「仲間」編
2011年06月08日
鳥貴族で飲む
もう少しで連勤も終了。
梅雨入りしてから、台風の影響で雨が続いてはいたが、ここ数日は雲が多いものの、青空が覗くことも。
梅雨の時期にしては過ごしやすい日が続いているが、それでも寒暖の差が激しいこともあり、周りの人で体調を崩す人もいる。
僕自身も持病の腰痛が・・・。
歩けないほどではないが、ここ数日違和感があり、ひどくならないように養生しているつもりではある。
養生しているわりには、仕事が終わってから久し振りに職場のT君とちょっとだけ飲みに~。
【鶏サラダ】
職場の仲間の多くは若者。
そういうわりには酒を飲めない人も多く、みんなで飲むってことはなかなかない。
その中でも趣味が合うT君とはたま~に飲みに行くのだが、仕事が終わってから終電までの時間はそれほど長くはないので、サクッと飲んで(食べて)終わってしまう。
いつも旅行の話やスポーツの話で花が咲く。
【食べるラー油と柚子胡椒の焼鳥】
職場のそばにある居酒屋でお安いのが『鳥貴族』。
2人で飲んで食べても5,000円にならないのがいい(笑)。
ここに来ると必ず食べるのが、珍味のひとつ・・・チャンジャ(写真奥にチラッと写っている)。
お気に入りは食べるラー油が乗っている焼鳥(写真左)だが、T君は柚子胡椒(写真右)だという。
そして、はずさないのが・・・、
【カマンベールコロッケ】
もちもちした食べ物で、コロッケだからといって、中はポテトではない(笑)。
う~ん、原料は何なのか・・・、よくわからない。
1時間半ほど、ワイワイと話し、お開き。
あ~、結局最終電車で帰ることに。
まぁ、こんなことも職場仲間では滅多にないこと。
たまにはいいね、こういうことも。
2011年01月03日
初打ち(って????)
今年の箱根駅伝はかなりエキサイティングしたんじゃないかな。
早稲田大学の走りはさすがとはいえ、東洋大学がジワリと追い続けていたときの精神的苦痛ってすごいものだと思うんだけどね。
そしてシード校争い・・・。
あ、実は今日、午後1時に私用で出かけることになっていて最終10区だけをライブで見ることができず、後で録画を見ることになってしまったのだが・・・。
凄すぎる。
こんな状態になっていたとは・・・、と大興奮。
我が母校は、というと・・・。
まぁ、今年も何とかシード校には残ったが、去年より順位を落としていたし、僕らの時代のように輝かしい成績が残せていないのが悔しいね。
特に去年の成績から、今年はかなり上位に食い込むと思っていたんだけどね~(涙)。
さて、箱根駅伝を見ながらも最終区だけを残して外出をした僕はかなり久し振りに昔の友人に再会するためだった。
その友人はお酒を飲まないために、夜に会うよりも日中に会って食事でもした方がいいと思って選んだ時間なのだが・・・、
結局昼間っからビールを、友人Hはウーロン茶を(笑)。
中華料理を堪能することに。
彼は元職場を退職してからモーレツに勉強し、当時の職種とは全く別の職業に就くことになるのだが、当時は仕事も遊びも多くの共通点があって、公私共に楽しく過ごしてきた仲である。
ここ数年、メールでのやり取りが年に数回あった程度で、再会は3~4年ぶりかな。
それだけお互い歳を取ったのかと思って再会したが、見た目は大きな変化もなくちょっと安心。
さて、今日はあまりにも久し振りの再会だったので、デジカメをポケットに入れながらも写真に写すこともなく、話に夢中になってしまう。
もちろん彼と僕の共通点は普通の人よりも多い。
趣味も当時の仕事も遊びも似ているところは多い。
昔の思い出話から、最近の話題まで・・・。
そして、パチスロの話題。
僕は埼玉県の職場から都内に移って以来、パチンコやパチスロで遊んだことがない。
もうかれこれ5~6年になる。
それ以前は休日となると週に1~2度は通っていたし、本職に負けないほどの収入を得ていたといっても過言ではない。(笑)。
とにかく一度ハマると抜け出すのが大変なのだ(爆)。
そういったことから足を洗ったのが5~6年前である。
ちょうどブログを書き始めた前後である。
その時期、いろんな事が重なったのだが、それだけが理由ではない。
案外簡単にやめてしまったのは、時間がないという理由からだった。
それ以前は車での通勤だったが、わずか20分程度の通勤時間だった。
