2007年08月27日
風林火山を垣間見る旅
本当に明日から涼しくなるのかな?
週間予報では明日から雨の日が続き、涼しくなりつつあるって言われているんだけど・・・。
今日も関東にしては・・・きれいな夜空だよ。
信じていいのかなぁ~。
日中は当たり前のように暑いが、夜もかなりムシムシする暑さである。電車を待っている時間もいいかげんに嫌になってくる。
涼しくなりつつある地域の方が羨ましくもあり・・・。
菅平高原牧場で景色を堪能した後、最初に寄った菅平高原ダムのさらに下に行くと、風林火山ゆかりの登場人物、真田氏発祥の地がある。
せっかくだから真田氏歴史館に寄ってみることにした(実は僕はこういうのが好きなのだ)。
それにしても歴史の苦手な僕でもこうやって歴史に触れるようになってきたんだから、少しは成長しているってことかな。
真田氏歴史館の入館料は大人が200円、子供は100円である。
真田氏の家紋は六文銭、以前の家紋は月輪七九曜(ってどんなのだろう?)だったが、真田幸隆が武田方に臣従したときからと言われている。
六文銭は「六道銭」を表わし、三途の川の渡し賃として棺に入れるもので、節が戦いに挑んでは生きて帰れぬものという強い意志を表わしている。
真田幸隆が武田信玄に仕えて頭角を現わし、東信濃と上州(群馬県)まで勢力を伸ばす。しかし、その後、幸隆のあと長男の信綱、次男の昌輝が長篠の戦いで戦死。
急遽、三男の昌幸が家督を継ぐことになる。
武田家が滅亡したあと、わずか1年で織田、北条、徳川と情勢に応じ主君を変え、巧みな外交戦術により領土を拡大していった。
またその一方で上田城を築くなど戦国大名の地位を不動のものにしていった。
豊臣秀吉亡き後、関ヶ原の戦いでは昌幸と昌幸の次男の幸村が豊臣方に、長男の信之が徳川方に別れて闘うことになり、昌幸と幸村は38000人の大群を上田城で迎え撃つが、西軍敗北により、紀州に流されることになる。
親や兄弟が敵に別れて闘うなんて・・・僕にはできそうにないな。
昌幸はその地で没するが、幸村は大阪城へ入城し、秀吉の遺児秀頼を守り立てて、大阪夏の陣では家康の本陣へ切り込むが、そこで没することになる。
これが真田氏の三代略である。
その後の真田家は長男の信之により、家名を存続し、明治まで十代に渡って続き、真田十万石として栄えたという。
この歴史館には真田氏たちの鎧や豊臣秀吉の書状など歴史にまつわるものが飾られているが、残念ながら写真撮影は禁止であった。
武田信玄・上杉謙信・山本勘助・村上義清・真田幸隆と川中島の戦いで火花を散らした男たちの歴史。
戦国の世を華々しく駆け抜けていった男たちの歴史をまたひとつ覚えたと同時にもっと深く知ってみたいという思いにさせられた真田氏歴史館。
六文銭の意味をちょっと知っただけ、歴史に触れることができたってわけだ。
またこの地方に出向いたときには立ち寄ってみることにしよう。
週間予報では明日から雨の日が続き、涼しくなりつつあるって言われているんだけど・・・。
今日も関東にしては・・・きれいな夜空だよ。
信じていいのかなぁ~。
日中は当たり前のように暑いが、夜もかなりムシムシする暑さである。電車を待っている時間もいいかげんに嫌になってくる。
涼しくなりつつある地域の方が羨ましくもあり・・・。
風林火山を垣間見る旅
菅平高原牧場で景色を堪能した後、最初に寄った菅平高原ダムのさらに下に行くと、風林火山ゆかりの登場人物、真田氏発祥の地がある。
せっかくだから真田氏歴史館に寄ってみることにした(実は僕はこういうのが好きなのだ)。
【風林火山の旗がたなびく】
それにしても歴史の苦手な僕でもこうやって歴史に触れるようになってきたんだから、少しは成長しているってことかな。
真田氏歴史館の入館料は大人が200円、子供は100円である。
【真田氏歴史館の入り口】
真田氏の家紋は六文銭、以前の家紋は月輪七九曜(ってどんなのだろう?)だったが、真田幸隆が武田方に臣従したときからと言われている。
六文銭は「六道銭」を表わし、三途の川の渡し賃として棺に入れるもので、節が戦いに挑んでは生きて帰れぬものという強い意志を表わしている。
【六文銭】
真田幸隆が武田信玄に仕えて頭角を現わし、東信濃と上州(群馬県)まで勢力を伸ばす。しかし、その後、幸隆のあと長男の信綱、次男の昌輝が長篠の戦いで戦死。
急遽、三男の昌幸が家督を継ぐことになる。
武田家が滅亡したあと、わずか1年で織田、北条、徳川と情勢に応じ主君を変え、巧みな外交戦術により領土を拡大していった。
またその一方で上田城を築くなど戦国大名の地位を不動のものにしていった。
【真田幸村公の碑】
豊臣秀吉亡き後、関ヶ原の戦いでは昌幸と昌幸の次男の幸村が豊臣方に、長男の信之が徳川方に別れて闘うことになり、昌幸と幸村は38000人の大群を上田城で迎え撃つが、西軍敗北により、紀州に流されることになる。
親や兄弟が敵に別れて闘うなんて・・・僕にはできそうにないな。
昌幸はその地で没するが、幸村は大阪城へ入城し、秀吉の遺児秀頼を守り立てて、大阪夏の陣では家康の本陣へ切り込むが、そこで没することになる。
これが真田氏の三代略である。
その後の真田家は長男の信之により、家名を存続し、明治まで十代に渡って続き、真田十万石として栄えたという。
【六文銭のオブジェ】
この歴史館には真田氏たちの鎧や豊臣秀吉の書状など歴史にまつわるものが飾られているが、残念ながら写真撮影は禁止であった。
【六文銭の暖簾】
武田信玄・上杉謙信・山本勘助・村上義清・真田幸隆と川中島の戦いで火花を散らした男たちの歴史。
戦国の世を華々しく駆け抜けていった男たちの歴史をまたひとつ覚えたと同時にもっと深く知ってみたいという思いにさせられた真田氏歴史館。
六文銭の意味をちょっと知っただけ、歴史に触れることができたってわけだ。
またこの地方に出向いたときには立ち寄ってみることにしよう。
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│「旅行(長野)」編