2010年02月15日
K三叔父からの手紙≪前編≫
今日は出勤前に携帯電話を買おうと決心し、池袋のヤマダ電機に寄る予定だった。
2~3か月前からdocomoのカタログを眺めていたのだが、なかなか決心がつかず(値段もデザインも)にいた。
ようやく欲しい機種が発売されることもあり、docomoに問い合わせてみると・・・、
まだ発売日が決定されていないようです、との返事。
あぅぅぅ。
2月発売予定としか書いてなく、ネットで調べても具体的な日にちまでは記されていない。
ということで断念し(苦笑)、新宿の小田急デパートに寄ることにした(はて?)。
【崎陽軒のシュウマイ】
いや、昨日のBLOGにも書いたが、茨城県に住むK三叔父からのリクエストである崎陽軒の中華粥が小田急デパートにあるのをネットで調べたので、そこにも立ち寄ることを考えていたのだ。
崎陽軒は小田急デパートの地下2階、いわゆるデパ地下と呼ばれるところにあるのだが、相変わらずすごい人だ。
こういうところは苦手なんだよなぁ。
【これは?(実は醤油差しなんだけど、箸置きにもできるのでは?)】
ガラスケースに並べられているお粥は4種類のうち3種類しかない。
スペース的に置けないので、販売していないらしい。
こうなるとあとはネットショッピングの方がいいかな。
まぁ、せっかく来たのだからと3種類のお粥とシュウマイを買って職場に行くことにした。
もちろんシュウマイは職場の仲間への差し入れ~。
【シュウマイ(久し振りにおいしかったぁ)】
K三叔父からの手紙≪前編≫
長らくご無沙汰して申し訳ありません。
妻M子の闘病中、及び葬儀の際には皆さんから数々の励ましやらお見舞い、ご配慮を頂戴しながら、毎日が追い立てられるような落ち着かない生活の連続で、心にかかりながら御礼の便りもせず、誠に失礼の段、平にお許しください。
そうした中で葬儀の際には年末も押し迫った多忙の中、それも遥々遠路のところを各家代表(?)の皆さん方多数お出で下され、また無事終了後の一晩、しばっち家の伝統に準じて、あたかも『いとこ会内地版』の如くゆっくり賑やかに過ごすことができ、気分転換に大いに役立ってくれました。
また、お通夜には久し振りにT也(姪E子の長男)と隣り合わせの席で駄弁り合う機会にも恵まれました。
今年に入って少しでも心の整理、けじめの一つにでもなればと、葬儀などの写真集を作成し、皆さんにお送りして多少ホッとしていた1月18日のこと。
早朝5時に起き、爽やかな気分で新聞を読み始めて10分くらい立った時、突然背中全体が胴ッ腹に張り付いたような物凄い痛みに襲われ、居ても立ってもいられず、これは危ないと思い、這いずりまわるように救急車を呼び、到着するまでの間に火の元だけはとこたつや床暖房・エアコンなどを消し、携帯電話だけを持って救急車で病院に搬送されました。
痛いのは頭ではなく背中だからということで、かかりつけのT病院に行くことになりましたが、救急治療室では「血圧224」「(総合病院の)H病院は満床だから転送はできない」「高齢だから手術はできない」などの医師の声を聞きながら、痛さに唸っていましたが、CTの結果『心臓の傍の大動脈瘤 乖離(かいり)』と診断され、そのまま入院することになりました。
運ばれた部屋は妻M子が最期のときに入っていた部屋で一瞬驚きました。
手術はできそうもないから、特別な治療の方法はなし、自然に乖離部分が固まって出血が治まっていくのを待つだけという極めて原始的なもので、降圧剤・痛み止め・栄養剤の点滴をしながら、『絶対安静』を指示されて10日間。
その後塩分5gという、味もそっけもない高血圧食となり、トイレや洗面所は歩行可となったものの、依然として「絶対安静・りきむことはダメ」「あと2週間くらいがヤマ」とか言われました。
医者には、「もう少し心臓に近い湾曲部だったらあの世行きだったかも」と脅かされていました。
つづく
K三叔父のことはブログでも何度か書いているが、いつも繊細に日々の記録を残している。
また親戚のことについても誰よりも心をかけてくれ、日々多くの人たちと連絡を取り合ってくれる人なのだ。
そのため、遠方に住んでいながらも、叔父の姉弟や甥姪にも一番慕われている存在である。
もちろん僕のようなひよっこにも幼い頃から愛情は平等に分けてくれていたと思う。
それにしても叔父から来る手紙には何度泣かされたことか。
罪な人でもある(笑)。
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