もちろんドライブするにしても、パチスロをするにしても、他の趣味を楽しむにしても、条件は今とそんなに変わらない。
いや、むしろ以前の方が仕事に費やす時間は半端ではなかったと思われる。
それなのに仕事以上に遊びや趣味も充実していたのは若かったからという理由だけではない。
通勤に対する疲労というのは口では言い表せられないってことだ。
あっという間にギャンブルからも手を引き、とにかく休日のほとんどは身体を休めることだけに費やされていったわけ。
今の職場にもパチスロが大好きな人間がいて、よく僕の周りでそんな会話が飛び交う。
それでも僕が再びパチスロをやらなくなったのは・・・、
パチスロのルールがわからなくなったからである(単純だね、笑)。
もちろん覚えようとする気持ちもなかったわけで。
で、久し振りに会った友人Hは・・・というと、
彼もかれこれ5年ぐらいやっていないとか。
正月だからちょっとだけやってみようか・・・。
意気投合し、その足で近所のパチンコ屋へ~。
これがまた知ってる台なんてないから、後継機の台、『緑ドンちゃん』に座ってみる。
どれがリーチで、どれがスーパーリーチで、どれがアツいのか、わからないままやっていたら・・・。
な、な、なんと・・・一万円を使ったところで大当たり~(笑)。
それだって、当たった後はどうやって打ったらいいのかさえわかってないわけで(涙)。
その内、激アツな状態になったようで、止まらない。
閉店間際まで、笑いが止まらないほどその状態が続く。
ゲームを終了していない状態で、閉店となってしまい、悔しい思いをしたが、まぁ、しっかり勝ってしまって。
お年玉が貰えてしまったのである。
ちなみに、緑ドンちゃんがロケットに引っ張られて水上スキーを繰り返すこと2000ゲーム。
これってどう解釈していいのだろう。
明日にでも雑誌購入してみようかな(笑)。
残念ながら友人Hは負けてしまったのだが、一年に一度ぐらい、パチスロ(パチンコでもいいのだが)娯楽程度に楽しむのがいいかもしれない。
負けるとストレスもたまるが、勝つとスカッとするものである(結果良しだったから言えることか)。
今、左肩が痛いのはスロットを打ったせいである(笑)。
2010年11月29日
K子のパース便り №5(part2)
11月も残り一日だというのに、今日は暖かく穏やかな気候。
部屋に入る日差しも気持ちがいい。
平日の仕事のほとんどが遅番なので、午前中は家にいることの多い生活。
ついついウトウトしてしまうこともある。
さて、K子のパース便りは続く。
☆★☆★☆★☆★☆★
行ってきましたよー、フリーマントル。
ステキな町ですねー。
やっぱり港町っていいですね。
とっても気に入りました。
すでにフリーマントルには2回行きました。
1回目は電車で。
そのときは街を散策(プリズンは外観だけを見学)して、Eーシェッドマーケットでランチ(インドカレー)を食べて、ラウンドハウス、Shipwreck Galleryを見学して、マーケットでパンを買いました。
今度、写真を送ります。
2回目は先週の日曜日に自転車で行ってきました。
Swan river沿いを走ったので、2時間ぐらいかかってしまいましたが、何とかたどり着きました。
帰りは来た道を戻る体力がなく、別の路を行ったので一時間で帰れました。
地図を見ながら何となく行ってみたのですが、実際に走ってみるとアップダウンが激しくて、相当くたびれました(笑)。
マーケットでブドウを探したんですが、しばっちさんが言っていたマスカット色のものがなくて、紫のブドウはありましたが、試食してみたら、う~んって感じだったので購入しませんでした。
また探してみたいと思います。
で、ランチに『BELLA ROMA』でビールとピザをいただきました。
どーしてもピザが食べたくて。
最高に美味でした!
次は絶対ペスカトーレを食べに行きます。
この日は天候が不安定で、朝から雨が降ったり止んだりしていました。
店内から雨が降っているのを眺めるのも、なかなかいい気分でした。
『シセレロズ』にもいつか行ってみようと。
おいしいものに飢えております。
マーケットの空気、私は大好きです。
また、写真送ります。
では、お体に気をつけてー!!
☆★☆★☆★☆★☆★
実はこのときのメールに添付されていた写真は下の一枚だけ。
???
