれほどオルゴールに興味があるわけではないので、中を覗くようなことはなかったが、こういったオルゴールもレトロ感があってちょっと楽しいのかな。






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【イタリアン珈琲 欧璃葡】






 ちょっと気になるお店・・・、欧璃葡

 欧璃葡と書いてオリーブか・・・。 

 やっぱりイタリアンに目がないな(笑)。

 とはいえ、小樽にいるのだから・・・と思うと、今回は中に入る気にはなれず。

 それにしてもここの雪だるま、ちょっとかわいいね。






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【雪だるまもマフラーをするだけでかわいい】






 そそ、ここのお店に限らず、堺町通りのそれぞれのお店の前にはお店独特の雪だるまが出迎えてくれている。

 上にアップされた写真にも小さいながらも雪だるまが見えるよ。

 まだまだ堺町通りは続く~。






3月21日の日記

 久し振りに降る冷たい雨。

 今日は春分の日だが、まだまだ春は遠いのか。

 祝日でも僕は仕事だが、途中駅の新宿は休日のにぎわいはほとんどない。

 平日でさえ照明は3分の1程度は消されているから駅内は薄暗い。

 もちろん駅ビルの店舗の多くは平日休業だが、休日は稼ぎ時でもあるから日中は店内を薄暗くして営業をしている。

 仕事を終えた夜は人の行き来も通常の数分の1だろう。

 人々でごった返す駅内がすっからかんなのだ。

 ここは本当に新宿なのだろうか、とさえ思ってしまうほどだ。

 午後10時の電車だって立っている人はほとんどいない。

 こういうご時世だから外出も控えているのだろう。

 もしくは早めに帰宅ってところか。



 こういう日が続いたら東京はどうなってしまうのか。

 不安がよぎる。

 お金の動かない東京が元気を取り戻すのはいつになるのだろう。

 一刻も早く福島原発の復旧を願わずにはいられない。

 





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2011年03月20日

雪だるまの住む町







雪だるまの住む町

(2011年2月7日~9日 冬の北海道、写真で綴る一人旅)



