関東、寒すぎ頼朝に逢う

2008年04月14日

舞殿が蘇える

 今日は休み。

 ということは・・・。

 そう、温泉温泉でお風呂に入って、サウナに入って、ビール飲んで、ぐったり眠って、またサウナに入って・・・笑。

 サウナに入ったら、一人のおじいちゃんに声をかけられた。

「ちょっと伺いますが・・・。」

「あ、はい。」

「木村さんですか?」

「・・・いえ・・・。」

「あ、いや・・・ずっと気になっていて・・・。」

「その方、そんなに似ているんですか?」

「はい。」

 うひゃ、その木村さんという方にお目にかかりたいって思ったよ。

 そのおじいさん、ときどき見かけたことがある人だったんだけど、見かけるたびにそう思われていたのかなぁ。

 まぁ、その辺に転がっているような顔だから、仕方ないけどね(爆)。

 さて、滞っている鎌倉の記事の続きでも・・・。


舞殿が蘇える(鎌倉編)


 鶴岡八幡宮の本殿を一通り見て、階段を下りていくと大勢の人たちが何やら集まりだしてきた。

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【献詠披講式の準備中】

 たまたま偶然なのだが、この献詠披講式なるもの平成17年より、3月の最終土曜日か日曜日を選び、舞殿において再開されたものらしい。

 いつも人ごみを避けるために土曜や日曜にはこういった場所に足を運ばなかったが、今回は日曜日ということでラッキーキラキラだったのかもしれない。

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【お供え物も豪華】

 この披講は平安時代より宮中に伝わってきた古式ゆかしい行事である。

 鎌倉時代の鎌倉においても源頼朝公が花見の宴を催した際に、管弦詩歌の儀を行ったという記述が吾妻鏡に記されている。

 また源実朝公に至っては金槐和歌集を遺すほど和歌に精通し、文人将軍として知られていたとのことである。

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【誰がどの役かわからない】

 このような故事をもとに、鶴岡八幡宮披講式はご神前に和歌を献詠する神事として執り行われるわけだ。

 披講の諸役は宮中歌会始披講会の先生方の指導を受けた神職が、鎌倉の歌会に相応しく直垂に引立烏帽子という出立ちで務めるという。

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【一般の方も】

 この日はあまりの寒さに、見ている人にとっては結構辛かったんじゃないだろうか。僕なんかブルブル震えていたし・・・。

 昔の人はこうやって行事をこなしていたんだろうね~。

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【いいものを見させていただきましたぁ】

 いつもはこの舞殿も建物だけを外から見物するだけだが、こうやって人が入り、動いているのを見ると、まるで自分も鎌倉時代に戻ったような錯覚に陥った。

 だけど・・・。

 あえて言うなら、舞殿に上がる人々は銀縁のめがねをはずしてもらえたら、さらに良かったんだけどなぁ。





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at 20:48│Comments(0) 「旅行(神奈川)」編 

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