写真をいっぱい添付されていると思っていたのに・・・(昨日アップした写真はその後に送られてきたものである)。
これはフリーマントルのマーケットの写真だが・・・。
僕には記憶のないもの(笑)。
マーケットは建物の中だけだと思っていたのだが、外でもこうやって露店をやっていたんだな。
やっぱり時間の少ない旅行者はほんの一部分を見て満足してしまっている感がある(井の中の蛙・・・的な)。
パースやフリーマントルはオーストラリアにあるが、多くのアジア人がいて驚く。
こういった場所に来てもオージーよりアジア人の方がすれ違う率は高いように思う。
それだけアジア人にも人気のある町なのだ。
K子のホームステイ先はパースシティから南に約10km離れた地域だが、そこから西に10kmほど行くとフリーマントルでもある。
僕はK子宛てに、パースまで自転車で行けるのなら、フリーマントルも同じような距離だからチャンスがあったら行ってみて、と送った。
グーグルマップで見ると、South Streetを突き当たるまで行けばフリーマントルのようだ。
ただ、それは地図上の見た目だけで・・・アップダウンまでは考えていなかった(笑)。
実はK子・・・。
このときのメールでいろいろと写真を添付したつもりでいたらしい。
で、その後、そうではないことに気づき、その翌日(かな?)多くの写真を添付してきてくれたのだが、それはまた別の機会に~。
彼女がパースでなかなか口にするチャンスがなかったビール。
ここに来てようやくフリーマントルでは念願が叶っているようだ。
ノンベーの日本人女性に見られないように・・・ねっ。
2010年11月28日
K子のパース便り №5(part1)
約2週間ぶりにオーストラリアのパースにワーホリしているK子からメールが届いた。
その間に、僕の方からは2通ほどメールを送ってあげていた。
内容は・・・というと、ホームスティのことやフリーマントルという港町について書いておいたのだが。
さて、K子はどんな生活をしているのか・・・。
ちょっと覗いてみよう。
★☆★☆★☆★☆★☆
しばっちさーん!
返事が遅くなってスミマセン・・・私は時間があるんですが、メールできる機会がなかなかなくて。
相変わらず話したいことが沢山あるんですが、何から伝えればよいのか??
まずは、しばっちさんが心配してくれている・・・
「パースの生活を楽しめているのか?」
ということについて。
実はこれがなかなか日々の生活に追われて、上手く自分の時間が使えていません。
私は今、『デミベア』というシステムで生活しています。
『デミベア』の契約では、住居と食事を提供してもらう代わりに一日3時間、週15時間の家事をすることになっているのですが、とても一日3時間では収まらず・・・一日中掃除&洗濯に追われることもあります。
契約では残業した場合は1時間につき10ドルの報酬が貰えることになっているのですが、それも出ていなくて。
私がやり方を工夫すれば、きっともっと短時間で仕事をこなすことができるのかもしれませんが、なかなかそれができなくて。
今週で一ヶ月が経過しますが、ときどき、
「大量の洗濯物を片付けるためにここに来たんじゃなーい!」
と叫びたくなります(笑)。
ま、全ては生活のためです。
大変なのは私だけじゃないので、あと2カ月は今の家庭で頑張るつもりです。
それから先のことはただいま考え中。
★☆★☆★☆★☆★☆
メールはここで終わっているわけではないが、どんな経緯でこのようなメールが来たのかというと・・・、
僕自身はワーキングホリデイのシステムがよくわからず、ホームステイをするにしてもどんな条件があるのか、ちょっと覗いてみたくて質問したことの返事である。
彼女がパースに行く前に、しばらくはホームステイをしながら英語の勉強とオーストラリアの生活に慣れて、できればそのあとにアパートメント暮らしを、それから仕事を体験してみたいと言っていた。
そのための一歩を踏み出した内容である。
もちろん日本と同じようにパースで仕事を見つけるのは困難だと思われるが。
ワーキングホリデイで外国の生活を夢見て日本を出ていった人々が、途中でお金がなくなり、帰って来てしまったという話も聞いている。
まぁ、彼女に限ってそんなことはないと信じているが・・・(笑)。
さて、彼女からは何枚か写真が送られてきていた。
今日はその内の一枚。
ひぃ~、でかすぎる(笑)?
縮小しろ!って(笑)?