 日中の寿司屋通りはさすがに人通りは少ない。

 夜になるとほろ酔い気分の人たちが暖簾をくぐっている姿を目にするのかもしれないが。

 運河に通じる川の横を歩いていると何やら怪しい物体が見えた(笑)。






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【雪だるま?それとも・・・】






 大人の身長ほどの大きさの雪だるま。

 あ、ちっとも怪しい物体じゃない・・・ね。

 あまりにも立派な作品でびっくり。

 こんな大きな雪だるまが居座っていれば、誰でも立ち止まってしまう。






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【やっぱりアンパンマンかな】






 こんな大きな鼻をつけたら、やっぱり普通の雪だるまじゃないね。

 どこから見てもアンパンマンだ。

 それにしても体重何キロのアンパンマンだろう。



 そして、その斜向かいにあるのが、ちょっと気になるショップ。






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【0785】






 数字だけの名前のショップ。

 アクセサリー専門のお店のようだ。

 しかもアイヌをイメージした・・・。

 中に入ることはなかったが、外から覗くと結構楽しいものが飾られていた。






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【マフラーがかわいい】






 寿司屋通りを運河の方面に向かって歩いていくと、堺町という地域になるが、そこにあるのが小樽浪漫館

 この建物は新しく見えるが、北海道の経済がまだ小樽を中心として動いていた時代の歴史的建造物として残され、活用されている。

 ここは1900年代初期銀行だったようだが、今は何になってるのか・・・中を覗かなかったのでわからないのだが。






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【小樽浪漫館】






 手前の通りが寿司屋通り

 交差点を直進すると小樽運河に通じ、交差点を右折すると堺町通りと呼ばれる通りになるのだが、人の流れは右に向かっているように見える。

 僕は小樽に住んでいながら、堺町通りという通りを歩いた記憶がない。

 ちょっと駅からも離れていたし、正直言ってその通りの存在さえ知らなかった。

 その交差点にある小樽浪漫館の前にドド~ンと大きな雪だるまが並んでいるのを見つけ、ちょっとそばまで行ってみることにした。






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【雪だるまがお出迎え】






 うわ~、かなり立派な雪だるまだ。

 思わず雪だるまに見とれ、写真を写す。

 さっきまで強く降っていた雪もちょっと小降りになって、青空が見える。

 交差点にも何体も雪だるまが並んでいる。






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【大きすぎる】






 昔は通りに雪だるまなどがあったら邪魔者扱いにされていたことだろう。

 ところが小樽の町のあらゆるところに雪だるまが並んでいるのを見て、無造作に飾られたきらびやかなものよりも目に優しい気がする。

 雪国ならではだ。






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【まるで雪だるまの住む町】






 多くの場所で子供が作ったものとは思えない雪だるまがあるのを見て、今、観光の町として雪だるまをアピールしているのかもしれない。

 小樽の人口は減少しつつあるが、冬になると雪だるまが人口を上回ってしまうのも遠い未来のことではないかもしれないな(笑)。







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2011年03月19日

オロロンライン、そして寿司屋通り







オロロンライン、そして寿司屋通り

(2011年2月7日~9日 冬の北海道、写真で綴る一人旅)



 公園通り(ウメヤスポーツ店のある通り)を進んでいくとオロロンラインにぶつかる。

 オロロンラインというのは昔からあった名前ではない(と思うのだが)。

 一般的には国道5号線だ。

 そのオロロンラインを右に曲がって少し駅方面に向かうと、






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【北一硝子花園店】






 北一硝子がある。

 小樽の復興を担ったガラス細工のお店だ。

 まだまだ小樽運河が再築される前にブームになっていったお店である。






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【北一硝子を過ぎて】






 北一硝子はもともと北海道の人間が始めたものではないと聞いたことがある。

 北海道でレトロな街を探しているうちに函館小樽を候補に挙げ、最終的には小樽を選んだ北一硝子の当初のスタッフは四国の人だと聞いている。

 今では小樽の顔の一つでもある。






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【歩道橋の上から】






 観光シーズンになるとこの通りも観光客で溢れるのだろう。

 緩やかな坂道が続く。

 またこの先には市の大きな公園や市役所などもあるが、そちらの方には足を運んでいない。

 しばらく歩道橋の上から小樽の街を眺め、再び花園銀座の方向に歩いてみることにした。

 ちょうど花園銀座と交差している道路は寿司屋通りと呼ばれ、多くの寿司屋さんが並んでいる。

 もちろん僕が高校生の頃はそういう名前が付いていたわけではない(と思う)。






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【ほとんどが有名な寿司屋さん】






 そういえば、同窓会は小樽でも最もお勧めのお寿司屋さん(まさ)寿司で行うのが恒例。

 最近は店舗も拡大して運河沿いにもあるが、いつもこの寿司屋通りにある政寿司でお世話になっている。






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【左の4階建てのビルが政寿司】






 そ、そ!

 いつもこのお店で同窓会だったな。

 またそのうちお世話になることだろう。

 この寿司屋通りは道路を挟んで両面に寿司屋が並んでいる。

 また寿司屋通りに平行に流れている川は運河へと通じる。






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【運河へと通じる】






 この川の右が寿司屋通りだが、左の建物の多くも寿司屋さんなのだ。

 小樽に来たらお寿司!

 これは誰もが口にする言葉。

 本当に小樽のお寿司はおいしいよ(アピールしなきゃね)。

 ぜひこれから小樽に旅行する方は寿司屋通りもチェックしておいてくださいね。





 


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2011年03月18日

花銀を歩く







花銀を歩く

(2011年2月7日~9日 冬の北海道、写真で綴る一人旅)



 アーケードを通り抜けると一面が銀世界。

 これが本当の小樽の冬景色である。

 その先は緩やかな上り坂の商店街があるが、ここも高校時代によくお世話になった(笑)通りである。






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【花銀】






 花銀と書かれたアーチ・・・、これももちろん昔からあったものではないが、本当の名前は花園銀座

 それにしてもこんなに狭い通りだったっけ?

 何だか昔との落差を思い知らされる。






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【アーチをくぐり、振り返って一枚写真を撮ってみた】






 さっき歩いてきたアーケードって、サンモール一番街っていう名前なんだぁ~?

 昔からそういう名前だったかな。

 う~ん、聞いたことがあるような、ないような・・・。



 花銀をゆっくりと歩いてみる・・・。






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【鮮魚のお土産屋さん、かな】






 お店の前には雪でディスプレイされたものが・・・。

 カラースプレーでゆきあかりと書かれ、その上には何やらあやしい物体が(笑)。






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【鮭も飾られている】






 実はこの花銀って昼よりも夜の方が賑わう通り。

 高校時代にお世話になった・・・っていうのは、夜ってことではない(笑)。

 一番お世話になったのは、この通りにあったレコード屋さん。

 たしか玉光堂っていう名前のレコード屋さんだったと思うんだけど・・・。

 それも見当たらない(というか、時代が時代だもんね)。

 それから高校時代の友人の父親が経営していたカメラ屋さん。

 それも見当たらない。

 あっ!






