思い出ぽろり出会いと別れの一年

2009年12月25日

いとこ会・・・かぁ~

木キラキラ木   木キラキラ木


 今年も華やかなクリスマスシーズンになったが、僕は・・・というと・・・。

 もちろん仕事汗

 新宿駅内でケーキなどを買って、出勤(苦笑)。

 まぁ、仕事をしている仲間に、ちょっとだけでもクリスマスを味わってもらえたらと思ってね。

 帰り道カップルがすれ違う。

 片手に持っている紙袋、そしてその中にはリボンが結んであれば、やっぱり素敵な夜を味わっているのだろう。

 う・ら・や・ま・し・い

 ってほどの歳でもないか(笑)。



 さて、ちょっと昨日の話の続き。

 僕の大好きな叔母が亡くなり、一通りの儀式を終わらせ、その夜、僕はひとり自宅に帰ることになっていた。

 北海道からやってきた叔父たち従兄弟たちで仕事の都合で帰った人も多かったが、ホテルに1泊して帰る人たちは、その夜は会食(というよりも宴会だよなぁ)を。

 もちろん僕も途中まで会食に同席。

 僕にとっては10年ぶり以上に会う従兄弟も少なくないが、それぞれがそういう思いを持っていることと思う。







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【まずはかんぱぁ~い】







 最初に宴会部長(実際には・・・とある社長業を営んでいる)のMお兄ちゃんが挨拶をし、K三お兄ちゃんが乾杯の音頭。

 今日のメンバーで僕と同年代は3人。

 それ以外はとりあえず、年上のおっさん・・・、いやお兄さんたち。







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【僕も慌ててかんぱぁ~い(時すでに遅し)】







 乾杯をしてものの10分で、他の従兄は日本酒に進んでいる。

 いやぁ、しばっち家って本当に飲兵衛の血筋なんだわぁ。

 まず、飲まない人はいないってことが凄すぎるよね。

 そんな血筋に生まれた僕だから当たり前のように飲むのだが、それでも僕はビール党

 日本酒なんて飲んだら、そのまま腰砕けになってしまうわけで。







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【ローストビーフ】







「ところで、来年の6月・・・。」

と従兄のN行お兄さんが僕に声をかける。

「6月19日でしょ。」

 耳にタコができるほど、何度も聞いている言葉である。

 北海道に住む従兄弟たちと久しぶりに再会して以来、多くの従兄弟からその言葉を聞かされていた。

「来年の6月19日はY町のホテルで、いとこ会をやるから、必ず参加するように。」

と・・・。

「あ、はぁ~。」







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【鶏肉とジャガイモのにんにく炒め】







 このいとこ会はすでに10年も行っているらしく、参加者のほとんどは北海道に住む従兄弟である。

 関東に住む従兄弟で、僕より若い連中はもちろんなかなか参加するチャンスがない。

 仕事だって詰まっているし、なんといっても北海道はやっぱり遠いわけで・・・。

 しかも、しばっち家独特の性質(全てが几帳面)っていうのか、この会の予約を1年前にしておくらしく、欠席の言い訳が効かないわけ。

 中には夫婦で参加したり、子供たちを連れてきたりもするから、かなりの大人数になるのは必至。

 うひゃ~。

「来年はやっぱり参加しないといけないかなぁ。」

と、僕ら下っ端はちょっと困惑気味







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【かなり出来上がってる】







 遠い昔、まだ祖父母が生きていた頃といえば、そんなことをしなくても毎年夏や冬には大勢の親類が顔を出すのが当たり前だった。

 祖父母が亡くなってから、親類が疎遠にならないように手を尽くしてきたのも伯父たちや年齢の高い従兄たちである。

 中にはしばっち家の家系図を細部に渡って調査し、作りあげた人もいて、その完成図(凄いページ数だった)を全しばっち家に郵送されてきていた。

 もちろん、僕ら下っ端であろうが平等にそうしていたようである。







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【煮込み】







 また、別の人間は祖父母の若い頃の写真やら親兄弟の幼い頃の写真まで探し出し、それを冊子にした者もいる。

 自分が小さかった頃でさえ恥ずかしいのに、自分の親が小さかった頃の写真を見て気恥ずかしさを覚えたものである。

 古き良き時代というけれど、その冊子を見て、恥ずかしさよりも懐かしさが溢れてきて、

「あ~、やっぱり僕はしばっち家の人間として生まれてきてよかったなぁ。」

って思ったものである。







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【串カツ】







 楽しい会食が半分ぐらい過ぎた頃、宴会部長のMお兄ちゃんが突然マイクを持ち出し、何やら叫んでいる。

 なんだぁ~?!