K子からのタイトルは『my bike』としか書かれていない。
この写真の背景をじっくり眺めていたら、バイクの横は紛れもなくスワン川だが、背景はキングスパークのようだ。
ということは、ジェッティ(フェリー乗り場)辺りから写したもののようである。
同じ写真を拡大~♪
K子はこの自転車を使って徐々に行動範囲を広めているようだ。
さて、メールの続きは明日~。
2010年11月20日
祝日がらみ
今日もかなりいい天気。
週末はどうしても時間に余裕がない。
もちろん、週明けの月曜日に休暇を取っている人にとっては4連休になっている人もいるんだろうね~。
そ、そ、職場のアルバイトT君、本業も1週間休暇を取って、今日からオーストラリアだって~(何とも羨ましい)。
本当は西オーストラリア(もちろんパース)を狙っていたんだけど、予算の都合で来年に延期。
で、今回はゴールドコーストにしたって。
ゴールドコーストはオーストラリア大陸の東側の海岸。
5泊6日でホテルを一ランクアップして往復航空運賃と宿泊代で50,000円ぐらいだって言っていたから、
「お~、安いね~。」
と、驚き。
ある意味、北海道旅行と同じような金額だ。
出発前に職場のお土産の相談があったが、
「まぁ、定番のTIMTAMでいいんじゃないの。日本にも売ってるけどね。」
と僕。
TIMTAMは甘いチョコレートのお菓子でオーストラリアでは多くの種類が売っている。
僕もパースに行くたびにTIMTAMをスーツケースに詰め込んで帰ってくることが多かった。
TIMTAMはチョコレートでお菓子をコーティングしてあるものだが、これがまたかなり甘いっ。
チョコレート好き、甘党の方にはお勧め~。
僕はひとかけらあれば充分!
多くの種類があるが、ノーマルなのは上の写真の右上にあるオリジナルっていうやつ。
記憶が曖昧だが、オリジナルは200円台で買ったような気がする。
職場のT君には、
「日本と同じように向こう(オーストラリア)にもコンビニってあって、そこにもTIMTAMが売ってるんだけどね。でもコンビニは日本と同じでちょっと価格設定が高いよ。」
と忠告しておいた。
「このオリジナル、コンビニでは3~400円台だが、ショッピングセンターで買うと200円台だった気がするし、まぁ、空港なんかでも売ってるけどね。」
もちろん他の種類は微妙に値段に差がある。
お土産としてはお高くない上に、見た目もボリューム感があって喜ばれるとは思うが、これだけ買うと嵩張るんだよね。
これらの写真は僕がパースに行ったときに買ってきた年代別のものなんだけど、ついつい面倒になると最後はTIMTAMにしてしまうわけだ(笑)。
職場のT君にはそんなこと(お土産)を考えないで思いっきり楽しんできて、いろいろ話を聞かせてよ、と言いながらも、僕個人にはベジマイトの小瓶を買ってきてもらうように伝えておいた(がははは)。
2010年11月02日
K子のパース便り №3
昨日の午後から天気も回復し、ちょっと一安心。
たとえ穏やかでも、日毎に冬に近づいているって感じがする。
これが日本の四季だが・・・(笑)。
パース(オーストラリア)の四季は・・・というと、この時期は春。
そして、これから夏に向かうわけで・・・。
パースに行ったK子は今年、2回も夏を体験できるわけだ。
羨ましいっ。
まだ彼女が日本にいた頃、何度かパース談義をしたのだが、どうしても自分が伝えてあげられるのは、自分の体験したことだけになってしまうわけ。
過去に9度もパースに行っていながら、仕事の都合上、どうしても春の時期(9月頃~11月頃)って行けるチャンスがなかったんだよね。
それで、この時期の情報を教えてあげられずにいたわけで、彼女からのメールには『思っていたよりも涼しい』と。
そ、そ、いくら気候が穏やかだといっても、大陸独特の寒暖の差っていうのを教えていなかったぁ。
日中は暑くても夜はかなり冷える日も多い。
夏場でもそういう日が結構ある。
そして、『春の風は強い』って???
ふむふむ。
もちろん、それも僕は体験していないわけで・・・(答えてあげられない)。
ただ、返信メールにこんなことを書いてあげた。
・・・略・・・
今の時期の風、そんなに強いのかな?
自分が体験したのは、
フリーマントルドクター
という風の種類。
これはかなり強い風なんだよ。
フリーマントルドクターは真夏の暑い(考えられないような暑い日のことを指す)日の夕方、インド洋から大陸に向かって吹く風(強い風だが、熱風ではなかったと思う)で、外に立っていると吹き飛ばされるぐらいの強風が吹き荒れる。
もしかしたらK子の身体では吹き飛ばされるかも・・・よ。
決して雨を伴っているわけではないけれど、恐ろしいほどに強い。
そして自分が体験したのは、その日の日中の気温が43度で、夕方あたりに急激に温度が下がり出して、一気に風が強くなった記憶がある。
その風が吹いた翌日は、真夏だというのに逆に過ごしやすい気温になるわけ(すっごい快晴)。
だから、K子がフリーマントルドクターを体験したら『明日はいい天気』と思っていてもいい。
そして、何故この強風のことをフリーマントルドクターと言うのかといえば、
その名の通り、
フリーマントルからお医者さんがやってくる
ってことなんだけど、わかる???