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【小樽では老舗の花園だんごの新倉屋さん】






 新倉屋さんだ!

 ここお団子は昔から有名。

 昔からここに店舗があったかどうかは記憶にないのだが(あんまり興味がなかったからね)、それでも何故か嬉しくなってくる。

 そして、この花園銀座の路地に入ると、多くの夜の店があり、当時は狭い道にわんさかと人々が酔い惑っていたのだ。

 若い頃は帰省するたびに高校時代の仲間たちとよく飲み歩いた思い出の場所でもある(笑)。






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【夜は灯りがともる】






 この時期の小樽雪あかりの路のイベントで、いろんなところに雪灯籠が飾られている。

 夜はやわらかい灯りが町を包むのかもしれない。






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【今も健在、ウメヤさん】






 花園銀座を右に折れ、歩いていくと、ちょっと新しい建物のショップが・・・。

 ここはウメヤさん!

 ここもかなりお世話になったお店。

 スポーツショップ!

 中学時代、高校時代と、バドミントンに汗を流していた時代、その用品のほとんどはウメヤさんで購入していた。

 ラケットのガットの張り方などもここのお兄さんに教えてもらったっけ。

 懐かしい!!!






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【路地に入ると道路は真っ白】
 





 北海道の冬は厳しい。

 この辺りに来ると再び雪が降り出し、風も舞っている。

 空を見上げると、舞う雪の向こうに太陽が見えるのだが、この日の天気は短い周期で雪が降ったり止んだりの忙しい天気。

 ちょうどこの辺りを歩いているときは、冷たい風と雪がピークだったかもしれない。






3月18日(金)の日記

 東北で起きた大地震から今日で一週間。

 一週間前のお昼までは誰もが笑顔で仕事をしていたり、勉強していたり、僕のようにのんびりと休日を楽しんでいた(一週間前の今日は温泉にいた)はずだ。

 それが14時46分を境に天地が引っくり返るなんてこと、誰も予想だにしていなかったことだろう。

 立っていられないほどの大きな揺れ、そしてその後に起きた大津波。

 町は一瞬にして地獄絵と化していった。



 東北に比べたら関東は大きな被害がなかったものの、その後の原発事故で交通マヒ、食料の買い占め、政府の指示の計画停電などなど、これからまだまだ問題は山積みになっているはずだ。

 ここ2~3日、僕は退社時間がいつもより30分ほど早いのだが、地下鉄もJRも人がほとんどいない状態である。

 時間は21時・・・。

 新宿駅の21時といえば、帰宅ラッシュがまだまだ続いている時間である。

 仕事で帰る人々・・・、

 遊んで帰る人々・・・、

 すれ違う人と肩をぶつけるなんて日常茶飯事なのに、通路はすっからかん。

 もちろん計画停電の影響でJRは運行を減少しているのに、電車の中もすっからかん。

 あのぎゅうぎゅう詰めの帰宅ラッシュはどうなってしまったのか。



 知人に連絡をすると、

「凄いよ(電車の中)。」

の答え。

 僕とは違う時間帯、つまり夕方辺りは凄いラッシュだというのだ。

 多くの企業は計画停電の節電に伴って、帰宅時間もさらに早めているのだろう。



 いつもより30分早く退社するのはいいが、電車の本数がかなり少なくなっているので、乗り継ぎに時間がかかる。

 結局家に着くのはいつもと変わらないのだ。

 まだまだこの状態はしばらく続くんだろうな。







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2011年03月17日

再び小樽







再び小樽

(2011年2月7日~9日 冬の北海道、写真で綴る一人旅)



