収穫祭の報告(後編)散々だね

2006年11月14日

手紙(読み終わり)

 鼻水タラ~汗のしばっちでございます。

 風邪もそれほどひどくないので、元気いっぱいなんだけどね・・・。

 東野圭吾手紙・・・さっき読み終えた。

 今年の夏から単行本を読み始め、もう何冊読んだだろう。

 学生時代から社会に出て、自分で車を持つようになるまでは本を読むというのは当たり前だった。その後、車通勤をするようになってからは本を読むことがなかった

 最近は電車通勤で、電車の中では携帯でゲーム携帯をやっているかメールメールを打っているか・・・はたまた寝ているかZZZ・・・そんな時間の使い方をしている自分に嫌気が差して、ちょっと本でも読んでみようかと思ったのがこの夏

 僕の性格上、一度始めるとそれに執着してしまうタイプなので(自己解析済み)自分の中で約束事を作ってあるのだが、読書本は電車の中だけということにしてある。

 なぜなら電車以外の・・・たとえば部屋の中だとか、寝る前だとかに読み始めると止めなくなってしまうから。

 その兆候は小学生時代からあった。まだ、小学生だったにもかかわらず、ストーリーに夢中になり、気づいたら明け方だったこともあるほどなのだ。

 手紙・・・これは犯罪を犯し、拘置所に入れられてしまう兄『剛志(つよし)』とその弟の『直貴』の物語である。最初は主人公が剛志だと思っていたのだが、殺人犯の弟として生きていく直貴に焦点が当たる。

 これから読もうとしている方、映画を観ようとしている方はここから下は覗かない方がいいかもしれない。

8fd14cff.jpg

【皆さんのところは紅葉ですか?】

 殺人犯の弟として居酒屋でアルバイトをしながら高校生活を乗り越え、通信制の大学に入学、その後、通学生に編入し、音楽活動や恋愛をし、そして社会人になるのだが、それらすべては殺人犯の弟というレッテルの前に挫折を繰り返す。

 そして、その挫折の原因は月一度の兄からの手紙が引き金になってしまうものなのだ。結婚をし、愛娘が生まれても、殺人犯の弟というのは消えることがなく、娘にまで影響を及ぶ。

 電車の中で目を潤ませること数回・・・その度に本を読むのを中断して溜息が出てしまう。

 残すところあと8ページ・・・となったところで、“きっとここで読んだら、涙が落ちてしまうかもしれない。”と思い、本を閉じるのだが、結末を知りたい一心でついつい本を開いてしまう。また別のページを繰り返し読んでは何度も何度も回想してしまうわけだ。

 そして、最後の8ページをさっき部屋で読み終えたのだが・・・。

 もう、文章を読んでいる感覚がない。まるで、僕自身が弟『直貴』になっていたり、兄『剛志』になっている。

 映画では多少内容が違う部分があるらしいのだが、そうなると結末も違うのだろうか。気になるところである。

 兄の犯罪は勿論なのだが、兄からの手紙が弟の人生を少しずつ狂わせていく。途中途中に織り込まれているこの手紙が心を打つ。

 読んでいて胸が苦しくなる小説、久しぶりだったな。

 で、明日からは何を読んだらいいのだろ~(次の小説にすんなり入っていけそうにない)。





[去年の今日のブログを見る]




at 20:56│Comments(0) 「趣味」編 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
収穫祭の報告(後編)散々だね