つまり、生身の人間が40度を超える夏場を体験していたら、いくらなんでも身体がおかしくなる(日本じゃ、今年は特に熱中症に悩まされたけれど)。
そんなときにフリーマントルからおかしくなった身体を暑さから解放してくれる・・・まるでお医者さんのような風が吹いてきてくれるってわけなんだって。
パースで一夏過ごせば、一度ぐらいはドクターに会えるかもね。
あ、この風、またの名を医者いらずとも言われているらしいです。
・・・略・・・
さて、K子からはその後、もう一通メールが届いた。
ちょうど、僕がパースシティにあるTargetというディスカウントショップのことを伝えたのだが、彼女はその情報を読む前にしっかり足を運んでいて、その写真も添付してきてくれたのだ。
もちろん、これらの写真は僕のものではなく、K子が写したもの。
【このTarget、昔から変わらないなぁ。しばっち】
【僕もここでポロシャツや靴などを買ったことがある。安いんだよ!しばっち】
そして、ちょっとビックリしたのは・・・。
こんなところに高層ビルが造られていたこと。
【パースシティもどんどん変わっていく~。しばっち】
【似たような写真だが、K子の配慮が伺える。通りの標識を入れてくれるなんて、ちょっと感激~。しばっち】
そして、最も驚いたのが、MYER department storeの周りが・・・。
あれれ?
ここって何があったんだっけ?
ちょっとアップで・・・。
【3年もパースから遠ざかっているうちに、町がどんどん変わっていく。しばっち】
シティのモール近辺はそれほど高いビルはなかったはず。
高層ビルはモールから一本はずれた通りに並んでいる。
いわゆるオフィス街と呼ばれるところだろうが、この辺りもあっという間に風貌を変えていくのは、ちょっと寂しい気もする。
パースはバブル全盛期。
多くの外国人が移住しているのも事実。
そういう時代って、ビルも新しく・・・しかも高く(笑)なるのかな。
僕の知らないパースをこれからもどんどん伝えてほしいものだ。
2010年10月14日
K子との最後の飲み会(2)
K子は夕べ日本を経ち、今日がパース第一日目となる。
多分早朝パース空港に到着し、入国手続きに苦労し(笑)、担当者と合流し、その後、右も左もわからず、ホームステイ先に向かったことだろう。
もしかしたら担当者の計らいでパースシティを観光・・・なんてことがあったかもしれないな。
初めて見る国の、初めて起きる出来事の数々。
期待と不安が入り混じった状態で、半ば興奮気味だろう。
英語と直接向き合いながら、意味が通じず、心細くもなる。
だけど、そのときの気持ちをいつまでも忘れないでいてもらいたい。
ワーホリが決まってから彼女とはパースの町の話もよくした。
僕が旅行者として苦労したのは電車の切符の買い方。
そして、日本とはちょっと違うルール(これはお得なルールだが)。
【どんどん食べなよ!と勧める】
日本での切符の購入方法はお金を入れてから行き先の料金ボタンを押すが、パース(オーストラリア)は先に料金ボタンなどを押してからお金を入れる。
しかも紙幣は入れられなかったような気がするし、両替機もなかったかも。
そしてほとんどは無人駅である。
人で賑わうパース駅でさえ、時間によっては無人駅になる。
今じゃ日本は時代の先端(?)を行くタッチパネル方式だから、そういうことでさえちょっと戸惑うんじゃないだろうか。
そしてお得なルールとは切符を購入した時間から2時間はその料金の範囲内で何度乗り降りしてもいいのだ。
例えばパース駅をスタートして2時間以内にパース駅に戻ってくれば、片道分で往復できるというわけだ(笑)。
ただし、キセルが見つかると膨大な罰金が待っている。
【K子の好物、ゲソの唐揚げ】
彼女の仕事の希望は女性には珍しく(はて?)ピッキング作業だという。
都会の生活よりも自然の好きな彼女にはお似合いの仕事かもしれない。
「日本を離れたらしばらくはおいしい料理も食べられないかもよ。」
と言うと、開口一番、
「私、ゲソの唐揚げが好きなんです。」
がははは。
どうぞ、どうぞ!