 小樽都通りは、ある時期からセントラルタウンと呼ばれるようになったが、通りのあちらこちらに都通りのロゴがあって、根強く昔の名前が残っている。

 そちらのほうがやっぱり親近感があるのだと思う。

 都通りの先はそれほど人通りの多い通りではない。

 むしろ繁華街としてはアーケードの延長戦よりも一本ずれた道の方が人通りは多い。

 これは昔、大きな店舗やデパートなどがあったせいだが、その通りもいつの間にかアーケードになっていた。

 もちろん僕が高校生の頃はアーケードではなかったのだが。






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【都通りよりも広い】






 この通りも昔は大勢の人で賑わっていて、ときには歩くのも嫌になるほどだったこともある。

 それはデパートやファーストショップ的なものがあったからだが、やはりこの通りもこの日は思った以上に人は少ない気がする。

 ぶらぶらと歩いていると、観光客らしき女性が僕の横で写真を撮っていたので、

「写してあげましょうか?」

と尋ねると間をおいて、

「あ、お願いします。」



 もちろん彼女の方からも、写しましょうかと言われたが丁重にお断りし、その場を離れることに。

 お互いに興味を持ったのは通りの路地にある・・・、






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【レンガ横丁】






 レンガ横丁という屋台村のような短い通り。

 あ~、夜だったらヨロヨロっと立ち寄ってしまいそうな空間である。






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【時代劇のセットのように感じる】






 こういう雰囲気、いいね~。

 もちろん居酒屋さんはあるようだが、奥にはラーメン屋さんなども。

 今は昼だからこの通りを行き来している人は観光客程度だが、夜になると地元の人もけっこう出向くんじゃないかな。

 昔・・・?

 もちろんレンガ横丁なんてなかったよ(どうなっていたか記憶がない)。






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【高校時代はお世話になりました】






 おっ。

 まだまだ健在だ。

 ヨシヤさんは衣料品屋さん。

 今で言うとユニクロ感覚のお店。

 リーズナブルで僕も何度かお世話になったことがある。

 まさか今の時代まで現役で頑張っているなんて・・・ちょっと感激。

 この通りのほとんどは見たことのない店だったので、昔から続いている店を見つけただけでも感激してしまう僕なのである。



 あれっ?