 また、始まったのかぁ~。

 カラオケだよ、カラオケ。

 飲むと必ずカラオケになるしばっち家

 葬儀が終わったばかりの今日だというのに・・・。

 少しは自嘲するっていう気持ちがないのか。

 しかもおぢさん連中だから当たり前のように演歌主体だし。

 僕もカラオケなんてここ数年やったことがないから、断っていたのに。

 長従兄からの業務命令(苦)が下されると断れない。







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【ティッシュで蝶ネクタイ(実は彼は社長業を営んでいる)】







 叔母が生きていた頃、遊びに行くと大晦日は必ずカラオケになる。

 叔父の決して上手くはない歌に付き合わされ、その息子たちも僕も愛の手を入れる。

 そんな姿を見て、叔母はいつも幸せを噛みしめていたに違いない。

 だから僕は叔母のために・・・、叔母のためだけに・・・、歌うことにした。







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【デザート】







 楽しい時間もあっという間に過ぎ、僕はそろそろ帰らなければならない時間に追い込まれていた。

 見送られたら、泣き出しそうになるので、その場で軽く挨拶をすると、誰もが、

「わかっているだろうね~。」

「来年のいとこ会は6月19日だぞ~。」

「たまには北海道に来いよ~。」

「元気でなぁ。」







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【愛すべき人たち(左からM志、K三、Y志、K叔父、H樹、S子】







 ひとりひとりの声が耳に突き刺さるのを感じながら、その場を離れることにした。

 ホテル前には1歳年上のY志(亡くなった叔母の息子)だけが見送ってくれることに。

「ありがとう。」

「うん。」



 僕らにはそれ以上の言葉はいらなかった。

「仕方ないね、来年はお互い何とか考えよう・・・か。」

「うん。じゃ、また連絡するからね。」



 上野行きの特急電車に乗ってから、この数日間のことを振り返っていた。

 ちょうど2週間前にお見舞いに行ったときには弱々しいながらも笑顔で話してくれた叔母。

 そして、あれからわずか2週間の間に体調が崩れていって、僕は本当に最後に元気な叔母を見ることができた幸せモンだと思った。



 いとこの中でも数少ない女性のH子お姉さんは、

「私は今回どうしてもお見舞いに行ってやれなかった。だって、おばちゃんの顔を見たら絶対泣いてしまうと思ったから・・・。」

と言っていた。



 K叔父の喪主の挨拶で言った言葉。

「M子(叔母の名前)が10月に病院で検査をしたときに、長くて半年の命と宣告されました。

 このことはM子も聞いていましたが、家に戻ってから『お医者さんが半年の命と言ったということは、長くても3カ月でしょうね。』と言ってきました。

 延命処置をどうするかと尋ねられたときに、きっぱりと『私は過去に2度死んでいるので、もうそういうことはしないでください。充分満足の人生でした。』と断りました。

 『ただ心配なのはこれから私がいなくなったら、ご飯を作ってやれなくなること』というM子の特訓を受けて、何とか今では白いご飯とみそ汁は作れるようになりました。」

 この言葉がずっと頭の中にこびりついて離れず、考えているうちに涙がにじみ出てしまう自分がいた。

 台所に立った叔父を見たことはない。

 いや、台所に男の人を立たせたことがないような家庭である。

 叔父は本当にこれから立つことができるのだろうか(息子2人は東京と埼玉にいるわけだし)。

 昔から線の細い叔父である。

 それが歳と共にさらに小さくなったのも伺える。

 今、僕ができることはやっぱりたまには顔を出してあげること。



 若い頃にずいぶんお世話になったんだから、これからはちょっとでも叔母の代わりになってあげられること。

 あとで、ああしておけばよかったって後悔したくないもの。

 また、近いうちに顔を出すことにしよう。



 叔母の死で、再会した大勢のいとこ連中。

 最近ではこういうことでもなければ、だんだんと顔を合わせなくなってきているのも事実である。

 やっぱり(自分も周りも)老いていく前に、小さくてもいから一歩前に歩いてみるのもいいかもしれないな。

 叔母は僕にまたひとつ勇気を与えてくれたのかもしれない。

 6月19日北海道に行ってみるとするか・・・。






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at 23:54│Comments(0) 「冬」編 

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