あっちもこっちも雪だるま実は雪だるまコンテスト

2011年03月24日

雪降る町、小樽







雪降る街、小樽

(2011年2月7日~9日 冬の北海道、写真で綴る一人旅)



 僕の故郷、小樽は山と坂の多い町だ。

 小学校も中学校も遠い昔に山を切り開いた道を通っていかなければならなかった。

 高校はバスを降りてから地獄のような坂道(ちとオーバーかもしれないが)を登っていかなければならなかったし、グラウンドは校舎からさらに数十メートルも高い所にある。

 そんな坂道の多い町、小樽を僕は若い頃、あまり好きにはなれなかった。






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【大正クープ館は何屋さん?】






 僕の環境に何かが足りないと感じだしたのは社会に出て1~2年した頃だっただろうか。

 移り住んだところは、まだ新しい住宅地の一角で、空が広く感じるような町だった。

 真っ青な空を眺めながら町を歩いていたときに、ふと・・・、

「この町には坂道がないんだ。」

と、気づいたのである。

 関東平野といえども坂道がないわけではない。

 大学時代だって、校舎のそばには坂道があった。

 校舎の一部が横浜に移転した場所にだって多くの坂道があった。

 その坂道を無意識のうちに上ったり下ったりしていた。






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【七日食べたら・・・こうなる!】






 そう思うようになってから、あの小樽の急な坂道が懐かしくなった時期がある。

 生活の中で当たり前のようにあった坂道。

 故郷に戻るたびにその坂道がいとおしく感じるようになってきたのはやっぱり歳を取って来ているのかもしれない(笑)。






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【多喜二】






 大正クープ館は数日前に紹介した不老館と同じキャッチコピーがあったので、昆布専門店というのはすぐにわかった。

 それにしても昆布一筋で商売ができるなんて考えたこともなかった。

 七日間食べたらどうなるの、というキャッチコピーが焼き付いて離れない。



 そのそばにあるちょっと古めかしい建物は多喜二という名のお店で、一見何屋さんかわからずにいた。

 これだけの看板じゃわからないよね。

 多喜二とは小説家の小林多喜二のことだろう。

 小林多喜二は秋田県で生まれたが、小さい頃に小樽に移り住み、過ごした人だ。

 小樽商業高校を卒業後、小樽商科大学を経て、拓殖銀行に就職をするのだが、若い頃から執筆活動を始め、蟹工船で一躍有名になる。

 小樽にいればそれぐらいは知っていて当たり前だが、実は父や父の兄弟は全員小林多喜二の後輩に当たるので何となく覚えていたのだが(笑)。

 あ、もちろん小林多喜二と直接の後輩ではない(多喜二は明治生まれ)。






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【多喜二の石碑】






 小林多喜二の名前を取った多喜二は実はお寿司屋さんである。

 外観だけを見るとわからないお店だが、ここもちょっと気になるお店だ。






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【ガス燈、香り工房】






 ガス燈はガラス製品専門店でグラスなどはもちろんだが、ステンドグラスやランプなども売られているようだ。

 しかも工房もあるようで自分だけの製品もお土産にできるのは嬉しいかもしれない。

 その隣は香り工房

 僕はこのお店をアロマ専門店かなぁって思ってたんだけど、そうでもないような・・・、う~ん、ちょっと情報不足だなぁ。






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【堺町通り】






 何だかこのような風景は小樽の街らしくない。

 でも風情があっていいなぁ。

 やっぱり古き良き時代っていうのはあるんだよね。






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【北の漁場】






 ここも石造りのお店だね。

 左側はお寿司屋さん、右側は海鮮料理やさんやお土産屋さんも入っているようだ。

 ついつい楽しくなって、覗いてしまうわけだが・・・。

 それにしてもこの通りは歩行者天国じゃないのに、みんな平気で車道を歩いている。

 し、し、しかも・・・、

 写真に写っている小さな女の子の手には・・・。

 ソフトクリームかい?

 あの~、すっごい寒いんですけど~。

 ぶるっ。






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【はい!ポーズ!!!】






 まだまだ続く小樽堺町通りである。

 明日もお楽しみに~。






3月24日(木)の日記

 震災のニュースは毎日テレビから流れ、ワイドショーなどでも多く取り上げられているが、未だに余震の続く東北や関東。

 復興なんて軽々しく言うけど、そんな簡単なものではない。

 そんな中でも映像の世界は元気にふるまっている子供たちの姿も多い。

 そんな映像についついほのぼのとするが、現実はそうではないだろう。

 もし、もし・・・、

 僕が東北地方と同じ被害と直面したら、2週間経った今でもふさぎこんでしまっていることだろう。



 物資が足りないとテレビで叫んでいる。

 インタビューで、何が必要ですか・・・という質問に、ある人は小さな子供がいるので紙おむつが・・・、ある人はマスクが・・・、ある人は歯ブラシが・・・と切実な答えが返ってくる。

 みんな平等にほしいものがあるわけではない。

 その要望通りに物資が届くわけでもないだろう。

 そのうち運ばれてきて嬉しいが、必要とされないようなものはゴミになっていくのではないのだろうか。

 う~ん、

 100円ショップのようなお店がトラック販売(販売っていうよりは援助だけど)ってできないのかな。

 地域を回り、本当に今欲しいものを数点だけ手にできるような・・・。

 高価なものなんて誰も望んでいないと思う。

 沢山持つ必要もないはず。

 今、個人個人で本当に必要なものを手にできればいいのになぁ。







shibacchi0821 at 23:54│Comments(2)TrackBack(0) 「生活」編 

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この記事へのコメント

1. Posted by ゆ~ちゃん♪   2011年03月26日 00:20
停電、経験しましたか?
僕もまだ経験してないので、いずれと覚悟してるのですが…。

この週末も停電しないとか。
ま、ありがたいことです。


ところで、小林多喜二は小樽商科大なんですね。
小樽商科大は僕にとって大切な二人の男の母校。
一人はウチの会社の副社長だった人で、夏でも長袖のYシャツを着て、夏でも上着をきちんと着用する習慣をつけさせてくれた人(汗)
もう一人はかけがえのない同僚だった男で、バブルがはじけた時、株の信用取引で数千万円の借金をかかえ狭山湖で投身自殺した。
ある日、出社したら、彼のきちんとした手書きの引継書が数冊のファイルとして出てきたのが思い出されます。
その数時間後、警察から連絡が入ったのですが。
彼は有能な男だったので札幌支店から東京本社に異動させたのですが、その事を後悔しました。

…、なんだか独り言でした…。





2. Posted by しゅんち→ゆ~ちゃん♪   2011年03月26日 11:01
 どもども~。

 計画停電…相変わらず僕のところは消えることなく。
 実は昨日の夜18時20分から開始区域に入っていたので、ロウソクなども点けて準備していたのです(昨日は休みだったので)。
 5分ぐらい前から玄関や廊下、テーブルなどにも置いて…。
 お風呂もその前に入ったし、食事も終わらせて…。
 1分、2分と過ぎても一向に消えるようなこともなく、結局ロウソク達の立場は?

 そんな結末でした。

 小林多喜二はわずか29歳の若さで拷問死された人物ですが、もし生涯小説家として人生を全うしたら素晴らしい作品を残した人だったことでしょうね。
 ゆ~ちゃん♪の人生にも同大学卒業生との接点があるんですね。
 ちょっと哀しい思い出のようですが、その方の分まで生き抜かなきゃいけませんね。

 そしてまだまだ翻弄させられる地震の後遺症ですが、何とか乗り切っていきたいものですね。

 ではでは~。

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