 この通りの角にある店は、以前は・・・レコード屋さんだったはずだが。






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【あざらしがお出迎え】






 ここのお店はレコード屋さん(記憶が正しければ)だったはずだが、居酒屋に変身している。

 しかも結構マニアックな感じだ(笑)。

 そして、店の前にはこのあざらしと、






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【ガラス玉】






 港町らしく、ガラス玉をディスプレイされ、ちょっと僕としては興味のあるお店でもあった。

 時間があったら一度は来店してみたいな。






3月17日(木)の日記

 まだまだ小さな地震の続く関東。

 そして、大変な被害を出した東北地方の想像を絶する映像が流れるたびに、心が痛む。

 大津波に飲み込まれた町はあっという間に瓦礫の山に。

 長い年月を費やして作られてきた町がこの大津波に一瞬のうちに飲み込まれるなんて、自然の営みというのは凄いものだと思い知らされる。

 僕の住む町は未だに揺れはするが、見た目は普段と変わらない景色。

 普通、普段・・・それが一番幸せなことなのかもしれない。

 地震が起きて改めてそう思う。



 まだまだ震災地は復興どころではない。

 大きな問題は山積みだろう。

 人々の命を救うべく動く人々、まだまだ諦めきれないのは現地にいる人だけではないはず。

 まだ可能性がないわけではない。

 一人でも多くの人が助かることを祈るしかない。







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2011年03月16日

東日本で大地震―5







 冷たい西風が憎たらしいほど強く吹いていた今日、関東でさえ真冬並みの気温だったのだから、東北は本当に厳しいのだろうな。

 だんだんと地震や津波が憎たらしくなってきた。

 どこまで苦しめればいいのか・・・。



 夕べも地震が・・・。

 震源地は静岡県

 東北で大地震があってから、震源地を移しながら地震は続いている。

 それは新潟県や長野県だったり、茨城県や千葉県だったり・・・。

 地球の一角でプレートがゆがんで、そのエネルギーを放出しながら平静を保とうとしているのかもしれないけれど。

 日本は大きなプレートが4つも入り組んだ島国である。

 そのプレートがうまく組み合えば各地の地震も治まるのかもしれないが、もしかしたらまだまだ組み合えずにいるのかも。

 もちろん今日も身体に感じる地震は何回も・・・。

 お昼の地震は大きかったし、夜はお風呂に入っていたらグラグラと・・・。

 裸で逃げるのだけはまっぴらだ。

 こんなことはかつて経験したことはない。



 あれ以来、目には見えないが日本はパニックになっているのは言うまでもない。

 関東は東北に比べたら地震の被害は少ないが、その後多くの問題が出てきている。



 福島原発・・・。

 放射能の数値を発表されてもピンとこない。

 現場から3kmだとか10kmだとか、30kmだとか避難を指示されているが、関東近県でも放射能が測定されている。

 人体に悪影響がないと言われても、それは素人の我々にはどう理解すればいいのかわからない。

 1.0マイクロシーベルトなどと言われたって、何が何だか。

 よく被ばくという言葉を聞くが、どのような単位になったら被ばくするのか。

 新宿だって放射能が測定されている。

 それは人体に影響がないかもしれないが、事実、福島の原発の影響だとしたら非難する数値ではないのかどうか。

 政府の上層部、専門家だけが理解していて、僕のような人間は何が何だかわからないでいるわけだ。

 冷静な行動をお願いします、と呼び掛ける気持ちはわかるが、意味がわからないことが多いから不安を煽り、パニックに陥るのではないだろうか。

 今日も爆発のニュースを目にする。

 北風・・・放射能がその風に乗って関東方面に流れているってことはないのか。

 もっと具体的に伝えてほしいものだ。



 計画停電・・・。

 これも悲しいかな、パニックに陥る要因のひとつだった。

 その無計画計画停電のためにJRや私鉄各社に混乱を招いた。

 ある私鉄には2~3割の自粛を、ある私鉄にはご協力を、またある私鉄には節電を・・・と、漠然と連絡をしただけ(新聞で読んだ)で、それを受け止めたところは短時間の中で決断をしなければならず、統一されない状態で運休を始めたのだという。

 一方的な計画停電を実施すると言われてから、多くの企業は節電をしていると思う。

 僕の職場も電気は通常の5分の1程度(いや10分の1ぐらいかも)。

 もちろん営業もできる状態ではない。

 それでも一方的な政府のやり方に反発はできないからね。

 で、蓋を開けてみれば実施はしていないのが現実(ごく一部だけ)。

 需要と供給のバランスが取れているから実施しないとか・・・、そういうのはよくない。

 みんな覚悟を決めて目をつぶっているのに。

 言ってることとやってることに矛盾があり過ぎる。



 各市町村もそんなものだろう。

 市民は何が何だかわからないけど、停電になるかもしれない(それだけが理由ではないだろうが)ことから食材を買いだめしたり、生活用品をまとめ買いしてしまう始末。

 僕が出向いたディスカウントストアで耳にした母子の声。

「お母さん、何を買えばいいの?」

と離れたところから叫び声が聞こえる。

 たまたま僕のそばにいた母親は、

「何でもいいから、食べるものをかごに入れて~。」

と大声で叫んでいる。



 あ、あ、あのね~。

 ここのディスカウントストアにはパンもおかずになるようなものもご飯も全て売り切れていて、僕の目から見えるのはせいぜい数点のお菓子ぐらい。

 それをかごに詰め込む女の子。

 そんなにお菓子を詰め込んでどうするの?

 何かがおかしい(って気がしたよ)。



 枝野官房長官の言葉で、国民に燃料を買いだめしないように呼びかけたが、これだって不安を煽る言葉である。

 あるんでしょ?枝野さん!

 ストックが!枝野さん!

 被災者に運ぶ食料は充分確保したって言ってたけど。



 当然、枝野さんの言葉を信じていくしかない(けど信じられないわけだ)。

 現実問題、ストックがあってもその輸送手段まで考えて発表した言葉とは思ってないが・・・。

 どこにストックがあるのかわからないけど、現地に持って行けないのが現実ではないのかな。

 そういうことまでしっかり国民に言ってくれないから、みんな混乱するんだよ。

 入荷するなり、現地に持っていくなり、そういうことまできちんと説明しようよ。

 政府で食料をキープしたって宝の持ち腐れ。

 被災地に運べてなんぼ、でしょ。

 できないなら、できない・・・と。

 頑張っているのは政府ではない。

 口先の政府ではなく、汗水垂らして運ぼうと努力している人々なんじゃないかな。



 消費者が食料や燃料を買いだめするか、しないかではない。

 お店やガソリンスタンドで抑制すればいいのだ。

 政府はお店やガソリンスタンドに向けて言わなきゃだめなんじゃないの?



 被災地のことを考えてみたことある?

 おにぎり1個、パン1個の供給で飢えを凌いでいるところもあるんだよ。

 お店側が何でもかんでも売るからいけないんだ。

 被災地の人々と同じような気持ちになれば、みんなも買いだめをしないはず。

 直接地震の被害のあった地域と同じ気持ちになり、みんなで共有しなければ、明日はどうするの???

 こんな日本でいいのだろうか。







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2011年03月15日

東日本で大地震―4







 中国に帰国しているG君からメールが届く。

「日本が大変なことになっているのを知りました。

 先生!(彼は僕をこう呼ぶ)

 大丈夫ですか?

 みんなは元気ですか?

