雪の小樽駅(2)運河倉庫で夕食を

2011年02月24日

談笑






談笑

(2011年2月7日~9日 冬の北海道、写真で綴る一人旅)



 故郷に帰省だというのにホテルに泊るって?

 母が家を空け、ケアハウスに入居することになり、今となっては無人の我が家。

 そこはきっと雪に埋もれ(そんなひどくはないと思うけれど)、中に入っても冷え冷えとしていることだろう。

 叔父やいとこたちからも、

「家に帰ってもお前が泊れるようにはなっていないから。」

と言われていた。

 厳しい冬だから水道管の水を抜いておかないと凍って破裂してしまうわけで、当然水道の栓は止まっている。

 電気のスイッチさえ、位置がわからない(苦)。






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【ロータリーから写した小樽駅前、僕が泊るのは左にあるドーミーイン】






 実は僕が育った家も今年中には解体することで話が進んでいる。

 小さい頃の思い出が詰まった家である。

 できれば解体するときに立ち会うか、せめてその前に一度は目にしておきたいと思っているのだが日程は未定なのでまだ時間があるか。



 また札幌に住む叔父やいとこから、

「北海道に来るなら、ウチに泊ったら?」

という連絡ももらったが、今回は断ることにした。

 多分、そのようにしてしまうと僕のペースで旅行を楽しめないからである(笑)。



 そんなわけで前回同様、駅前のビジネスホテルドーミーインに2泊することで予約を取っておいたわけである。






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【ドーミーイン】






 去年の6月に帰省したときに初めて利用したドーミーイン

 他のホテルも考えたが、ドーミーイン小樽駅の目の前だし、足場の悪い冬にはうってつけの場所であることもその理由の一つ。

 ビジネスホテルとは思えないほど快適で、特に温泉の空間が最高だったので今回も浮気はせずに決めたわけである。

 まぁ、僕の性格上、一度気に入るとしばらくは他の場所を考えないだろうなぁ。






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【ホテルの部屋から見える小樽駅】






 チェックインして部屋で一服。

 そこから携帯で母に電話をすることに。

 すると電話に出たのは従姉のR子ちゃん

 R子ちゃん・・・といっても僕より10歳ほど上の立派なおばさんであるが(笑)。

 本人を目の前にしては言えないけどね。

 僕が小樽に来ると決まったときに、

「あんたが来るなら、私も行くよ。」

と言ってくれていたわけ。

「今、(ホテルに)着いたからこれからそっちに向かうね。」

と言ってホテルを出ることに。






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【凍てつく街、小樽】






 札幌は駅前の道路がロードヒーティングされていて、ほとんど雪がないのだが、小樽はそうではない。

 しっかり凍てついていて、ちょっと恐いんだけどね。

 それにしても風が強く吹き、顔に当たる雪が痛い。

 写真を見てもわかるように車のナンバープレートだって数字が見えなくなるほど気温は低いのだろう。



 駅前からタクシーを使って母の住むケアハウスに向かう。






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【吹雪の町、小樽・・・かな】






 8ヶ月振りに再開する母ではあったが、意外と元気でこっちの方が驚くほどだ。

 あれだけケアハウスに移るのを拒んでいた割には明るい表情である。

 少しは環境に慣れたのかもしれない。

 母は足腰が弱まっていることと耳が遠くなっていること以外は特に重い病気があるわけではない。

 もちろん記憶力も昔より悪くなっているようだが高齢者独特のもので、認知症ということではない。

 母とケアハウスで同居している人たちへのお土産、そしてR子ちゃんや今回は来ていないが叔父たちへのお土産を渡し、しばらくは談笑。



 想像していた以上に明るい部屋で、日当たりもいい。

 本人曰く、自分で調理しなくても3食食べられるのはいいが、これじゃ早くにボケてしまうかもしれないということと夕食が4時半で早すぎるってことが不満らしい(笑)。

 足腰が弱まっていても散歩は欠かさなかった母だが、今は冬。

 足元が危ないし、外に出ない方がいいのかもしれないが、ぬくぬくと暖かい館内にいるだけの生活は本当に母のためにいいのだろうか。

 僕の中ではそういう葛藤が生まれてくるが、何もしてあげられないだけに言葉には出せず、

「よかったね。」

と言うのが精いっぱいだった。






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【多くの車が行き交う】






 母は息子のために料理を振る舞うことも好きだったし、僕の友達が家に押し寄せてくると一緒になって遊ぶような人間だった。

 自分の息子以上に友達を大切にしてくれていた。

 ケアハウスに入れば自分の食事は何もしなくても出てくるから楽だろうが、息子が帰省しても自分で手料理を振る舞うことはできず、心苦しく感じていたかもしれない。



 僕が関東で仕事をしていることで多くの人たちに協力してもらっているが、最も近くに住むR子ちゃんには本当にお世話になっている。

 R子ちゃんの旦那さんは7~8年前に他界し、息子たちもみんな関東に住んでいるので、彼女も今は一人暮らしである。

 旦那さんは漁師で強靭な体つきの人だったのに、ある日寝ていてそのまま亡くなったのである。

 そのとき彼女の長男はタイに主張していて大変な思いをしたと言っていた。

 今は母の一番の理解者だと思っている。



 日も暮れ、そろそろ帰る時間・・・、

 母が、

「晩ご飯はどうするの?」

と尋ねたので、

「まぁ、その辺でおいしいものでも食べるよ。」

と言うと、

「R子といっしょにお寿司でも食べれば?」

と5000円を差し出してくれた。                                                                                                                                                                                                

 社会人になってから母が僕にお金をくれた記憶はほとんどない。

 まるで僕は学生か・・・。

「いらないよ。」

と付き返したが、R子ちゃんが、

「せっかくだから貰っておけば。」

「まぁ、せっかくだからおいしいものでも食べるよ。」

としぶしぶ受け取ることにした。

 結局、何歳になっても親は親、息子は息子だという泣きごとを言いながらケアハウスを出ることにした。

「明日も同じような時間に来るね。」

と言って。







shibacchi0821 at 23:58│Comments(0)TrackBack(0) 「旅行(北海道11年02月)」編 

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