【もちろん僕はポテトフライで】
魚民のポテトフライもおいしいっ。
僕は大勢の人と一緒に飲んだりするのがあまり好きではない。
どちらかというと、いろんな話をしっかりできる相手と向き合うのがいい。
大勢で飲んでも多くの情報を聞けなかったり、興味のある話をうわべ面だけで話すのが苦手なのだ。
たとえ興味がなくてもどうせ会話をするのなら身のあるものにしたいと思うわけ。
K子のワーホリの話は続く。
彼女はできることならパースには半年あまり、それ以外を他の地域で暮らしてみたいとも言う。
最終的にはラウンド(オーストラリア大陸を一周)したいらしい。
もちろんパースがお気に入りになったらその期間も延びることだろう。
僕としては一年間しっかりパースに居ついてもらいたい、と願っているのだが。
【煮込みも食べられなくなるよ】
彼女はホームステイ先で何かをしてあげたい、って言うのだが、その内容の根源は日本食のようだ。
「おにぎりを作ってあげようかな?って思ってるんです。」
それもよし。
「手巻き寿司でパーティっていうのは、どう?」
「そういえば友人Sは日本の焼きそばを『おいしい』って言ってたよ。BBQコンロは各家庭に一台はあるはずだからね。」
「すき焼きは?天ぷらは?」
と、僕の方が要求している(がははは)。
【こういうものを食べてたから、ついつい和食の話題で盛り上がる】
パースの話題で盛り上がって気づくとお開きの時間。
まだまだ言い足りないことがあったが、あとは現地で慌てないこと・・・と付け加え、お互い別れることにした。
出発当日の夕方、電話を入れて、
「気をつけて、そして大いにエンジョイしてきてね。」
「はい。頑張ってきます。」
あ、そういえば、まだ言い足りなかったことを思い出した。
パースはハエがうるさいよ。
ああああ~、これが一番大切なことだったかも・・・。
2010年10月13日
K子との最後の飲み会(1)
今頃、K子は飛行機の中。
いよいよ彼女は異国の地で1年間を過ごすことになる。
日本を経つ数十分前にメールが届いた(残念ながら僕は仕事中でメールを見たのは、すでに彼女は日本を離れた時間だと思われる)。
「日本を出発する最後にしばっちさんにメールを送ります。いろいろお世話になりました。ありがとうございます。元気で行ってまいります。」
との文面と写真が・・・。
この写真を見たら、僕までちょっとドキドキしてしまい、あらためてK子の意志の強さを感じさせられた。
先週の金曜日、10月8日は世田谷で仕事を終えてから、K子のパース(オーストラリア)行きを祝って、再びお別れ会を・・・(いつも飲むときはお別れ会って言いながら誘う、笑)。
とは言っても、本当のお別れ会は翌日の9日にあったのだが、僕は多忙のため欠席。
ちょうど彼女の住まいが世田谷なのでタイミングもよく、千歳船橋駅(小田急線)のそばの居酒屋魚民で~♪
【まずはかんぱぁ~い♪】
K子の実家は茨城県。
大学を卒業して以来、東京で一人暮らしをしている。
僕が世田谷で勤務していた頃からの付き合いだから、かれこれ4~5年になる。
今回、パース行きを決行した最大の理由は、僕のパース狂じみた会話を聞いているうちに行きたくなったとのこと(責任重大だ)。
多分、彼女はもともとワーホリをしようとしていたのだろう。
ただ、その目的地をどこにするのか、相当に悩んでいたようだ。
ワーホリとは、最長1年間の期間ひとつの国に滞在できるビザ制度で、その間の滞在資金を補うために就労も認められる特別なルールなどがあり、異文化の中で交友関係を促進することなどを目的にしている制度である。
年齢にも制限があり、18歳から30歳まで。
だから、僕のようなおぢさんには当てはまらない(これが悔しいね)。
またどこの国でもワーホリができるわけではない。
ワーホリ制度が始まって、一番古くは1980年開始のオーストラリア(かな?)