 僕は21日に日本に戻りますが、必要ならボランティアに行くつもりです。

 四川の地震のときも、僕はボランティアででかけ、多くの日本人にも助けられました。

 それまで気をつけて生活していてください。」



 中国でも日本の地震は大きく取り上げられているようだ。



 また札幌に住む従弟のM人から電話が入る。

「そっちはどうなってる?」

「相変わらず小さな揺れが続いてるけど、大丈夫。ただ、JRが止まったりしているし、これから計画停電っていうことで地域ごとに時間を区切って停電になるかもしれない。」

「食べ物がないって本当か?」

「いや、そういうわけじゃない。」

 スーパーやディスカウントショップ、ホームセンターの食料品売り場の棚にないのは事実だ。

 ただ僕は1~2週間分の食べ物はあるから・・・、と伝えると、

「遠慮しないで、足りなくなるようだったら連絡してくれよな。送るから。」

 嬉しい言葉だ。

 っていうか、いつ届くか・・・(笑)。

「本当に苦しくなったら言うから。」



 今はみんなパニックになりつつある(ような気がする)。

 特にミネラルウォーターなどは確保しておいた方がいいかなって思ってるんだけど、近所のお店には全くないのだ。

 更に必要と思われたものは乾電池

 ところがこれも全くの品切れ

 あああ、この間、買っておけばよかったぁぁあああ。

 我が家にはロウソクも・・・、あっ、あるある。

 そういえばアロマのロウソクが・・・、とテーブルの上に準備しておく。

 それからアウトドア用の懐中電灯、いざとなったらランタンもある。



 計画停電・・・。

 これは地域別に3時間程度の停電が回ってくるのだが、それも地域によっては予告なしってどういうこと?

 計画停電というのは上層部だけの言葉であって、むしろ無計画停電っていうほうが正しいんじゃないかい???

 コンビニでは停電に備えてアイスクリームのボックスにはシートがかけられている。

 その時間に合わせて営業を中止したところもあるという。

 それなのに停電が実行されていないというのはどういうことなのか。



 もちろんJRなどの電車も一部運休。

 仕事に行きたくたって、こうなるとどうしようもない。

 多くの人々は車に切り替えるだろう。

 当然道路はパニック状態になる。

 それに伴ってガソリンを入れなければ、という気持ちは出てくる。

 町のガソリンスタンドだってガソリンは売り切れ状態。

 そこでもパニック。



 国民に計画停電を呼びかけたことは正しいのか。

 これこそ無計画だと思う。



 まず呼びかけるのは、

 計画停電が行われないために、個人個人で電気を一部止めることを努力してほしいと呼び掛けることが必要ではなかったのだろうか。

 それでも電気の消費量が減らない地域は地域ごとに計画停電を行うと言った方がいいのではないだろうか。

 そういう統計はすぐに集計できるだろう。

 その地域がそうなれば不安や不便を生じるわけで、そうなってほしくないと思うのが当然なのだ。

 そこでは自治体が街全体に協力してほしいと放送していけばいいのだ。

 それでも消費量が減らないのなら、実施に踏み込めばいいのだ。

 それは国民が省エネ無関心である現れなのだから、実施されてもいたしかたない。



 少なくても僕の見た町の中では貼り紙をして省エネ状態にしているお店が多かった。

 商品棚の電気を消す、看板を消す、事務所の電気を一部消す・・・などの努力をしている企業や商店もあった。

 もちろん僕だってエアコンを消して、洋服を多めに着用していた。

 国民にパニックを煽る方法しか考えられない今の政府のやり方はどうしても許せない。



 話はずれるが大地震が発生してから何度も地震速報や警報ベルがなる(これはテレビ以外に携帯電話、町内からも)。

 昨日はテレビのテロップには長野県が震源地と文字が流れるのだが、その数分後に震源地は茨城県沖になるのはどういうこと?

 1度や2度ではない。

 どっちが正しいの?

 どっちも正しいの?



 今朝方もグラッと揺れた関東。

 まだまだ予断を許されない状況である。







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2011年03月14日

東日本で大地震―3







 地震発生から3日目

 こちら関東でも交通機関を中心にまだまだ支障をきたしてはいるが、東北地方のそれと比べたら雲泥の差だ。

 僕はお昼から職場に足を運んだが、午前中にも電車が止まってしまうというアクシデントのため遅刻しての出勤だった。

 もちろん職場は営業していない。

 多くの電話に対応しているだけだ。



 今日一日、僕は3度も涙が溢れた。


 ひとつはブログ仲間の北さんという方の生存が確認できたこと(大袈裟なことではないと思っている)。

 東北地方では亡くなった方、行方不明の方・・・そして安否の確認ができない方を合わせると軽く二万人を超えると言われていて、その多くは津波に飲み込まれた方だろうと思われる。

 海辺のそばに住んだばかりに、運命は別れるのだろうが、北さんもよく海辺に足を運んでいる方だったので、悪いことばかりを考えていた。

 コメントを残し、返事を待っていても、なければ安否がわからない。

 しかしよく考えると、どこかに避難しているかもしれないし、停電のためにパソコンだって動かすことができなかったり、そばにない可能性もある。

 関東に住む自分でさえ虚脱感に襲われ、パソコンなどいじくる気持ちも失せた時間があった。

 長い時間だったが、それでもブログがアップされ、元気いっぱいの文章に涙、涙。

 よかったぁあああ

 本当によかった(安堵感でいっぱいだ)。

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 二つ目は茨城に住む叔父と電話で話ができたこと。

 叔父からの話では、

 地震があったときに多くの小物が落ちるのと同時に仏壇が落ち、庭の石像などが倒れたけど、自分は大丈夫だということを息子に連絡しようとしたが、電話が通じない。

 ようやく連絡が取れたのが札幌に住む叔父の弟

 その後すぐに停電になり、固定電話は不通になる。

 みんなに連絡を取りたいのに、どうしようもなく、携帯ラヂオだけを頼りに一夜を過ごしたという。



 当の息子たちは当然、職場待機(JRも動いていない)だし、電話も通じない状態だから、どうしようもない。

 翌日、叔父を迎えに行った二男のM志常磐道は通行止めだし、当然常磐線も運休中だったので、やむなく一般道で・・・。

 しばらくしたら長男のY志から、無事合流の電話が入る。



「仏壇の下敷きになって死んでるんじゃないかって心配したんだよ。」

「ごめん、ごめん。大丈夫だからね。」

 夜、次男のM志からメールが来た。

難民救助、無事保護

だって(笑)。

 プッと笑いながら目もウルッとした瞬間である。



 三つ目は帰宅途中に寄ったスーパーでのこと。

 僕の中ではいつものように買い物をして帰宅するつもりで中に入り、まずは野菜コーナーへ行くといつもに比べて在庫が品薄状態に感じる。

 さらに刺身コーナーに行くと・・・、

 あららら、ない

 日曜の夜だからいつもほとんどないのだが、そんな状態ではない。

 すっからかんなのだ。

 冷凍食品でもいいか。

 そう思いながら、コーナーに行くと・・・、






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【本日の在庫】






 えええええ~。

 こんなこと、今までなかったような気がする。

 総菜お弁当ももちろんだが、ピザたまごも一つもない。

 いくらなんでも・・・、と

 肉コーナーに行ってみると・・・、






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【肉がないっ!】






 この貼り紙を見ているうちに、何だか目の奥が熱くなってきた。

 東北の地震、津波で、田畑は無残に襲われ、農作物は壊滅状態だろう。

 映像では見えないが、家畜だっていっぱいいたはずだし、関東に流通されるはずの生産工場だっていっぱいあったはずである。

 そこでも多くの人々が働いていたはずである。



 それらを失った今、こうやって当たり前のように口にしたものが手に入らないこと・・・。

 そして、何故かこの文字を目にしたとき、東北は今、本当に悲惨な状態になっているんだなって思いながら、

がんばれ!東北!!

と心の中で叫んでいる自分がいた。

 僕には応援することしかできないのだが。







shibacchi0821 at 23:57|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 「生活」編 

2011年03月13日

東日本で大地震―2







 昨日の地震から眠りが浅い。

 夜になっても揺れたり、近隣を救急車が走ったり、町内の非常を知らせる警報が鳴ったりで、一時間毎に目が覚める。

 とうとう朝方はあまりにも心配でテレビを点けて情報を得ることに。



 結局ほとんど睡眠を取らないままだったのだが、JRも動かず、仕事は休むことに。

 日中も報道番組に釘付け。



 急に空腹感を覚え、食事の準備をしてもよかったのだが気力もなく、近くのコンビニでおにぎりでも買って・・・と思って出かけてみると、

 おにぎりどころかカップラーメン弁当総菜も・・・菓子パンも全て売り切れ状態で陳列棚が空っぽ。

 これってまさしく地震の影響だろう。

 やっぱり非常食を買おうっていう気持ちになるもんなぁ。



 時間があったので、ブログ仲間に無事を伝えるためにコメントを残すことに。

 でも一番心配なのは岩手県や宮城県に住む仲間たちの安否。

 ブログが更新されてないだけでかなり心配。

 『無事だよ』

の一行だけでいいからアップしてほしい。

 今はそれを祈るしかない。



 人間って弱いね。

 自然の猛威には逃げるしかない。

 でも逃げるが勝ちってこともあるんだからね。

 命を大切に、だよ。

 みんな!