それからニュージーランド・カナダ・韓国・フランス・ドイツ・イギリス・アイルランド・デンマーク・台湾と協定を結び、最近では香港(2010年)もワーホリができるようになった。
英語が苦手な人でも一年間その環境に入ると、結構ぺらぺら話せるようになるんだから本当に羨ましい。
もちろん努力も必要だけどね。
【オーストラリアに行ったら食べられなくなるよ、と勧めて】
僕自身、ワーホリの経験はないのだが、パースへは9回の渡豪で多くの経験も積んできたつもりでいる。
日本とのギャップも感じたし、語学力のなさにも痛感した。
ただ救われたのは、日本で一緒に仕事をしてきたオージーがいてくれたこと。
しかも彼らは一年間の滞在で(会社との契約)そこそこ日本語も上手になっていたし、僕の下手な発音を理解してくれていたから、言葉の不自由さはあまり感じていなかった。
それでも恐ろしいことに、
「お前は充分英語力があるんだから、ここからは一人で楽しんで来て。」
と僕を街中に残していなくなることもあった(笑)。
実際、ひとりでショッピングもしたが、あの頃はドキドキモンだった。
これは友人Sとの話だが、彼は結局日本に5年滞在していて、ほとんど一緒の部署にいたこともあり、悪い日本語もいっぱい覚えたし、僕自身も悪い英語を教わった(笑)。
【馬肉のユッケ~♪】
K子はオーストラリアのパースを選び、ワーホリ協会の紹介で、最初のホームステイ先の連絡を待っていた。
結構ギリギリまでホームステイ先が決まらなかったようだが、とりあえず決まったのが、パースから北に14~5kmほど行ったところにあるダンクレイグ(DUNCRAIG)という町だ。
パース駅を中心として電車は4つの路線に別れているのだが、僕がよく使った路線はミッドランド線とフリーマントル線。
ミッドランド線は当時一番仲の良かった友人Sがその方面に住んでいたこと、そしてフリーマントル線はよく観光に出かけていたからであり、それ以外の2線はほとんど使ったことがなかった。
そのため、K子の住むであろうダンクレイグという町はその沿線ではないために情報などほとんどなく、僕にとって皆無に等しいものと思われていた。
この話は数日前のブログにも書いたが、それに対していくつかのコメントを頂いている。
そして、そのコメントを読んでいるうちに・・・、
「あれれ?」
【お刺身の盛り合わせ~♪】
一度も行ったことがない・・・なんてことはないぞ。
僕が思いだしたのは今から16年前、初めてパースに行った1994年。
そのときはほとんど友人Sに連れられての車で移動だったので、右も左も、南も北もわからないままで終わってしまったのだが。
ダンクレイグから西に約2km移動するとソレントビーチというインド洋に面した海岸があり、そこにある水族館・・・、
うん、行った、行った~、行ったことがある~。
この情報は関西に在住のYokoさんのコメントに書かれてあったもの。
水族館の情報がなければ僕はすっかり忘れていたわけで、そこから思いだした幾つかの出来事。
K子がホームステイするダンクレイグという町の情報はすぐにメールで教えてあげることにした(飲み会の時点では僕もわかってなかったので)。
このブログをアップする時間にはすでに彼女も日本を離れ、機内の中にいる。
そして、明日の早朝にはパース空港に降り立ち、春の香り漂う空気をいっぱい吸っているに違いない。
2010年10月08日
K子の送別会
今日は久し振りに世田谷で仕事~。
ってことは、久し振りに喫茶店Cにも足を運んだわけで。
マスターとも数ヶ月振りに話をしたわけだ。
もちろん今年の夏には何度かメールをもらっていて、
『そろそろ箱根でも行かないか?』
とのお誘い。
僕としては箱根も小田原も行きたいのだが、とにかく今は心身ともにゆとりがないので、まだ約束をするわけにはいかず、言葉を濁してあるだけに留めている。
夜は来週パース(オーストラリア)にワーホリで一年間旅立つK子の送別会。
偶然にも昨日パースの友人Sからのメールも届き、そのことも伝えておいてあげた。
K子はパースに行ったら、一ヶ月ほどホームステイをすることが決まっている。
その滞在先もようやく連絡があったらしく・・・。
そこはパース市街から北に15kmほど行ったダンクレイグ(DUNCRAIG)という町だ。
僕も興味があったのでネットで調べてみると、なんとその町の方面にはほとんど行ったことがない(とほほほ)。
パースを中心に電車が4本通っているのだが、北方向の電車には乗ったこともない(クラークソン線)。
道路としては国道一号線を北上するだけの単純な道のようだが、過去の旅行ではせいぜいモンキーマイアに車で行ったときに通っただけの位置かと思われる。
地図を見る限りではクラークソン線のグリーンウッド駅から1km程度かな。
海岸としてはソレントビーチまで2km程度かと想像できるが、もちろん僕にとっては未開の土地(笑)。
ソレントビーチはボートハーバーなどもあって、きっときれいな風景が目の前に現れるはずだ。
そういえば、K子から先日の屋久島の写真がメールで送られてきていた。
ちょっとご紹介~。
ここはいなか浜。
屋久島はとにかく自然の宝庫で、海もかなりきれい。
僕自身も若い頃に3回ほど屋久島まで行っているのだが、海中も美しく、熱帯魚がいっぱい泳いでいて感動した。
その時代にはデジカメもなく、今の時代が羨ましい。
縄文杉を見に行く途中にど~んと立っているのがウィルソン株。
これはかなり迫力がある。
このウィルソン株の中は空洞になっていて(朽ち果てて)、そこから見上げるとこんな風景が見えるんだけど、
よ~く見て~。
写真を横にしたらハート❤の形に見えるでしょ。
恋愛成就のスポットのようだよ。
樹齢数千年と言われる縄文杉。
僕もこの杉を拝みに行ったけれど、当時はこの杉に触ることもできた。
今は保護されているため、近くまで寄れないらしいね。
そして、最後に・・・。
これが、問題の翁杉(おきなすぎ)。
一人はK子で、もう一人はこのツアーで知り合った女性らしいが・・・、
そんなことより(笑)、この写真を撮って数時間後に、この翁杉が倒れたのだという。
もちろん、その翌日(かな?)新聞やテレビでもニュースで取り上げられていたね。
かなり貴重な写真である。
ん?
もしかしたらK子が乗った重みで倒れたのかって?
ふふふ、そうかもね。
2010年10月07日
歳を取るのが早いと痛感
ようやく秋らしい日が続いている(というか、それでも汗ばむ)。
やっぱり青空はいい、ね。
2~3日に一度、PCのメールチェックをするのだが、久し振りにパース(西オーストラリア)に住む友人Sからメールが届いていた。
彼とは2007年以来だから、かれこれ3年も会っていない。
その間に僕のPCの調子が悪くなり、保存しておいたメールアドレスさえ見ることができず、半ば諦めていたのだが・・・。
ある日、携帯電話の電話帳をいじっていたら・・・、
友人Sのメールアドレスが残っていたので、そのアドレスにテスト送信してみることにした。
実は長い年月の間にお互いメールアドレスを数回変えていたので、あまり期待できるものではなかった。
数日後に返信メールが。
「あぁぁ~、届いたんだ。」
と、ちょっと一安心。
数日後に今度は自分のPCから送ってみたのだが、その返事がなかなか来ない(汗)。
まぁ、忙しい身だから、気長に待つとするか・・・なんて思っていたんだけど、実は心中穏やかではなかった。
何故なら、職場のスタッフのT君が11月にパース旅行を考えていたり(実際には来年の2月に変更)、K子が10月13日にワーホリでパースに行くことが決まっていて、それらのことについて相談したかったからだ。
K子はすでに最初の1カ月の滞在先は決まっている。
友人Sのメール内容は・・・というと、家族が増えた・・・(はて?)と。
最後に彼と家族に会ったのは2007年である。
その年に第二子が生まれ、喜んでいたのに・・・。
ナント第三子まで(笑)。
しかも3人とも男児である。
結婚して数年子供に恵まれず、友人Sのお母さんのPさんは半ば諦め気味だったのを僕は忘れていない(もちろん、彼らの前で話していたことではなく、僕だけに言っていた言葉である)。
そして、そのメールに添付されていた写真が、これだ!!!
写真左からL君(二男・3歳)、J君(長男・7歳)、K君(三男・2歳)。
もちろん一番良く知っているのは長男のJ君だが、こ、こ、こんなに大きくなっている~。
二男のL君は2007年に生まれたばかりのときにご対面しているが、その後に生まれた三男のK君は初お目見えだ。
うひゃぁ~。
この写真は2006年のときのもので、J君3歳。
まだ下の2人は生まれていなかった時代である。
僕の手を引っ張って庭で遊んでいるときのものだが、このときからすでに日本語と英語を分けて話している。
もちろん僕には日本語でしゃべっていた(脱帽)。
これはJ君1歳の2004年の写真。
初めてのご対面で、お土産に甚平とアンパンマングッズを持って行ってあげた。
この年に渡豪したのは6月で南半球のオーストラリアは冬。
それなのに甚平って笑える。
今度遊びに行くときには3人分のお土産かぁ~(苦)。
こうやって写真を眺めてみると、子供の成長は早いね。
というか、僕が老いていくのも早いってことだよね(涙)。
時の流れの速さを痛感している僕である。