 寒くたって、おなかがすいたって、生きてるから感じること。

 頑張って!!!



 あ、僕の叔父・・・しっかり生きているって!

 実は東京に住む叔父の長男Y志から電話があり、昨日から茨城県日立市は停電が続いていたようで、そのためにこちらから電話をかけると呼び出し音は鳴るが、相手には通じていない状態だったようで。

 叔父の二男M志が迎えに行き、埼玉県まで乗せて移動中らしい。

 本当に心配したんだよ。

 明日お昼頃にお説教してやらなきゃ(笑)。



 それにしてもこうやってブログを書いているだけで、2回も3回もグラグラ揺れるし、サイレンは鳴るし・・・、今日も寝られないかもしれない。

 それ以上に東北地方にお住まいの皆さん、本当に無理しないでください。

 ブログを読んでいる暇はないかもしれないけれど、

 頑張って生き延びてください(これ以上のことは書けませんが)。







shibacchi0821 at 23:55|PermalinkComments(6)TrackBack(0) 「生活」編 

2011年03月12日

東日本で大地震







 マグニチュード8.8の大地震

 昨日は今年初の温泉(いつもいくところ)に行って、お風呂から上がり、4階の食事処でビールを一杯飲んだときに妙な違和感が。

 建物が小刻みに揺れているようだが、周りの人は気づいていない。

 長い・・・。

 おかしい・・・。

 地震か・・・?

 大きく揺れ出したのはそのあと。

 おばちゃんたちは悲鳴を上げる。

 大きく揺れ出して、止まる気配がない。

 一瞬、関東が震源地か、と思うほど揺れが激しかった。



 この先、自分がどのようにすればいいのかわからず、

 店員さんに、

「火の元は大丈夫ですか?」

と聞くことにした。



 店内のビール瓶やコップが落ちる。

「ドアは閉めてください。」

 自分も立ってはいられない。

 しゃがみこむ。



 断続的に大きな地震がくる。

 お風呂から出て食事処にきた利用者が、

「湯船が津波のようになってたよ。」

と笑ないながら入ってくる横で、テレビの映像は悲惨な状態を写していて、僕は笑いごとではない!と心の中で怒鳴っていた。



 本当の津波はそんなものではないのがテレビの映像で流れる。

 恐ろしい。

 東北地方はどうなってしまうのだ。



 携帯がつながらない

 職場、友人、知人、親戚・・・誰もつながらず時間が流れる。



 もう少し経てば、治まるだろう・・・、と思いつつ、館内に2時間ほどいたが、営業も早期で終了することから帰宅することに。

 ところがJRが終日運休の看板。

 こうなるとバスを乗り継ぐしかない。

 とにかく電話もつながらないから、これまた半パニックの状態だ。

 バス乗り場、タクシー乗り場には長蛇の列。

 それでも寒い中、小一時間待ってバスに乗り込み、隣駅まで。

 鮨詰め状態の車内である。

 そこからまた乗り換えることになるわけだが、あとでニュースを見て知ったのだが、この駅で待機している人数が暫定で1500人。

 どうにもならない。

 こうなったら歩くしかない。



 空は満天の星

 歩きながら夜空を眺めて、今、地球の・・・、日本という国で地震が起きているなんて宇宙の営みからみたらちっぽけなことなのかもしれないとバカなことを考えていた。

 大昔、恐竜時代はこんな地震は毎日のように繰り返されていたのだろう。

 地球だってときどき怒ることもあるんだ!

 何故だかわからないが、そんなことを考えていなければ今の自分の境遇に納得がいかなかったからだろう。



 結局そこから1時間半かけてようやくたどり着いたのは21時半。

 約4時間半かけての帰宅となった。



 歩いているときも、

「もっと大変な思いをしている人はいっぱいいる。」

 そう思いながら帰ったのだが。



 一段落してさらに心配事が。

 茨城に一人で住むK三叔父と連絡が取れない。

 家の電話も携帯電話も繋がるのだが・・・。

 夕べも今朝も・・・、今も・・・。

 どうしたんだ?

 親戚関係からの情報でもK三叔父だけが繋がらずにいるので、とにかく心配だ。

 頼む!

 元気な声を聞かせてっ。







shibacchi0821 at 18:05|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 「生活」編